スマホ640pix



      兆し



 単純計算たんじゅんけいさんで引きかえすには、きた時とおなじくらいの時間が、かかるはずでした。だとしたら、やく一日半といった、ところでしょうか。それくらいのガマンは、ひつように思われました。

 なんの目やすもない、茫洋ぼうようとした海にとりかこまれ、いけのようなおだやかな波間なみまをゆくふね太陽たいようが高いときは、どちらにむかってすすんでいるのかも、よくわからず、じつは止まったままかも? と思うほど。巨人キュクロープスの目で見れば、白いヨットは模型もけいみたい。船首せんしゅ喫水線きっすいせんから船尾せんびまで、右肩上みぎかたあがりのまっぷたつに切りとって、カポッと青い波模様なみもようデコパージュにはめんだ、のかけた貧相ひんそうなスケールモデル。午後の幽霊ゆうれいねむりこけそうな昼下がり。時間をうしなった永遠えいえんの今が、局地的海上きょくちてきかいじょうにとどまっていました。

「コッコッコッ」つつくように、ときおり小さく咳払せきばらいするモーター。みんなをわれにかえそうと、ノックします。あらためて空気をすいこんで、しおのニオイをがなければ、海にいるのをわすれてしまいそう。さんざんしたしんだ、船腹せんぷくをうつ波音なみおとには、もうなれっこ。じぶんの心音しんおんみたいに、のうがやすやすカットします。かえって静寂せいじゃくがならす耳鳴みみなりをうち消し、おだやかな緩衝材かんしょうざいとして、外界がいかい遮断しゃだんするのに役立やくだっています。もはや人のたてる音しか、子らの耳にはとどきません。

 いつしかソルたちは、ふだんと変わらない時を、すごすようになっていました。海のまっただ中にありながら、エリゼにいるような、盤石ばんじゃくな地面に立つ建物たてものの中にいるような、そんな気ぶんに、どっぷりとつかかっていました。




「う”あ”あ”あ”あ”あ”あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 ニコライの絶叫ぜっきょうにドキッとしましたが、なれっこなので、みんなでスルーします。

「あ”あ”あ”あ”あ”あぁぁぁぁ××******×××××***×××***××あああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”××***×***ぁぁぁぁぁ――

 無意味むいみなコトバのられつに、彼の個性ほっさというべつの不安要素ふあんようそあたまをもたげ、みんなの心にかげがさしました。

「ヒマなんだぁよおぉぉぉぉぉぉおおおぅぅぅうううう!」

 意味いみのとおったコトバにてんじると、ホッとして、みんなはちょっとムッとします。

「きゅうに大きな声ださないでよ! そんなことは、みんなわかってんの」

 おこってジュリがいいました。

「だって。」

 ホッとしたマリが、ジュリにかぶせます。

「みんな、そうなんだよ。ニコライだけじゃないんだから」

 と、あいづちをうちました。

「あ”あ”あ”あ”あ”あああああああぁぁぁぁぁぁぁ!」

「……」

 いちばんホッとしているのは、だまっていたソルでした。ふうー、セーフ。あぶない、あぶない。冷汗ひやあせが出ました。

「ヒマだ、ヒマだ、ヒマだ、ヒマだ、ヒマだぁぁああぁぁぁよぉおおぉぉぉぉ――

「だあー、ウッサイ! ウッサイ! ちよっとぉ、ソル! あんたもなんか、いいなさいよ。おんなじ男子でしょ!」

 おなじね……。ないしん、つぶやくソル。

「さっきやった、アメでもなめてろよ」

「もうない」

 ポツリというニコライ。

「?」

 なんのことか分からないソル。

「もうない!」

 大声をだすニコライ。

「しるか!」

 つられて大声をだすソル。

「もお、しずかにして! マリのおなかにわるいでしょ、赤ちゃんになんかあったら、どうすんの!」

 ジュリが一ばん大きい声で、どなっていました。

 だから、そんなことぐらいで氏なねえよ。まいど思うソル。

「じゃあ、みんなのカンオンで、なんかやる?」

 とつぜん、とっぴょうしもなく、ソルがいいました。

「???」

 あのソルからの、いがいな提案ていあんに、みんなはちょっとビックリします。

「どうせ、たいしたこと、できない」

 困惑こんわくぎみのジュリが、口数少くちかずすくなく無表情むひょうじょうで答えしました。

「いいんだよ。たいしたこと、できなくて」

「トランプゲームとかぐらいしか、できないよ」

 フォロ―するマリ。

「じゃ、それで」

 即決そっけつするソル。

「はぁ?」

 けんのあるかおをするジュリ。

「七ならべなら、わたしとくい!」

 きゅうに、はしゃぐマリ。

「なんでもいいから、やろう、やろう!」

 ゆかにりょう手をつき、パンパン足をたたくニコライ。

「……」

 むごんのジュリ。

「こんな原始的げんしてきなゲームつまらない」を連呼れんこしながら、それなりのめりこんでいるジュリと、まったくルールを、おぼえようとしないニコライ。出だしのカードうんのよいマリと、絶不調ぜっふちょうのソル。なんのかんのと言いながら、けっきょくトランゲーム大会は、たけなわになっていました。




