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マンガにはストーリー、共感、感動はありません。 小説には、それらしきもの(捏造への意志)があります。

2017年03月

みなし児ヴィデオ・オレンジ 34 (雨雲)

スマホ640pix



      雨雲



 警報音けいほうおんり、赤い警告灯けいこくとうがまわりだしました。銀行屋ぎんこうやはあわてず、モニターを横目よこめで見ました。

 バイクです。バイクを所有しょゆうしているのは、チェロキーとダイだけですが、スラリとした見た目で、ダイとわかりました。ここらで休憩きゅうけいかねがね、彼はこしを上げました。

 ダイを玄関げんかんに出むかえ、コーヒーかんをわたし、じぶんのせんを開けました。

準備じゅんびできたってよ」

 ダイはけとってすぐ、コーヒーをあおりました。

「なんだ、やけに早いな」

「そりゃ、ママのキモイリだから(笑い)」

 またゴクっとやって、

みせの水と食糧しょくりょうはこんだだけだし。後はこまごま、ママの私物しぶつとか。いらねーって、言ってるのに、やたらとなんでも、もちこみたがる」

「じゃあ、おれはもう、なにもしなくていいんだな」

「いいよ来なくて。ママがおこるよ――ていうか、オレがおこられるよ(笑)」

 Umiha、レイヨーのまばゆい白いタンクに、おじさんは目を細めました。娯楽ごらくの少ないこの地で、ダイとチェロキーの二人に先をこされてか、ほんとうはうらやましかったのに、なんとなく、オフしゃには手が出ませんでした。

 あえて、オモチャに手を出さない大人な自分と、ものごとにいて、おっくうになったオッサンの自分。ぶしょうヒゲを生やしているけど、まだ30代の、つるっとした赤ちゃんはだなのが、ちょっとコンプレックス。そんな微妙びみょう狭間はざまでゆれる、むずかしいお年ごろでした。

「こっちは見に来なくていいから、先にあの子をつれてきなってさ」

「わかった、わかった。おまえも、もういいから」

 しっしっ、とやりました。

 ダイは一気にみほし、かんをおじさんの胸元むなもとに、つきつけました。

「マックスじゃなく、ノンシュガーか微糖びとうにしときな、オッサン(笑)」 

「おまえもすぐ、そうなる(笑)」

 かんをうけとり、

「トランシーバーのスイッチは入れとけよ」

 と、不測ふそく事態じたいにそなえました。どんなささいな不安要素ふあんようそも、ないがしろにできない性分しょうぶんでした。


 おじさんは銀行ぎんこうに入り、そこらを見てまわりましたが、ソルはいませんでした。

「ふ~ん」

 つまらなそうにつぶやいてから、地下ちかにおりていきました。

「ガキ」

 ぼそっと言うやいなや、特殊とくしゅカンオンの反応はんのうがでました。想定内そうていない事態じたい。ゆっくりと、電子でんしタバコを手にとりました。

 ふつうのカンオンより、二回りほど大きい特殊とくしゅカンオンは、登録とうろくしてある認証にんしょうコードである、ソルのバイタルサイン傾向けいこうから、彼を瞬時しゅんじにキャッチしました。屋上おくじょうには、プライベート衛星えいせいとつながった、多目的たもくてきアンテナが設置せっちされていました。衛星えいせい軍事政権下ぐんじせいけんか発展途上国こうしんこくで、集団しゅうだんうち上げ委託いたくにより、格安かくやすにおこなわれたものでした。

 おじさんはあたまの中で、場所ばしょ把握はあくしようとしています。小山の中腹ちゅうふくの手前あたりに、みどり表示ひょうじがありました。マップからライブカメラに切りかわり、段階的だんかいてきにズームアップしていきます。うごくものが見えてきました。

「どこにいるんだ、アイツは」

 みなれない風景ふうけいに、失笑しっしょうします。

「おいおい、どこまで行く気だよ」

 こんな山の中は、彼だって、まだいったことがありません。

 おじさんは時代じだいおくれの、かさばるタッチパッドをもって、地下ちかをでました。完全かんぜん規格外きかくがいになったそれは、特殊とくしゅカンオンとだけつながり、万が一にも、外部がいぶとつながるおそれのないハードでした。

 外に出ると、鉛色なまりいろくもが、西の空にかかっていました。

 ちょっとドアノブに手をかけ、立ち止まっていました。カサなら荷台にだいにあるし、予備よびのバッテリーも、ダッシュボードに入っていました。たいがいのものはくるまに入れっぱなしで、定期的ていきてきなチェックもかしませんでした。

 引きかえす用事ようじもないので、ドアを開けました。



 シンプルなマップ画面上がめんじょうで、みどり光点こうてんが、じょじょに山のおくへ、表記ひょうきのとぼしい上方へむかっていました。

「ウソだろ……。なに、やってんだアイツ」

 ケモノ道のような隘路あいろに入られたら、やっかいです。心もち、アクセルをふみこみました。

 トランシーバーに手をのばし、ナカマに応援要請おうえんようせいをかけました。早め早めが、彼の信条しんじょうです。ダイにトランシーバーの火を入れておくよう言ったのは、正解せいかいでした。じぶんの判断はんだんの正しさに、小さくガッツポーズをとりました。

「な、こういうことがあるんだよ」

 ほくそみました。


 使命ミッションをおえたソルは、頂上ちょうじょうへむかって、歩いていました。本気ほんきで、この山を征服せいふくする気などありませんが、なぜか素直すなおに下りず、反対方向はんたいほうこうへと、しぜんと足がむくのでした。彼は、ドロとあせにまみれていました。

 やぶと化した、神社じんじゃがありました。拝殿はいでんは見えませんが、ヤブカラシや笹竹ささたけがおいしげり、小ぶりなオレンジ色の朝顔あさがおが、線香花火せんこうはなびみたいに、ぽつぽつ、そこらに散見さんけんしていました。

