ニコライは、ピクリとも動きませんでした。
彼は、みんなの中では背のひくい子でした。ソルよりわかりやすい、いわゆる個性的な子でした。共有の時間、とつぜん声を上げたり、たおれてアワをふいたりしました。それをきっかけにして、そのつど、みんなが考えるべき共有のテーマをあたえてくれる、だいじな一員でした。
「ピィーピィーピィー、タンカを、とおさせていただきます。ごちゅういください」
「ピィーピィーピィー、タンカを、とおさせていただきます。ごちゅういください」
「ピィーピィーピィー、タンカを、とおさせていただきます。ごちゅういください」
女性音声による、おねがいが聞こえてくると、チラチラ赤いまたたきが、カベに反映します。
「あ、タクちゃんだ」
「タクちゃんがくるよ」
「タクちゃん登場!」
子らはクスクス、わらってます。
リニアタンカ(地面からわずかに浮いた浮遊型) が、登場しました。前方の運転台に、人がのっています。微速のタンカからおりると、子らをしり目に、そそくさと作業にとりかかりました。
タンカの出動は、カンオンの連携による保護監視下でおこなわれます。つねに監視しつづけている、血圧、体温、心電図、脳波、呼気テストなどの個人データ。および、ぼうだいな量の一般データ。蓄積された双方を比較照合することによって、発病における臨界点を予測します。
その出動指示は、まだ未発症の段階にもおよびました。当人の自覚がないままフライング発車するため、しぶしぶタンカにのせられる、ほほえましい光景が、よく見うけられました。
この手のデータは、共有財産と、なかば社会認知されており、個人と公けの相互利益となっていました。情報が共有化されることによって、病気の早期予防、早期治療に役立ち、全体的医療の向上に貢献していました。
すべてをカンオンに一任することで、予算、運営、管理の一元化がはかられ、さけられぬ超高齢化社会の、慢性的な赤字の解消に成功していたのでした。
「ピーピーピー、きけんだよ。そばに、よらないでね」
「ピーピーピー、きけんだよ。そばに、よらないでね」
「ピーピーピー、きけんだよ。そばに、よらないでね」
赤い回転灯が、クルクル、タンカの前後でまわりつづけています。ボディに「ラブ・バイブ」と「鬼道戦士カンタム・プネウマ」のラッピング塗装がされています。もちろんエリゼの広告収益による、経費削減のためのものでした。
手ばやくベッド台に、使いすてシートカバーをはり、三歩はなれたところから、リモコン操作で平行ブームを下ろします。
「ピーピーピー、ブームを下ろさせていただきます。ごちゅういください」
「ピーピーピー、ブームを下ろさせていただきます。ごちゅういください」
「ピーピーピー、ブームを下ろさせていただきます。ごちゅういください」
手ぶくろにマスクの完全防備をととのえ、ニコライをベッド台にのせました。リモコンでブームを上げて、タンカにのせます。
「ピーピーピー、あぶないよ。ちかよらないでね」
「ピーピーピー、あぶないよ。ちかよらないでね」
「ピーピーピー、あぶないよ。ちかよらないでね」
タク(37)は、准スクールドクターです。ニコライがたおれると、きまってあらわれました。黒ぶちメガネで黒い短髪。もみあげがあり、レンズから小つぶな目がのぞいています。やせ型の平均身長で、スクール・ドクターに似た、あわいグリーンの上下のセパレートをきていました。
「今日のニコライのかかりの人は、だれですか?」
だれもこたえません。
「今日の、ニコライの、かかりの人は、だれですか?」
滑舌よくいいましたが、しーんとしています。
「今日のかかりは、だれよ?」
やや、声をあらげていいました。タクはだれに対しても、ものおじしないしゃべり方をしました。そのせいで、たびたびトラブルにみまわれましたが、生来のハートの強さ(鈍感さ)が、彼をすくっていました。あるいみ彼もまた、個性的な人物でした。もっとも、個性のない人などいませんが。
ほんらいなら、ソウルメイトの異性である女子が「ニコライのかかり」になるべきですが、ニコライのばあい、事情が少しちがっていました。ソルはその役目を思いだし、ビクンッとなって、へんじをしました。
「ハイッ」
「それでは、ほかの子がぶつからないように、タンカの後ろから、ちゅういして、ついてきてください」
タクはマニュアルの文言どおり、一字一句たがわずいいました。彼はチョッとでもマニュアルから外れるのが、不快でした。手引き復帰すると落ち着きをとりもどし、たんたんと仕事をこなしていきます。ソルはおこってないようで、ほっとしました。