 ふね照明しょうめいともりました。

 ひきつづきらすカンオンの光量こうりょうも、うっすら上がりました。まだ夕方には早すぎますが、みんな気にせず、トランプゲームをつづけていました。かすかに、なにかがはなにつきますが、ニコライをのぞいて、みんなだまっていました。

 水でいた漆黒しっこくを、うすくり重ねるように、じわじわ、暗くなってきました。どうゆうわけか、室内へや照明灯しょうめいとうが、おとろえてきているようです。エリゼの子らには、故障こしょうという思いつきが、すぐにはうかびません。カンオンが一足いっそくとびに、明るさの段階だんかいを上げてゆきますが、なぜかそれが、まわりに反映はんえいされませんでした。

「ねえ、なんか、くらくなってない?」

 ガマンできなくなったのか、マリが、さいしょに口に出しました。

「それになんか、ちょっと……」

 口ごもりました。

「……」

 あたりを、うかがうジュリ。

「なんか、クッセー」

 気がついたことを、すぐに口にするニコライ。

 ソルも気がついてはいましたが、対処たいしょのしようがなく、いっても不安ふあんがらせるだけなので、だまっていました。でも、とうのマリがいいだしたからには、もうしかたがありません。おおっぴらにまどの外を見やります。ふしぎなことに、室内へやの中と外とで、さほど暗さがかわらないのに、ソルは気づきました。

「ちょっと、見てくる」

 立ち上がって、ソルはドアへむかいました。

 ほほをなでるような、ぬるい微風びふういています。はらりと前髪まえかみがもち上がり、実験室じっけんしつのような異臭いしゅうぎ分けられました。

 金属きんぞくのように光る雲をすかして、太陽たいようがまだ見えています。つぎつぎ黒い雲がかぶさってきて、えたりあらわわれたりしています。空気がしっとりと水分すいぶんをふくみ、にぎったり閉じたりすると、手がベタつく感じがします。

「なんか、やばくない?」

 そうつぶやくと、彼はまわれ右しました。

 もどってしばらく、彼はだまったままでいました。

「……で?」

 ジュリがたずねます。

「そらが暗い」

 口かず少なく、しょうエネのソル。

「で?」

 ニコライが、かさねて聞きます。

「風が出てきた」

 といって、マリのほうをチラッと見ました。

「……」

 マリは、だまっています。

 しったからって、子らではどうにもなりませんが、制限せいげんつきのオンラインの局地情報ローカルじょうほうと、天気予想てんきよそうを、みんなで聞ききました。

 けっかは、すべて快晴かいせいをあらわす、笑顔えがおのおひさまマーク。カンオンを空気のように当然視とうぜんししている子らですが、モヤモヤは解消かいしょうされません。ますます不安ふあんがつのりました。子らにしてみれば、あらしがくるのがおそろしいのか、それとも、カンオンの予想よそうが外れることの方がショックなのか、よくわかりませんでした。どちらがどちらともいえず、たぶん、りょうほうでした。憶測おくそく不安ふあんをかきたて、子らの胸中きょうちゅうを、マーブル模様もようにうずまいています。ただ一つだけ言えることは、けっきょくさいごは、カンオンにたよるしかない、ということでした。

 だれもがあらしとか、台風たいふうとかいったコトバはつかわず、それをさけていました。いったら、ほんとうになるような気がして、いえなかったのです。

「で、けっきょく台風たいふうくんの?」

 あっさり、ニコライがいいました。

「こなきゃ、いいけどね」

 へいぜんをよそおって、ソルがいいました。

「くるわけないでしょ。あんたたちの予想よそうなんか、いみないから(笑)」

「だれも予想してませんなんか、してませんけど?」

「あ、そう」

「ダイジョ―ブ、ダイジョ―ブ。台風たいふうなんかこないから」

 マリをだきよせながら、ジュリはいいました。

 

フツフツ海面かいめんが、白くわき立ってきました。雨がはげしくうったかと思えば、ぽっかり空いたあなから、のんびりとした青空がのぞきます。オーロラのようなドレープをほどこした黄金おうごんはしらが海に落ち、またたく間に、しぼんで暗くなりました。

 また雨が、はげしくソルの顔面がんめんをうちつけます。雨つぶがいたいことに、おどろいて、彼は船内せんないにかけ込みました。

「ぬれたぬれた。ハズレたね、カンオン」

 ニヤッとして見せましたが、つらかわ一まいで、わらっているだけでした。

「で、それで、どうすんの?」

「どうするも、こうするも……」

「ひゅぅぅぅううううう、ごぉぉぉぉおおおおおおお! ざっぶん、ざばぁあ、ざぁぁあああああ!」

 まどにへばりつき、こうふんしているニコライ。なんだかちょっと、いやかなり、うれしそう。

「あんま、こうふんすんなよ、ぶったおれるぞ」

 なんかハラのたったソルが、いいました。

 ニコライがむっとして見かえし、女の子たちが、ビクッとなりました。彼がニコライの個性こせいにふれるポリティカル・コレクトネスをおかしたのと、それによっておきた、暴力ぼうりょく予兆よちょうおびえたのでした。

