小川の先を見ていたソルがいうと、みんながいっせいに、そちらをむきました。かすんだかなたに、川はばと同じ大きさの白い帆影が、うすぼんやり見えています。
「ふぅーね、じゃーん」
ニコライのよろこび顔に、なぜか、とくいになるソル。
「なに、あれ?」
ジュリがききました。
「ふーね、じゃん」
こたえるソル。
「だから、なんで、ここにいんの?」
いぶかるジュリ。
「さぁ」
うそぶくソル。
「あの船ぶつからないの?」
マリが不安げにいいました。
「さぁ……」
ゆっくりゆっくり、遡上する白い船。発見から、実感できる近さまで、しびれが切れるほど、またされました。
「おっせー、おっせーよ」
「すっトロい、船だなぁ」
イラだつニコライ。
「ぶつかるよ、あれ」
「あの船ぶつかるよ」
「ぶつかってもいいの?」
不安をつのらせるマリ。
「まだかよ!」
ジュリは、うたがわしげに、ソルと船とを見くらべています。だまりこくっていましたが、じつは内心ソルも、かなり不安でした。うわぁ、ギッチギチじゃん。アレ……。うんでもまあ、前にも来たっていうし……
スクリューが逆回転して、船が水門の手前で止まりました。目の前にすると、たいした大きさではありません。ボックスカーよりやや大きく、送迎バスより断然小さい、といったところでしょうか。つるっと、まるみをおびた船体と、護岸ブロックとのすき間には、サッカーボール一コぶんほどのスペースしか、あいていません。止まってしばらくの間、モーター音が高鳴っていました。
音がやみました。
「さて」
とは、いったものの。ソルはどうしたらいいか、わかりません。とりあえず水門に歩みより、赤茶色にサビたハシゴを、よじのぼってみます。てっぺんは、サビついた鉄枠に囲われていました。舵輪みたいなハンドルがあり、もとの水色が、かすかにのこっていました。
こればっかりはカンオンに、たよれません。りょう手でつかんで、順手で回そうとしましたが、回りません。こんどは逆手にもちかえました。
ウンともスンともいいません。ハンドルにのぼって、グングン体重をかけ、鉄枠をつかんだまま飛び上がって、蹴るようのっかったりしました。足のウラがいたくなっただけでした。
「まぁムリ、だわな……」
「おーい、ニコライ!」
「ちょっと、こっちこいよ!」
彼らしくもなく、しかたなく、たすけを他人にもとめました。
共同作業で、ちょっと居心地のわるいソルですが、背に腹は代えられません。こんどは二人がかりで、ニコライと左右にわかれ、ハンドルまわしに挑みます。
全力をふりしぼってみたけど、やっぱりダメでした。こんどは上下にわかれ、ニコライがハンドルにのぼり、ソルがぶら下がります。ニコライがグングン足でおし、ソルがそれに合わせ、体重をのっけて引っぱりました。
いったんやめて、おき上がるソル。しきりなおしをます。ニコライにはジャンプしないで、力だけ入れるよう指示しました。逆手でハンドルをにぎったソルは、足を「つっかえぼう」にして、ふんばります。
「ぐっ………………」
ガクン、となりました。
「まだヤメンナ!」
さけぶソル。ニコライが体重をのせかかるたび、ちょっとずつ、ずれるハンドル。あるていど下がると、ニコライはのりなおします。体勢をととのえると、また二人でくりかえします。あきずに、なんどもなんども。
なんとかなりそうなところまでくると、もどかしいソルは、一人でハンドルをもちました。めいっぱい背筋 に力を入れ、まわしていきます。
まだまだぜんぜん、門扉はビクともしません。ソルが根を上げかけたころ、ようやく変化があらわれました。
プクプク扉のきわで、あわが立ちはじめました。わずかに上がったような気もしますが、大きな変化は見られません。池と川の水位が、かわらないせいでしょうか? 水のうねりがおきず、いたってしずかなままです。
体力が底をつきました。しかたなく、ニコライに手伝ってもらいます。しばらく二人で奮闘しても、なかなか、しきり板の底が見えてくる気配はありません。ウラがえった、悲鳴のような声を上げるソル。