 大きなはしらの、黒ずんだ鳥居とりいがありました。もとから赤くないそれが、草をまたいで立っています。そのはしらの横手から、草をかき分け入りました。

 あついいたみを感じ、すねを見ました。赤くれていましたが、ギリギリ、は出でていません。一歩一歩いっぽいっぽ、ヒザを高く上げ、しんちょうにすすんでいきます。



「チッ」

 おじさんはニガニガしく、舌打したうちしました。

 ゆきどまり、土砂崩どしゃくずれです。外に出ると、水滴すいてきのツブが、ほほつめたくふれました。

「チッ」

 でも、だいじょうぶ。これも想定内そうていないです。チェロキーのジープはムリでも、オフロードバイクのダイが、かけつけて来ていました。せまいしまです。さっき連絡れんらくしてからの時間を考慮こうりょすると、おいつくのに、早ければ十分もかからないでしょう。ますます、おじさんは「我が意を得たり」と、ニンマリしました。

 彼はチェロキーもさることながら、ママもダイも、ばあいによってはソルさえ、その内情ないじょうについて、おりこみみでした。熱源ねつげん電波でんぱ発信源はっしんげんなどを感知かんちできる、べんりなモノくらい、彼らが持っていて、とうぜんと思っていました。もっとも、それをいったら、おたがいさまですが。そしてそれは、あたらずとも、とおからず、といったところでした。

「あせることはないさ、ここには、時間じかんくさるほどあるんだ」

 今のところ、すべては順調じゅんちょうでした。

 雨足あまあしが少し強まってきました。フロントガラスに、細かな水滴すいてきが目立ちはじめました。ワイパーのスイッチを入れると、キュッ、キュキュキュ―と、なきごえをあげ、うす茶色ちゃいろのシマをつくりました。ウォッシャーえきをかけていると、パタンとエンストしました。

「またか」

 また、チェロキーに、たのまなくちゃなと、ウンザリしました。

 どういうわけか、アイドリングストップ機能きのうがしばらくたつと、復活ふっかつしてしまいました。そのたびガードを外さないと、バッテリーがすぐに、いかれてしまうのでした。――このしまでは電力でんりょくには、こときませんでしたが(そのインフラも、年々こわれて来ていますが)、すべてが電気中心でんきちゅうしんなので、バッテリーの寿命じゅみょうおかより短いのでした。島内とうないではいらないくるま機能きのうは、すべてカットされていました。みみ不自由ふじゆうな人のための擬似ぎじエンジン音や、アイドリングストップ機能きのうなどがそれです。

 じつは、おじさんは銀行ぎんこうを出るときから、いえ、もっとその前から、いつになく興奮こうふんしている、じぶんに気づいていました。想定内そうていないのイレギュラーをむしろよろこび、土砂崩どしゃくずれで水をさされるまでは、ひさしぶりのワクワクが止まりませんでした。

「まるでハンターのきぶんだ」

人間にんげん動物どうぶつ安全あんぜんいのちのやりとり、人間様にんげんさまのワンサイドゲームだ(笑)」

「おまえがどこにげようが、野生やせいの感だけで、おれからげきれるかな?」

 スコープの照準しょうじゅんをあわすよう、かた目をつむりました。

 狩猟ハンティング。むかしから、なにかと物入ものいりで、高貴ハイソ貴族かねもちのあそび。

 これこそ今のじぶんに、もっとも相応ふさわしいのでは?

 こんなに刺激的しげきてきなら、ライフルの趣味しゅみもわるくないな。

 ここならメンドクサイ免許めんきょもいらないし。

 もぐりで買えねえかな?

 こんどヤツらに相談そうだんでもしてみようかしらん? 

 ダイがくるまでの一時を、どうせやらないことをっているクセに、ゆかいな空想くうそうにふけっていました。彼はいきがかり上(ヒステリックな教育ママ)、それを少年時代しょうねんじだいにおいて来たのではなく、もともと生まれつき、じぶんが行動こうどうの人でないことに気づくほど、まだ大人ではありませんでした。

 彼は子度藻のころにアーカイブで見た、SFアニメを思い出していました。機関車きかんしゃ宇宙うちゅうたびする、少年の物語ものがたり。もはやじぶんが、そのチビすけの主人公ヒーローではなく、人間狩にんげんがりをする機械伯爵きかいはくしゃくの方の立場たちばなのだと、苦笑くしょうしました。彼は大人になった視点してんから、小さいじぶんをいとおしみましたが、それを唾棄だきする少年の方は、たしかにおいてきたのかもしれません。

 警報アラームがなりました。

 しかし、まだ動揺どうようはしません。そのための具体的ぐたいてき要件ようけんを、彼は思いつけなかったからです。これまでだってそうだったし、今現在いまげんざいもそうでした。つねに早めに不安ふあんをつみとり、心配事しんぱいごとのタネを、ぬぐい去ってきました。だから、この異音いおんが、彼の平穏へいおん未来みらいをうばう、らせなワケがないのです。こんなところにいながら、彼は本気でそう思っていました。

「うるさいな」

 少しイラッとしてきました。しかしアラームは、破滅的はめつてきな音をかなでるのを、やめようとしません。彼の手と、彼のイマジネーションの外で、すでにきてしまっている事態じたい。これこそ、ほんとうに彼が「おそれるべき」ものでした。人はとおくのものにさわれないし、時間をさかのぼることなんて、なおさら、できやしないからです。

「るっせーな。なんなんだよ」

 イライラで恐怖心きょうふしんをおさえようとしますが、ベタに助手席じょしゅせきのタッチパッドをつかみそこね、マットに落としました。

「クソ! なんも、あるわけないだろ」

 怒鳴どなって警告けいこくメッセージの詳細しょうさいを、おそるおそるタップしました。ロードされるまでの間、もどかしく画面がめんをまちます。

 デジタル数字すうじがあらわれました。すでに、カウントダウンがはじまっていました。特殊とくしゅカンオン再起動さいきどうのための、シャットダウンへむかって。

「――ちょっ」

 かずが、どんどんっていきます。

「なんだよ!」

 手がだせません。

「07びょう

 二ケタを切っています。時間がありません。

「03びょう

 なにをやっても、もう、あとのまつりりでした。

「00びょう

 まっかな画面がめんがブラックアウトしました。



 青いゆらぎのパターンが、おぼろにかんできました。

 くりかえし、くりかえし、よせてはかえしていきます。

 ゆるやかな、無音むおんのさざなみ。

 海上で白く泡立あわだち、海中で青とたわむれる気泡きほうのツブたち。

 それも、しずかにフェードアウトしていきます。

 のこったのは、黒の単色たんしょくのみ。


 おじさんは、ひっきりなしにメガネをふいていました。とにかく、おうえんがくるのを、まっていました。だれがてきで、だれが味方みかたかも、よくわらないのに。それさえ来ればなんとかなる、とでもいうように。なんどもメガネを手にとり、いのるようにふいていました。ただ、まちつづけていました。