 すこしくらい、いってもいい権利けんり(?)が、オレにはあるのにな。と彼は思っていました。

「ちょっと、やめてよね、マリがこわがってるじゃない」

「またマリかよ。ちょっとは、じぶんのせいにしたら?」

「どういうこと?」

「なんでもないよ」

 ニコライはまどにかじりつき、ジュリは怪訝けげんな目つきでソルを見かえし、ソルはひらきなおったように、だまったままでいます。マリはかたまっていました。今なにかいったら、わるいことがおこりそうで、じぶんの足もとからすべてがくずれ落ちないよう、ただいのるよう、だまっていました。コトダマとその影響結果リアクションからの責任回避せきにんかいひを、みずからしゃべらないことで、享受たっせいしようとしていました。



 きょくげんまで、ふね照明しょうめいが落ちています。

「くらすぎんだろ、これ!」

 さけぶニコライ。

「おかしいよ。ぜったい、おかしいよ! なんでカンオンまで、明るくなんないの?」

 なっとくいかない、ジュリ。

 ソルは、だまっていました。ビビリをかくすためと、いくら憶測おくそくをならべたてても、無意味むいみだからです。彼は暗くなったカンオンをなぶったり、あたまの中でいのるよう、具体的ぐたいてき根拠こんきょさがしもとめていましたが、けっきょくムダでした。

 性懲しょうこりもなく、また彼は、光量こうりょうの落ちたカンオンをなぶりはじめました。いっこくも早く「うごく」理由いいわけがほしかったのです。しかし、不安ふあん解消かいしょうするための理由きっかけとなる情報じょうほうが、まったくなかったのでした。

「もおー、なにやってんのよ、ソル!」

「ぽぽぽぽぽーん」

「あーもう、やめた。しるかボケ!」

「つよいゆれに、ご注意ちゅういください。つよいゆれに、ご注意ちゅういください」

波浪警報はろうけいほう発令はつれい……

 風と船体せんたいなみがあたる音も、はげしさをましています。

「え、なに? なんていったの?」

「ぽぽぽぽぽーん」

「な・ん・で・も・な・い!」

「どなんないでよ!」

「つよいゆれに、ご注意ちゅういください。つよいゆれに……

「え、きこえない」

「な・ん・で・も・な・い!」

「ガンッ!」

 ブッツリせんが切れ、エレベーターが落下らっかしたような衝撃しょうげき薄暗闇うすぐらやみほしりました。

「いってーな」

「マリ、だいじょうぶだった?」

「うん、わたしは、ぜんぜんへーき」

 くらさや騒音そうおんより、とうめん問題もんだいにすべきは、物理的ぶつりてきな「ゆれ」であることに気づきました。ふらつくあたまでソルは、ふね強度きょうを聞き出そうとします。

 船長スキッパーのアヒルのドメストは、出てきませんでした。画像がぞうはなく、平坦へいたん男性だんせい音声おんせいと、白い文字もじだけでした。

 まず「これは外洋艇がいようていではありません。沿岸用えんがんようふねです。外洋がいようでは、残念ざんねんながら保障外ほしょうがいです」といわれました。

 船体ハル積層せきそうがうすいので船体強度せんたいきょうどは低く、全天候型ぜんてんこうがたのロングクルーズには不向ふむきです。とのこと。あとはスタビリティー消失角度しょうしつかくどが120度とか、なんとか、かんとか、チンプンカンプン……。

「ふむ。……つまり、どういうこと?」

 ニコライがたずねました。

「オレしーらね、だってよ。ようはうんだってさ」

「そんなの無責任むせきにん!」

「まあ、あれだ。さいしょっから、うんがよかったんだか、わるかったんだか。だいたいあれだ、ふねがうごくわきゃ、なかったんだな、そもそも。ほんとはあれだ、中に入れるワケなかったんだな、そもそも」

「いやー、まいったね。うんがよかったのが、うんのつき!」

 自嘲気味じちょうぎみに、わらってソルがいいました。

「どーすんのよ!」

るか、いのるかしてれば?」

 そういって、ソルは、せせらわらいました。

「ダメだ。おかしくなってる、この人」

 ジュリが、あきれていいました。

「もういい」

 はきすてるように言うと、暗がりの中、マリの手をとってふねのすみっこにいき、だきかかえあうよう、うずくまりました。

「つまんねー」

 ふてくされるニコライ。ベンチシートにもどり、足をかかえ、三人ぶんをつかって横になりました。

 ソルはリセットされたみたいな、じぶんの実存じつぞんが、債務超過マイナスにおちいった気ぶんになっていました。

 うつうつとしていましたが、ふと気がつき、ソルはさけびます。

「ダメだみんな、ちゃだめだ!」

「ちゃんとせきについて、シートベルトをしろ!」


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