「まぁだっ、かよっ!」
やっと水面がゆらぎ出すと同時、いっきに、にごってしまいました。どっちからどっちへ、ながれこんでいるのか、わかりません。でもそろそろ、しきりの底が、見えてきそうな気配がします。
コククリートにねころんで、あせだくのソル。いきが上がり、手はまっ茶色で、鉄くさいニオイがしました。気がすすみませんが、ソルは、もういちどおき上り、再開します。いつまで立っても終わらない、むげんにとおざかるゴールポストのようでした。
ほぼ上がりきった、そう思ったやさきでした。
「コオォン、コオォォン、コオォォォンオン、オン、オン、オン……」
やおら、停止していたエンジンが、うなりはじめました。さざ波が水面に立ちます。
「なんか、いってるぞ!」
ソル。
「うごけ、うごけ!」
はしゃぐニコライ。
「カッ、ツツン」
マリンギヤが、ニュートラルから前進クラッチへ入り、船がゆっくり、うごきはじめました。
「バキバキバキッ! ボクンッ」
エコプラスティックのかざり帆が割れ飛びちり、細片が粉のように浮かびます。グラスファイバーでおおわれた船体とちがって、そこだけべつの素材でした。むきだしになった、か細い金属の支柱が、直角に、おれまがりました。
けたたましく耳ざわりな音を上げ、左右の壁に体をバウンドさせ、デッキに帆をねかしたまま、水門にシゴかれるよう、つうかしていきます。
ほほをひきつらせるマリ。ジュリもふるえています。二人とも耳を手で、おおっています。ニコライをのぞいて、みんな青ざめた顔をしていました。その音は「お前の先はない」とばかり、ソルの前に立ち塞がっているようでした。
「ギギギギギギギギギィィィー、ザシュッ」
栓がぬけるよう、四角い穴から船尾が出ました。
惰性で池の中ほどまでたどりつくと、スクリューを逆回転させ、船は停止しました。
さざ波がソルたちのいる端まで、おしよせてきました。モーターが終息にむけ、回転数を上げます。
「ウィィィィィィィン……」
「カッカッカッ…」
だんだんしずまってゆくと、かわいた音を立て、モーターが完全に沈黙しました。
しばらくの間、みんなは、むごんのままでした。
「あ~あ」
やっぱり口を開いたのは、ニコライでした。
「やっ、ちまったな」
「……」
「……」
「……」
むごんのままの三人。
シクシク、マリが泣き出すと、ジュリが背中から、だきかかえます。
「しーらね、おれ、しーらね」
他人ごとのニコライ。
「ゴトンッ」
船内で金属が落ちたような音が、ひびきました。小さな波がおしよせ、護岸ブロックにあたりました。
「ガッガッガッ」
「ガリガリガリガリ……」
「ゴウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……」
今までとは、ちがう機械音がなりだしました。
鳴動、振動する船から、チャプチャプ波頭が立ちます。熱をもったダクトから、うっすら蜃気楼が立つと、異臭をともない、灰色のケムリをはき出しました。
ソルたちから見えない船尾から音がして、船が左右にゆれました。いっそう高鳴る機械音。なんだかもう、とんでいきそうです。
高々と茶色い壁が船の背後に上がり、にごったが水しぶきが、ソルたちにふりかかかります。
「うわぁ、下がれ下がれ!」
目をおおい、うでをまわして、さけぶソル。いったん引くと、マリがのこっているのに気づきました。もどって肩をつかんで、電車ゴッコみたいに、おしていきました。
「ピャー」
うれしげに、奇声をはっするニコライ。
「んもおぉ、どおしてくれんのよ、これ!」
ジュリのみじかいポニーテールは、ぬれてさらにみじかく、なっていました。
ソルはなにか、あきらめたような表情をみせ、ナップサックをあさります。ハンドタオルを出すと、ジュリになげました。
「おまえじゃないからな」