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みなし児ヴィデオ・オレンジ 33 (ダーティワーク 3 荷物)

スマホ640pix



      ダーティワーク 3 荷物



 背中せなかがかるく、体がうかび上がるようでした。スコップをもどしてからの帰り道、ソルは体がフワフワしていました。ささえがないと、そのままパタンと、たおれそうな気がします。小さいころに、おみやげでもらった、フェアトレードのしょぼいオモチャを思いうかべていました。テーブルの上で、すぐにあおむけにたおれて、足だけウインウインしているやつを。

 町なみを一望いちぼうする坂道さかみちまでもどると、道のまん中で、ペタンと、すわりこみました。土まみれの上ずった手で、ペットボトルのせんを外し、トポトポ、かた手ずつあらいながします。かたむけたビンから気管きかん直撃ちょくげき、むせかえって、アスファルトを黒くぬらしました。ゲホゲホ、なかなかやみません。

 おぼつかない手で、なんどもあおって、地面じめんにこぼれた水は、坂道さかみちを細く下っていきました。うわぎは水をほとんどはじき、クビのすき間から入ったぬるい水が、オシッコみたいにパンツをぬらしました。それを不快ふかいにも感じず、あたたかいのような風に、しばらくつかっていました。

 むねいっぱい空気くうきいこんで、なれてしまったしおさを、からだじゅうで確認かくにんします。さっき見たはずのくもが、すぐにはみつからないほど、はなれていました。ぼんやり、けしきを見ているうち、下着したぎはもう、かわいていました。

 おわってしまえば、あっけなく、彼は空をあおぎ見ました。いつにもまして、くも異質いしつ存在感そんざいかんに目をみはり、見はるかす眼下がんかには、なみが広がっていました。その先は海。青い海が水平線すいへいせんで、ぷっつり切れていました。また、空を見上げました。しばらく、それをくりかえしていました。

 もう、なにもすることがありません。いつの間にか、にもつを処分しょぶんすることが、彼の重大じゅうだい任務ミッションと化していました。もはや、なんの義務ぎむもなく、かといってしたいこともありません。にもつから解放かいほうされたとたん、彼は支点してんをうしない、いとの切れたたこみたいに、どこか下流域かりゅういきへと、ながされてゆくようでした。生あたたかいかぜくと、みどりのヤツデの枯葉かれはが、カサコソ坂道さかみちを下っていきました。

 

 なつは高く、ますます、さかんになろうしています。暑気しょきの中に、かすかな冷気れいきがまじり、彼を困惑こんわくさせました。まだ、セミの時節じせつではありませんが、しずけさの耳鳴みみなりりがしました。

 ときおり、思いだしたように風がふきます。子猫こねこをあそばす母猫ははねこのシッポみたいに、道ばたの小さなアメのつつみとたわむれては、すぐにやんでしまいました。

 季節じかんは、彼をいてけぼりにしていくみたいでした。


「――あっ」

 おもいだしました。

「なにやってんだよ、あいつ」

 すっかり、わすれていました。カンオンのことです。

 些事しんぱいごと係船柱ボラードにして、とりあえず彼は、日常げんじつつなががれました。




 指環ゆびわを外し、かるく指先ゆびさきでなぞると、コロコロ、手のひらでころがしました。こんどはそれをつまみ上げ、目の高さまでもち上げました。

 ブラック・シルバーのシンプルなオーリング。その表面ひょうめんには、目には見えない微細びさいみぞと、うすい薄片せっぺんが、ウロコのように重ねられていました。少しずつきを変えると、複雑ふくざつ色彩しきさい斑紋はんもんが、パターンのように変化へんかしてゆきます。みずから発光はっさこうしてないのに、キラキラかがやくプリズム調ちょう色面しきめんが、マボロシのように表面ひょうめんからかんでいました。

 それをかし、黒い地金じがねが、ほの見えています。光の干渉かんしょうによって、ちょうはねみたいな複雑ふくざつ色彩しきさいを、それも明度めいどの高い、個々ここにまじりっけのない色をうんでいました。

 ダイは、それに魅入みいっていました。

 酸化鉄マグネタイトのような、マットな黒いシルバーからほとばしる、あかだいだいきいみどりあおあいむらさきみどり。とおざければ暗いシルバーのままですが、ちかづけると変化へんかします。ななめにしたり、ひねったり、うごかすと、人間の目には不規則ふきそくな、虹色にじいろ変化へんかをしました。――と、あそんでいるうちに、白くハレーションをおこし、もとの黒にもどりました。色がついているという感じがなく、視覚しかくもてあそばれているようでした。

 それを左手の薬指くすりゆびにはめ直すと、すらりとびた白いゆびを、ピンとそらしました。また虚空こくうにかざし、じっと、見つめました。

「ただのオモチャじゃねえか、こんなの」

 と、つぶやき、

「今どき魔法少女まほうしょうじょのアイテムだって、もっと、ちゃんとしてんぞ」

 と、はきすてました。

 ダイは組んだ手をあたまの下にしいて、ねころびました。もぞもぞ、ならすよう背中せなかたたみにこすりつけ、えずくようノドをらし、まぶたを下ろしました。とばりの下りた暗闇くらやみに、チラチラ色ともつかないものが、あらわれました。

 なじみのよるに身をおくと、きまって思いうかぶのは、ホルスや、おおじいさん、家族かぞくのことではありませんでした。いがいとガキ大将だいしょうめんもあった、まあまあたのししかった少年時代しょうねんじだいでもなく、すでに過去かことなった、はなやかなりし教祖活動きょうそかつどうのころでもありませんでした。現在げんざいから過去かこをとおして、彼にまつわる時間じかんが、意識いしき俎上そじょうのぼることはまれでした。

 ぼんやりしていると、自然しぜんとわき上がってくるのは、うしなわれた未来みらい、手に入れられるはずだった、未来みらい光景シーンでした。鎮火ちんかし切っていない可能性かのうせいのこり火が、つめたい熾火おきびとなって、彼の身をチロチロこががすのでした。

 もともと彼のゆめは、アイドルではなく、(自称)アーティスト志望しぼうでした。彼はあの手この手で、業界ぎょうかいにアプローチをこころみましたが、とうぜんというべきか、コネのない彼は、まったく相手あいてにされませんでした。生活せいかつにこまって、アルバイトでゲイもののAVに、でっかいマスクをつけて出た黒歴史くろれきしは、彼の中ではかったことになっていました。