「それでは、バックします。みんなさん、さがっていてくださいね」
「はぁーーい」
子らが不必要なほど、明るく大きな声でへんじをすると、小さい声でクスクス、だれかが「みんなさん」といいました。
ギヤがバックに入りました。
「ピーピーピー、バックさせていただきます。ごちゅうい下さい」
「ピーピーピー、バックさせていただきます。ごちゅうい下さい」
「ピーピーピー、バックさせていただきます。ごちゅうい下さい」
間をおいて、タンカがモタモタ、うごきはじめました。
「ピーピーピー、タンカを、とおさせていただきます。ごちゅういください」
「ピーピーピー、タンカを、とおさせていただきます。ごちゅういください」
「ピーピーピー、タンカを、とおさせていただきます。ごちゅういください」
ろう下を徒歩でついてゆくソル。あまりのおそさに、足がタンカにぶつかりそう。彼らがルームを出るのと入れかえに、クルクル青い回転灯を光らせた、清掃用のタートル型ロボットとすれちがいました。
リトリート(保健室的なヘヤ)につくと、鳥のときの若はげイケメンの、スクールドクターがいました。こちらにはかまわず、ピンクのスツールボール(弾力のある球形で、背もたれなし)にこしかけ、カンオンにむかってブツブツいっています。自分の仕事いがい眼中にないというより、仕事がハッキリわかれているようでした。
タクも無視するかのように、こちらの仕事にとりかかります。タクのしじで、ソルも手つだわされます。それは「ミンナノキマリ」という共有要項で、きまっていることでした。鳥のことをたずねたかったのですが、そんな状況ではないことは、さすがのソルもわかっていました。ニコライはベッドにねかされたまま、ピクリともしませんでした。
タクはこしをおとし、視線をあわせ、ソルの体にふれながらいいます。
「それでは、きみが、ニコライの、ホットパンツと下着を、ぬがしてくれるんだよね?」
「きみが」のところを、一番つよく発音しました。タクはマニュアルどおり命令口調をさけ、対等にへりくだって、同意をせまりました。大人として上に立つ加害者意識のなさ、というより、マニュアル原理の近視眼というべきでしょう。とくにタクのばあいは、なおさら。そもそも、さまつなマニュアルの存在こそ、面倒な人たちからの責任回避なのですから。
おどおど、おしきられるソル。使いすての手ぶくろをわたされました。
おそるおそる、ホットパンツを人さし指と親指でつまみ、ぬがしにかかります。
「ゲホッゲホッ、ゲホゲホ、ゲホホホ」
不穏な色になった下着をおろすと、キョウレツなにおいとブツに、むせかえりナミダぐみます。なによりギョッとしたのは、ボーボーで、彼のサイズが異常だったことでした。まだソルだって生えてないのに。
タクのしじどおり、大ぶりのぬれティッシュでふきとるというより、こそぎ落します。可燃腐食性で不透明のジプロックに、大量のぬれティッシュと重い肌着、さいごに手ぶくろを入れ閉じました。それをいわれるまま、ぬこのケティーのゴミボックスへ。ホットパンツもジプロックに入れ、おなじように捨てました。
「ありがとうソル」
ぼうよみで、タクはいいました。
タクは、たなから新しいものを二つだして、ソルに手わたします。
「きみが、ニコライに、新しい下着とホットパンツを、はかしてくれたら、うれしいな」
はっきりした口調に、手ぶりをまじえるタク。彼の横で、カンオンが空中静止しています。ソルから見えない、視野角0度で照射しているのでしょう。作業マニュアル・サーブロックの、一字一句を、正確によんでいるものと思われます。
「ありがとう、ソル」
けっきょく終わってみれば、すべて彼一人でやっていました。これはマイノリティーのたちばにたった、多様性をそんちょうする「思いやり体験学習」のいっかんでした。その間、スクールドクターは、こちらに一瞥もくれませんでした。
「おわりました。スズキさん」
タクがいうと、スクールドクターがうなずき、カンオンとのやりとりをやめました。
「ありがとうソル、よくやってくれたね」
さらりと、スズキ(30)がいいました。
彼はソルをともない、あいているベッドの方へいき、そこへこしかけ、ソルにもすわるようにうながしました。彼はなんとなく、イヤな予感がしました。
スズキがきりだします。
「さあ、きみが今やったボランティアについて、どんな感想をもったか、聞かせてくれないかな?」