カンオンが、みんなに温風をあてはじめました。はた目に心細げでも、けっこう効果はあります。ソルは、どうせすぐ乾くしと、高をくくっていましたが、じっさいそうでした。機能性の高い、ソルとニコライの友服は、乾くさいの発熱作用で、かえって汗ばむほどでした。むしろ、女の子二人の高価な「よそゆき」の方が、機能性は低かったのです。ただそのぶん(?) 、オシャレのための重ね着をしていましたが。
ジュリはマリの頭をふき終わり、ながいマリの髪を、手グシですいていました。
「これ、ひっさしぶりー」
ニコライはカンオンの温風を、たんのうしているようでした。
船は切り返しをつづけ、池をジグザグランダムに、うごきまわっているよう見えました。
数十分後、やっと停止しました。氏んだように、船はしずかになりました。
「こわれた」
そっちょくに、ニコライがいいました。
「おなかが、いっぱいになっただけだろ」
自分を安心させるように、ソルはいいました。
「こわれたんじゃない?」
しんぱいするマリ。
「だから、くるとちゅうで、もうこわれてたのよ。ねっ」
といって、ソルを見るジュリ。
「……」
もはや彼にはことが大きすぎて、いやな未来、それも未知数のそれを、先まわりで考えられませんでした。まじまじと、船を見ているだけした。
繊維がむき出しの舷側。舵室にのった、おれたマスト。甲板に粉々にとびちった、飾り帆の破片……。ソルの目の前には、彼に不利な決定的物証ばかり、出そろっていました。それらを客観的にしか受け入れられない、自分がいました。
「カッッン」
かるい音が船内から、こだましました。
「シュルシュルシュルシュルシュル…………」
「モーターがうごきだした」
ちょっとホッとして(?) 、ソルがいいました。
「チッ、しんでなかったのか」
したうちするニコライ。
氏というコトバに、ドキッとするマリとジュリ。少しムッとするソル。
船は効率的に切り返し、360度回頭しました。
「なんだ、かえっちまうのか」
「ところで、どこにかえるんだよ?」
ニコライがソルを見ていいました。とうぜんソルは、むごんのままでした。
「これ、わたしたちが、こわしたことになるの?」
マリがたずねました。
「えー、ならない、ならない。ならないよ」
ジュリがマリをだきながら答え、ソルにむかっていいました。
「まったく、だれかさんのせいで、ひどい目にあったわ!」
やっぱりソルは、むごんのままでした。
のろのろのろのろと、水門にむかう、満身創痍の船。キズとは無関係ですが、よそうどおり足のおそい船を、みんなで見おくっていました。ソルはみんなの後ろにまわて、ナップサックと袋を、ひろい上げました。ぬき足で、そのばを立ちさります。
「チョットなに!」
ジュリが気づきました。
彼は水門に上がっていました。
「なにやってんの!」
きわめて低速で侵入してくる船を、見下ろします。せまい水路のせいで、さらに徐行しました。
「チッ、はやくしろよ」
イラだつソル。ふりかえって見ていませんが、ジュリたちの声が、どんどん大きくなってくるような気がします。遅々として進まぬ船。拷問のような猶予が、彼をかり立てます。おれたマストの根本をさけ、ジャンプしました。
見上げるソル。逆光を背に、まっ黒な三人。といってもじっさいは、たいした高さでもありませんが。
歓喜がこみ上げる間もなく、予期せぬ事態がおこりました。
「ドタ、ドタ、ドタ」
地震みたいに船ゆれました。甲板と護岸ブロックが水平になったところから、三人がのりこんできました。
「おじゃましまーす」
笑顔のジュリ。
「なんで、くんだよ!」
おもわず、どなるソル。
「マリまでつれて!」
「しょうがないでしょ!」
「あんたが、かってにいくからよ!」
どなりかえすジュリ。
「かってに、ついてきたんだろが。なんでお前までいっしょなんだよ!」
二コライにも、ほこさきをむけます。
「おこってる、おこってる~」
にやけるニコライ。
心底ソルは、がっかりしました。
「なにやってくれたんだよ……」
頭かかえるソル。ほんとに、なにやってくれてるわけ……