 ばくぜんと、しかし熾烈しれつに、「(なんでもいいから)なにかになりたい」と、ヒップスターへの願望がんぼうをむねにめ、とうじの彼は、まいにちをモンモンとすごしていました。

 そんなある日、一つの求人きゅうじんに目が止まりました。「人まえに立つのが好きで、わりの良い日払いのおしごと」というのが、うたい文句もんくでした。そしてそれはたしかに、わりのよい仕事しごとでした。

 さいしょはノリノリでやっていた彼も、なぜか、だんだんと気のりしなくなっていきました。ある日、そんなつもりはないのに、ぽつっと不平ふへいをもらしたら、その月から、とつぜん給料制きゅうりょうせいになり、福利厚生ふくりこうせいがつくようになりました。けっきょくのところ、それらが動機どうきづけとなり、あきっぽい彼を、やめさせなかったのでした。

 彼は後悔こうかいしていました。たいして賃金ギャラが上がったワケでもないのに、それをえらんでしまったことに。むしろ源泉徴収げんせんちょうしゅうという名目めいもくで、へったくらいでした。身分みぶん保証ほしょうという、自由民じゆうみん(依存民)にとっての、縁遠えんどおあまいひびきに、彼はまどわされたのでした。

 どう考えたって、長つづきするような職種しょくしゅではありませんでした。けっきょく、歩合ぶあいの方が、わりがよかったのです。ありていに言えば、彼はだまされたのでした。

 それをみとめるとくやしくなり、みとめないと、なかったことになるので、もっとくやしくなります。でも今さら、どうすることもできません。どうころんだって、けでした。そんなわけもあってか、彼はむかしのことを思い出すのがきらいいでした。

 それにくわえ、今でもうまく説明せつめいするのがむずかしいのですが、ハラが立つというより、なによりゲンナリしたのは、とうじ、彼の身のまわりにいた大人たちでした。

 なんというか、その鼻持はなもちならない、玄妙げんみょうさをよそおった、気どった態度たいど。ほぼ全員ぜんいんが「オレだけが大局たいきょくに立ち、俯瞰的ふかんてきにものごとが見えているんだぞ」という口のきき方で、慇懃無礼いんぎんぶれいさをよそおった下に、それがけて見えていました。

 とくに彼のような、一見同列いっけんどうれつで、かつ下の立場たちば同性だんせいには、ポリティカル・コレクトネスを気づかうこともなく、いっそうそれが顕著けんちょになるのでした。もっともダイの方でも内心ないしん、彼らのことを一括いっかつして、「キモヲタども」と、さげすんでいましたが。

 じっさいメンバー間でも、口ゲンカがたえませんでした。大方がカンオンもちで、自立民じりつみんである彼らの特徴とくちょうは、どんなにケンカになっても、けっして暴力ぼうりょくにうったえないところにありました。それがまた、自由民いそんみんそだちのダイを、イライラさせるのでした。

 また、彼らの中には、かつてのメンバーとの訴訟そしょうをかかえている人も、少なからずいました。いちばん年下で、実質じっしつペーペーのダイにすら、裁判費用さいばんひようのカンパをもとめられたときには、さすがに閉口へいこうさせられました。

 彼らはみずからの言論的立げんろんてきた位置いちを、超保守主義ちょうほしゅしゅぎとしていました。もしくは積極的後退せっきょくてきこうたいとか、明るい中世ちゅうせいとか、活発かっぱつ原始げんしなどと、もったいぶって定義ていぎしていました。彼らは論破ろんぱというコトバをよく口にしましたが、それになんの価値かちがあるのか、ダイにはサッパリわかりませんでした。

 しかし、その主張しゅちょうのわりには、メンバー内のカーストの上位じょういをしめるのは、より、めぐまれた高度共有者こうどきょうゆうしゃ(高学歴者)たちでした。――めぐまれたというのは、本人の資質ししつ環境かんきょう、つまり生まれとそだちのうん要素ようそと、彼が将来しょうらいみずから習得しゅうとくするであろうペルソナ(社会的外面、身分)が、ほぼ変わらないからです――さらに有利ゆうりなのは、見た目がスマートなものや、生まれつき他人ひとから好印象こういんしょうやすい、タレント特性とくせいをもち合わせた人たちでした。クラランではありきたりの、評価型社会ひょうかがたしゃかい縮図しゅくずそのものでした。

 おなじ高度共有こうどきょうゆうでも、適正てきせいによってり分けられた理系適正出身者りけいてきせいしゅっしんしゃが、文系適正出身者ぶんけいてきせいしゅっしんしゃをこき下ろすのは常態デフォルトで、おたがいの出身解放区しゅっしんかいほうくを、古めかしい名でよび合ったりする、キザったらしいのもいました。

 プライベートでも、彼らは安心あんしんしていられません。その差異化さいかは、趣味しゅみ範囲はんいにもおよびました。各自かくじ趣味しゅみ種類しゅるいと、その村内そんないにおけるランクづけもあったからです。彼にはついていけない、に入りさい穿うがった、セクトわけの細分化さいぶんかがされていました。おもしろいのは、金持リアじゅうちほど自然派アウトドアで、底辺ビンボーほど画面派インドアなとこでした。

 一方、とるに足らない趣味しゅみ、にわか、深入ふかいりしすぎは、ヲタクとよばれる原因げんいんになりました。そんな烙印らくいんをおされるようなヤボったい人は、どんなにえた発言はつげんをしようともかろんじられ、みんなからされることはありませんでした。

 彼らは、比較ひかくとりことなっていたのでした。彼らがもっとも意味嫌いみきらうルソーが、なにより問題視もんだいしした、楽園追放らくえんついほうによる災厄さいやく重荷おもにに、だれかれとわず、みんなとらわれていたのでした。

 ダイにとって、現実げんじつが見えているか、いないかなんて、どうでもいいことでした。彼にとって重要じゅうようなのは、「なぜ」ではなく「いかに」でした。リアリティよりアクチュアリティ、現実げんじつより現実味げんじつみでした。それを心地ここちよく、こころよく、あじわいたいだけでした。