ボランティア? ソルは心の中で、反問しました。
「今なにを感じているのか、そっちょくにぼくに、はなしてくれないかな?」
「えっと、かんそうですか?」
「きみはニコライのこと、どう思ってるのかな?」
「かんそうを、ゆうんですか?」
「きみはハンディのある、ニコライのことを、どう思ってるのかな?」
「ニコライのことですか?」
まずいことにソルは、三回つづけて、質問に、質問で答えてしまいました。ヘヤの温度が一度下がりましたが、彼は気づきませんでした。
「だれのことだと思ったの、きみのかかりでしょ」
「はぁ」
「はぁじゃなくて、彼のたちばになって考える、いいきかいになったでしょ」
「マイノリティー学習をしてみた、感想はどう?」
「はあ」
「はあじやなくて」
「なんか、イヤイヤやってなかった?」
「えっ」
「きみはマイノリティーの人のこと、その人の身になって考えたことあるの?」
「その人の気もちになってみたことあるの?」
「……」
「その人の痛みを、わかろうとしたことがあるのかってことを、聞いているの」
「……」
「ニコライは今、どんな気もちだと思う?」
「えっと、今ですか、おきたらですか、想像で、ですか?」
ソルのトンチンカンな空気を無視した発言に、スズキは不機嫌を、ややあらわにして見せました。
「リクツをいってるんじゃなくて、人の気もちのことをいってるんだが?」
ソルはスリーテンポおくれて、のみこみました。この人は議論をもとめていない、ことを。まっさきに気づかなかった、自分をせめました。
「……」
「きみあのとき、すぐに手を上げなかったよね」
「ほらオレが、かかりの人って、言ったときさ」
だしぬけに、タクがわりこんできました。
「ちょっときみは、だまっててくれないか」
イラッとして、スズキがいいました。
「あ、サーセン」
タクは頭に手をやり、すぐに引っこみました。
「へへ、またおこられちゃったよ」
「また、よけいなことをいう」
ななめ下を見て、小声でスズキがぼやきました。
「だいたい、感想を言い合うのは、共有要項できまっていることでしょ。シュザンヌも説明したはずだが? どうもきみは、きみの少しばかりの個性に、ちょっと、あまえているようだね」
「……」
「もしかしてきみは、ニコライとか、ハンディキャップのある子とか、女の子たちとか、マイノリティーの人たちを、無意識に少し下に見てないか」
「いっておくが、彼女たちや彼らの方がきみなんかより、ずうっとガマン強いんだぞ」
「ハンディを、ものともしない、痛みにたえる強さがあるんだが、それがきみには、わかるかな?」
「いえ……」
ソルは消え入りそうな声で答えました。ナミダぐんでいましたが、こぼれないよう、こらえていました。
「だいじなことは、こうしたふれあいの中でカベをつくらず、きちんと意見なり感想をいいあって、おたがいの理解を深め合うことじゃないかな」
「イヤ、これはあくまでボク個人の感想で、一般論でもなんでもないんだが(笑)」
「きみの方は、どう思っているのかな?」
ハイと同意しさえすれば、早めに解放してもらえるのは、じゅうじゅう承知していました。彼の意固地な個性のせいで、素直(~に、という日本語における間接目的語をともなわないコトバ、服従の意)になれませんでした。
けっかは、いつもどおり利をえらべず、理をえらんでしまっていました。利他的共感により、世間からキックバックされる得な利己よりも、正しさという損なコドクを。
成熟(平均域化)できない自分のなさけなさ、不適応さに、彼は恥じ入りました。それとどうじに、ハラも立っていました。議論のよちのない、いっぽうてきなスズキに対して。
ホントか?
ホントウは、はじをかかされて怒ってるだけじゃないのか、幼稚さをかくそうとして、自分にカッコよく怒ってみせてるだけじゃないのか?
じゅくじゅくした感情とコトバがせめぎあい、混乱してきました。
ぎゃくに混乱することで、現実逃避しようとしているんじゃないのか、オマエ。
さいげんがなくなり、いっぱい、いっぱいになってきました。内省はどこまでいっても、病いでしかありません。強制されたとしても、ただ彼の仕事(下着交換)だけは、倫理として残りました。
スズキにだけ、ハラを立ててるんだ。
そう思いこもうとしても、うまくいきません。自分に対する自信が、欠如していたからでした。
「自己を愛する心から、すべて(関係)がはじまる」
気はずかしくも正しい、そんな言葉は、今の彼には想像もつきませんでした。
けっきょく、鳥のことはきけずじまいでした。