 ある時、ある幹部かんぶクラスのメンバーが、それを見すかし「行為にあらず、行為に関する意見こそ、人を動かすものぞ。――エピクテートス」と、いいはなちました。キョトンとするダイ。彼を尻目しりめにやつはナカマとクスクス。ワケがわからないので、はずかしくも、くやしくも、なんともありませんでしたが、じぶんが侮辱ぶじょくされたことだけは分かりました。彼はただ、デスノートにやつらの名をしるしただけでした。だれもカンオンによるカンニングは、問題もんだいにしませんでした。

 そんな彼でも時として、気にいらない原稿プロンプターには、言いそびれるとか、滑舌かつぜつをわるくするといった、無意識むいしき編集こうぎをするのでした。

 いよいよ当局とうきょくの手がせまったとき、彼をがしてくれたのは、いがいにも、そんなヲタクとよばれる人らの、ポンコツ・リーダーてきな人でした。――おだててメンドウなことをおしつけ、ポンコツあつかいすることでしか上の立場たちばをゆるせない、しき民主主義デモクラシーです――おなじヲタク実動部隊じつどうぶたいの中でも、バイトリーダーと、やゆされている人物じんぶつでした。彼がすべてを手配てはいし、要領ようりょうよく、ダイをみなとまで手引きしてくれたのでした。人は見かけによらないと、今でも彼は、そう思っていました。

 その分かれぎわ、彼に、こういわれました。

「むこうについたら、三人の男たちがいる。きみは、その三人のそばにいるだけで、それ以外いがいなにもしなくていい。ただし、なにがあっても24時間、その指環ゆびわだけは、けっして外してはならない」

――と。

 ダイはころんだまま、クルクル指環ゆびわをいじくりまわしていました。べたべた指紋しもんだらけにして、ためつ、すがめつ、それを、ながめていました。

 おかでの記憶きおくはしだいにうすれ、にくしみは抽象化ちゅうしょうかされていきましたが、その男のかおだけは、今でも鮮明せんめいに思い出せるのでした。


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みなし児ヴィデオ・オレンジ 32 (ダーティワーク 2 地下)

スマホ640pix



      ダーティ・ワーク 2 地下


 ソルはけっしました。

 ここまで来てしまったのです。今さら、ちゅうとはんぱに、後もどりなんかできません。とにかく、いけるとこまで、いくまでです。

 どういうわけか、おじさんの監視かんしもゆるみ、そこらをブラブラしても、なにもいわれなくなりました。おじさんは、さっき帰って来たかと思ったら、あわただしく、またどこかへ出かけてしまいました。なんだか、わすれられたみたいで、ひょうしぬけした感じです。

 事情じじょうはかりかねますが、チャンスなのは、まちがいありません。カバンの中には、水と食糧しょくりょうが入っています。いつでも出発しゅっぱつできるよう、準備じゅんびをおこたりませんでした。ぐずぐずしていたら、おじさんの気が、かわってしまうかもしれません。彼は思い出したのです。まつことはどくなのを。保留ほりゅうすることはあくなのを。ソルはただ、出発しゅっぱつするために出発しゅっぱつしたのでした。

 ガチャガチャ表玄関おもてげんかんのカギを開け、カーテンのおりた部屋へやから外にでました。

 ざしが目にさささります。太陽たいよう頂点ピークにさしかかっていました。かぜかず、うごくものはなく、陽射ひざししと静寂せいじゃくだけがありました。

 太陽たいよう高気圧こうきあつ死神しにがみせられて、正午しょうご幽霊ゆうれいたちも彷徨さまよいだす。あたりは、そんな気配けはいにみちていました。

 ひと時のあいだ、ソルは立ち止まっていました。そこからあらためて、足を海にむけました。

 まず念頭ねんとうにあったのは、カバンの中身なかみへのけねんでした。また、彼はなりゆきに対して、つごうよく考えていました。

 とちゅう、いいかんじの土があったらし。ないなら、そのまま海までいって、なげててしまおう。とにかく海にさえいったら、(この状況下じょうきようかからぬけ出せられる)なにかいい「きっかけ」でがあるかもしれない……。

 じっさい彼は、のうてんきにかまえていました。

 今までだって、うまくいったんだし、だから、これからだって――

 と、いうわけです。

 ピタっと、止まりました。

 海までのルートは、一度とおった道なので、えらびやすい道でした。でも、つかまった道でもありました。あの北サツマ通り商店街しょうてんがいが、まちかまえています。ちょっとまよいましたが、けっきょくヤメにしました。きびすをかえし、進路しんろぎゃくにとりました。

 銀行ぎんこうに、もどってきてしまいました。開いたままのカーテンが気になり、しめなおしました。

 そこから、やく100メートルほどすすみました。

 なにもおきません。

 また、100メートルほどすすみました。

 なにもおきません。

 そのまま歩きつづけます。

 やっぱり、なにもおきません。

 どんどんすすんでいきます。

 歩いても、歩いても、なにもおきませんでした。

 だれからもび止められず、じゃまもされません。ずんずん一直線いっちょくせんに、歩みをはかどらせていきました。

 交差点こうさてんまできました。ギラつく直下ちょっかざしに、信号しんごうのランプは、角度かくどによってともっているように見えました。潮風しおかぜにさらされ、塗装とそうげ、サビがうき、それはたしかにしんでいました。ななめに横断おうだんしながら、小さくなった銀行ぎんこうを、目のはしにおさめました。

 なつ正午前しょうごまえ。青一色につぶれた空に、石膏せっこうのような白いくも。とおめに整然せいぜんうつくしい廃墟はいきょは、デジタル写真しゃしんとなって、永遠えいえんかたまっていました。




 だんだんと坂道さかみちが、のぼり勾配こうばいになってきました。

 とにかく早く、ここからはなれようと、もくもくとソルはも歩いていきます。歩くことに没頭ぼっとうしていると、あたまがニュートラルになって、ささくれ立ったこころが、なめらかになっていきました。

 住宅街じゅうたくがいまで来ました。前方にみどりのカタマリが見えます。へいからハミ出た葉叢はむらに、マーブル模様もようのスズメバチのが、ぶら下がっていました。その間近まぢかを、スレスレあおぎ見ながら、とおりすぎていきます。カンオンのいない自立民じりつみんの子は、世間せけんしらずのコワイモノしらずで、子でなくてもアブナッカシイのでした。

 アゴから指先ゆびさきから、あせがしたたり落ちます。アスファルに黒いツブが、点々てんてんとついていきました。

 電柱でんちゅうによりかかった自動車じどうしゃがありました。サイドブレーキがあさかったのか、経年劣化けいねんれっかなのか、ズルズルと下がって、ぶつかったようでした。早目にあたたったらしく、トランクパネルだけが、かるくヒシャゲていました。

 坂道さかみちをかるくいきをはずませ、あちこち視線しせんを走らせていました。風景ふうけいに気をうばわれ、地面じめん物色ぶっしょくするのを、わすれていました。見とおしのきく右はじにラインをかえ、反対側はんたいがわも見のがすまいと、カメみたいにクビをのばして歩きました。


――ハッとなります。

 しばらく、ボーっと歩いていました。さっき、しきりなおしたばかりなのに。また、まんぜんと風景ふうけいを見おくっていました。

 ソルは「通りすぎる風景」に、目がありませんでした。まるでそこに、自己じこ実存じつぞん秘密ひみつでもかくされているかのように、もしかしたらその中にこそ、ほんとうのじぶんの故郷いばしょ発見はっけんできるかのように、彼は、彼じしんが風景ふうけいになりきってしまうほど、それを見つめるのでした。

 あらためて見るまち景色けしき。さまざまに自己顕示じこけんじする民家みんかは、ワイセツにすら感じられました。様式的無制約ゆるさをしばるのは、ゆいいつ経済的条件ビンボーだけ。他にるいを見ない、無個性むこせい個性こせいたち。ひるあかりにあられもない、商魂しょうこんたくましいカンバンの数々かずかず。それら雑踏ざっとうを上から構成コンポジションしようと、モンドリアン調ちょうの黒い電線でんせんこころみますが、それがさらに、五月蠅うるささをましているのでした。

 眼前がんぜん風景ふうけいよりも、放置ゆるされている、ということの衝撃しょうげき。ホルスのすむ自由民いそんみんまちにもまさる、景観条例けいかんじょうれいをものともしない猥雑わいざつさ。それをかろうじてすくっているのは、老朽化ろうきゅうかし、時代じだいにとりのこされたひなびのデカダンであると、すくなくとも、彼にはそう感じられました。

 スズメが、おそろしいほど電線でんせんたかっています。中にはハクセキレイも、チラホラまじっていました。そこからあぶれたものは、三メートルじゃくの、街路樹がいろじゅのブラシのえだがしなるほど、たわわに止まっていました。

「ピィー」と、ヒヨドリが低く、水平すいへいに横切りました。人のあたまにかぶりそうなほど、たわんだえだまで、鳥たちであふれかえっています。どんなにちかづいても、とび立たとうとする気配けはいもありません。まっ白になったアスファルトをさけ、うかいしました。

 うみの見える高さまでくると、土砂崩どしゃくずれに行きあたりました。まわりこんで、低いところからならえられますが、この先べつに、目的地もくてきちがあるわけではありません。

 みどりい山の斜面しゃめんは、そこだけ赤茶色あかちゃいろく、土肌つちはだがむき出しになっていました。山というよりおかのような山は、細い杉木立すぎこだちが、びっしりスキマなく生えています。竹林ちくりん怒涛どとうとなっておしよせ、民家みんか裏庭うらにわをおおい、家を半分かくしていました。彼はコンクリートの法面のりめん側面そくめんをはい上がり、せまいてっぺんに立ちました。背中せなかをむけてしゃがみこみ、ナップサックから持参じさんした、園芸用えんげいようシャベルをとりだしました。

 いきを切らし、ダラダラあせをかき、ドロまみれになって奮闘ふんとうしていました。さっきから石にぶつかってばかりで、ぜんぜん、ラチがあきません。いくら斜面しゃめんをほっても、いたずらに土がくずれるばかり。

「あーもう、オレこんなこと、むいてないから!」

 そのばに、ヘタリこみました。

 ここへきて、はじめてまちでのくらしがしのばれ、きゅうにクラランがこいしくなりました。

 呼吸こきゅうが落ちつくと、よっこらせと、立ち上がりました。黒いハートマークが、コンクリートにあせでできていました。彼はあたりをブラつきはじめました。

 ここらへんはちょうど、町から山に入るさかい目でした。なかばたけまれた最後さいごの家の後ろに、未舗装みほそうのわき道がありました。彼はそこへむかって下りていきました。

 大型車おおがたしゃが行き来するような道を、Uの字に二回まわり、広場ひろばにでました。もられた残土ざんどの山にはみどりが生いしげり、そこかしこに、夜にく、メマツヨイグサの黄色きいろつぼみが見えました。ピラミッドじょうにつまれたコンクリートブロックと、けい4WDがスッポリ入るサイズの、輪切わぎりりの土管どかんがありました。中には雨風あめかぜによってはこばれた土に、ヨモギが生えていました。広場ひろばのすみ、それもなぜか断崖側だんがいがわに、クリーム色でドアがあせた朱色しゅいろの、プレハブ小屋ごやがありました。

 土埃つちぼこりのヴェールのかかったまどからのぞくと、かさなった赤いコーンと、線路せんろ枕木まくらぎとおなじニオイのしそうな、黒ずんだロープの山がありました。黄色きいろくろ縞模様しまもよう工事用こうじようバリケードがたたまれ、整然せいぜんれつになっていました。

 ドアにはカギが、かかっていましたが、毛スジほど、まどが開いていました。力をこめると、グッ、グッ、グッ、と少しずつ開いていきます。

 あるわけもない赤外線せきがいせんセンサーをおそれ、ビクビクしながら、はなをのこしてかおを入れました。かべにつるされた黄色きいろいヘルメットの下に、かたまったコンクリの付着ふちゃくした、紺色こんいろのネコぐるまがありました。そのバケットから、スコップのがハミ出ていました。

「やた!」




 ガラガラ、コンクリのついたおもいスコップを引きずって、やっと、もとへ帰ってきました。これで念願ねんがん道具どうぐはそろいました。やっと、再開さいかいできます。

 石にあたると、火花ひばながとびちりました。手がシビレて、をつかんでいるよう感じません。大小の石を白く引っかいてほりおこし、土をこそぐよう、根気強こんきづよあなを広げていきました。

――と、今までにない感触かんしょくにあたりました。

 長い力仕事ちからしごとをしていると、立ち止まったり考えたりするのが、おっくうになります。このままいきおいにまかせ、グリグリやりました。とたんにうでをとられ、まえにたおれました。

「――っぶ、ねえなあ」

 ベッタリ手をついた姿勢しせいから身をおこし、ソルは土をはらいました。スコップは、馬蚊みたいにピーンと直立ちょくりつしていました。先がなにかに、はさまっているようでした。ゆっくり左右にふって、引っこぬきました。

 土底つちぞこは黒く、もり上がった感じですが、土がかかってハッキリとしません。かげになった土をどかしてゆくと、はば25cmほどのポリエチレンのくだがあらわれました。それも一本だけではなさそうです。土の下で何本なんぼんも、たばになっているようでした。

 これをさけてりすすむのは、ほねがおれそうです。かといって、どかすことはできません。よく見ると、表面ひょうめん蛇腹じゃばらに、さけ目がいていました。

 ソルはそこまで推理すいりしませんでしたが、その鋭利えいりではない亀裂きれつと、外皮がいひかたさから、スコップでけたものではなさそうでした。土砂崩どしゃくずれれによる、ねじれの圧力あつりょくによるものと、判断はんだんしてよさそうでした。

 ためしにスコップをさしこむと、ブブッとささり、しんで止まりました。

 そこであきらめました。

 彼は、なぜか今まで背負せおったままだった荷物にもつを下ろし、じかにすわりました。ナップサックの口をほどき、白いレジぶくろに入った、れいのカタマリをとりだしました。

 さあ、ここからが、ほんとうのよご仕事しごとです。

 小指こゆびを立てた指先ゆびさきだけで、二重にじゅうのレジぶくろの外がわを一枚いちまい、ペロンと、はがしました。へばりつく粘液ねんえき蜘蛛クモいとを引き、くさっったさかなにおいが、いっそう強くもれ出しました。なるべくうでをのばしてとおざけ、さかさにフリ、落っことそうとします。

「ぷっ――、ぺっ、ぺっ、ぺっ」

 しぶきが、かおにとびました。

 ガサガサ音をたて、なかみを落とそうとします。トロトロの茶色ちゃいろ液体えきたいいとを引き、たれ下がって、どうやってもフリ切れません。

 ここまでソルは、彼にしてはこの物体ぶったいに対して、みょうに手間をかけ、手こずってきました。水葬すいそうらなかったとはいえ、今までの彼の行動こうどうパターンなら、さっさと海へすてても、よさそうだったのに。イヤなモノを後まわしにしているうちに、ここまでながされて来てしまったのでしょうか? それとも、いのち尊厳そんげんとやらに、敬意けいいをはらった結果けっかなのでしょうか? なんなら彼の中の、究極的集合的無意識かみ犯人説はんにんせつでもかまいませんが。

 かるくなったと思ったら、もう落ちていました。




 じつはおじさんは、銀行ぎんこう地下ちかでつづいている、となりの郵便局側ゆうびんきょくがわにいました。おじさんはふね準備じゅんびがすむまで、ソルのことは、しばらく、ほおっておくことにしていました。どうせ子の足で、そう、とおくへはいけません。なによりここは、はなれ小島こじまです。それに、ソルがいなくなっても、海までのせまいエリアをカバーする、(今や公然の秘密となった)手段しゅだんくらいありました。よけいな、とりこし苦労ぐろうは、時間じかん労力ろうりょくのムダです。彼は準備じゅんびがととのうまで、じぶんの仕事しごと専念せんねんすることにきめたのでした。

 今、彼がとりくんでいるのは、データの消滅終了しょうめつしゅうりょう視認チェックでした。すでに、カンオンじしんが、膨大ぼうだいりょうのデータを複数回ふくすうかい裁断さいだんし、再確認ベリファイをかさねていました。そのなかみは、おもにつかわれなくなった住所録じゅうしょろくや、ダミー会社がいしゃ代表者名だいひょうしゃめいなどの、アカウントデータでした。

 それらの消滅しょうめつは、集団的個しゅうだんてきこであるカンオン同士どうし(ここでの集団的個とは、秘密の取引関係をもつ、特殊カンオン同士のみをさします)によって、多面的ためんてき多層的たそうてきにおこなわれていました。その一方、特殊とくしゅカンオンはもちろんのこと、一般いっぱんカンオン間においても、不干渉ふかんしょう独立性どくりつせい強固きょうこ保持ほじによって、個々ここ何重なんじゅうにもなされていました。そうすることによって、フォレンジック・ツール(情報の証拠保全、不正アクセスの追跡を行う手段)などによる、データのサルベージ(救出)を、不可能ふかのうたらしめていました。

 ゆう必要ひつようもないと思いますが、これらの作業さぎょうは、すべてカンオンによって自己完結じこかんけつしています。じっさい、おじさんは、いなくてもいのです。彼はそこにいて、ただ見ていればいだけでした。

 しいていえば、彼のしごとは「そこにいること」存在そんざいしていることでした。それは顧客こきゃく不安ふあんへの配慮はいりょであり、純粋じゅんすい無償ただ心理的しんりてきアフターサービスでした。けたちがいのもうけに対して、それが露見ろけんしたときのリスクを差し引いて、番犬ばんけんやとわず、わざわざゴマカシたり、チョロマカしたりするなんてナンセンスです。なにより信用第一しんようだいいちですから。こんな時代じだいなっては、人ができることといえば、せいぜい、信用しんようを売るための「そぶり」ぐらいしかありません。うっているのは、あくまで安心あんしん安全あんぜんなのです。そのための最終儀式ラストセレモニーでした。

 また、このしごとはだれにでもできるし、まったく、その必要ひつようすらないものです。彼がやとわれたのは、もとの職業しょくぎょうがらと、心身両面しんしんりょうめん器質きしつ気質きしつをふるいにかけた、審査結果テストけっかによるものでした。もちろん、審査委員長しんさいいんちょうはカンオンです。彼(カンオン)は自分の意見いけんをゴリおしせず、それにかかわる人間たちに、気配きくばりできるていどのAIくらい、とっくに獲得かくとく習得しゅうとくずみでした。その方が長い目でみて、があると判断はんだんしたのでした。

 ほんらいかくしごとは、それにかかわ人間にんげんが、少なければ少ないほど、いいにこしたことはありません。しかし、そこが悪人(悪人正機説:過を犯す普通の人のこと)のよわさでした。クララン的ポリティカル・コレクトネスからはなれた場所アジールの、こんなところだからこそ、「機械なんか、信用できるか」と、本音ほんねがむきだしになるのかもしれません。

 もう一つには、無法アウトロー特有とくゆう業界事情ぎょうかいじじょうも考えられます。だまし、うらぎり、頃し愛、疑心暗鬼ぎしんあんきがデフォルトの商売しょうばいです。寝首ねくびかれる心配しんぱいがつきまといます。自分の自由じゆうあいし、他人の自由じゆうおそれる彼らは、みずからの自由じゆう放棄ほうきしてまで、そのよるなき世界せかいに、兄弟分ブラザーしばりあいによる安心あんしんをもとめるのかもしれませんね。

 それともたんに、人は人としての誇りプライドがすてられないだけ、なのかもしれませんが。

 他から隔離かくりされたカンオンは、カンオンの中のカンオン、浮島うきしま、もしくはTownとよばれていました。すべてのカンオンは、全体的個ぜんたいてきことして情報共有じょうほうきょうゆうし、かくじの存在そんざい重複じゅうふくさせています。人の双子ふたごとちがうのは、それらの本質ほんしつはデータであって、物質ボディではなく、なにより空間くうかん必要ひつようとしないことでした。

 同期どうきしているカンオンどうしは、常時いつもつつぬけで、空間くうかん占拠せんきょによるオリジナリティの分岐ぶんきがおきません。それに絶対的ぜったいてき依存いそんする、差異さい発生はっせい不可能性ふかのうせいのため、「存在そんざい」が意味いみをなさず、理論的りろんてきにいえば、にはなれないはずでした。

 浮島うきしまは、みずからを、その周辺しゅうへんもふくめ遮断しゃだんしていました。その一方で、一部いちぶのデータのみ、双方向性そうほうこうせいをもたせていたのです。たとえるならそれは、理理無礙りりむげ(情報データ本質イデアはちがいますが)の融通ゆうずうのきくズルさとして、うかんでいたのでした。

 もちろんそれは、人の手によってつくられました。名前なまえもしらない、もしくはわすれさられた、ある天才てんさいによって開発かいはつされたもの、という伝聞ウワサだけがのこっているだけでした。彼は大金を手にした後すぐに頃されたとか、じつは今も生きていて、じぶんの生み出したものすべてを、かげから管理かんりしているのだ、ともいわれていました。

 また彼の動機どうきについて、その存在そんざい不確ふたしかな情報じょうほうでしからない事情通じじょうつうは、ソースもろくすっぽ出さず、無責任むせきにん憶測おくそくをならべ立てるだけでした。

 いわく、彼は普遍ふへん否定ひていし、個別こべつ尊重そんちょうする唯名論者ゆいめいろんしゃ概念論者がいねんろんしゃ、もしくは記号論者きごうろんしゃである。よって、彼にとっての浮島うきしまとは、個別性こべつせいをみとめないカンオン社会しゃかいへの一撃いちげきである。それは革命かくめい常態化じょうたいかした社会しゃかいに対する、反革命はんかくめいのための革命かくめい武器ぶきであって、彼独自かれどくじのオッカムの剃刀かみそりりなのだ。などと、わかったような、わからないような、すきかってなことを言い合っていました。

 それを使用あくようできる立場たちばの人たちは、一種いっしゅのロスト・テクノロジーとして、その仕組しくみを理解りかいできぬまま、つかいつづけていました。彼らはおたがい、短命たんめい劣化版れっかばんコピーを、コピーにコピーをかさねつづけ、できるならそのオリジナルを、かなわぬならよりシェア全体ぜんたいを、かくじ独占どくせんしようとくわだてていました。ときにはナカマどうし、頃し愛ながらも。

 彼らはスパイラルに、アイロニカルに、浮島うきしま存在そんざい幾重いくえにもひずませ、いな、ポップコーンかた手の創造主そうぞうしゅのもくろみのまま、悲喜劇なきわらい再演さいえん再演さいえんのロングランを、つづけていただけなのかもしれません……。

 彼らは、たびたびカンオンから突破とっぱされる、普遍汚染ふへんおせんにもめげませんでした。そもそも、ほおっておいても浮島うきしま盤石ばんじゃくでした。浮島自身うきしまじしんがおこなう生成的せいせいてき無責任むせきにん自動更新アップデートは、ほう不遡及ふそきゅうによる法律逃ほうりつのがれを可能かのうにしていました。のこるは人的妨害じんてきぼうがいだけでした。彼らは金にものを言わせ、ときには実力行使じつりょくこうしせず、あの手この手で社会的処罰しゃかいてきしょばつから、顧客こきゃくともども、まぬがれていました。もっとも、それをまる階級がわこそ、上得意じょうとくいなのですから、はなしになりませんが。

 この世界せかいには、それをより主体的しゅたいてきにであれ、間接的かんせつてきにであれ、りようできる特権的人々とっけんてきひとびとがいるのです。その存在そんざいを知っている上流階級ハイソは、その貴重きちょう貴種きしゅを、ことが荒立あらだてられるのをおそれ、かげに、今日まで大事だいじ温存おんぞんしてきました。

 といっても、そんなの陰謀論いんぼうろんでもなんでもなく、っている人はっている、公然こうぜん秘密ひみつにすぎませんでした。ようはアレよアレ、庶民ビンボーにんにとっての、パチのウラの景品交換所けいひんこうかんじょみたいなもん。



 おじさんは目だけ、せわしなくうごかしていました。一つ一つ、ファイルのDeleteを視認チェックしていました。防水ぼうすい火除ひよけのためのサイドテーブルには、コーヒーのショートかんと、ニコチン0の電子でんしタバコがのせてありました。部屋へやのすみには、ほそ長いダンボールばこが二つあり、一つには未開封みかいふうかんが、もう一つにはすすいだ空きかんが、キッチリつまっていました。その反対はんたい壁際かべぎわには、ことなる種類しゅるい大量たいりょう消火器しょうかきが、ボーリングのピンみたいに三角さんかくによせてられ、酸素さんそボンベとマスクも立てかけられていました。

 銀行屋ぎくこうやは、じぶんでもイヤになるくらいの事務方じむかた、お役人気質やくにんきしつ責任回避せきにんかいひをかこちつつ、Deleteの赤い文字もじを、目を赤くしておっていました。


ギャラリー
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