スマホ640pix



      逃げグセ



 どうなってんだよ、まったく!

 外に出られねーじゃねーか、クソ!

 しょせんはまだ子の彼は、大人の意向いこう無視むししてまで、一人っきりでうごけませんでした。

 なんでこう、いちいち、あいつはタイミングよく出てくんだ? カンオンもないのに!

 ん? あんのか? いやないよな。

 なんか、べつの機械きかいでも、あんのかよ?

 ……かもな。

 でもこっちには、カンオンあるんだし。

 イヤ、あんだぞ!

 こっちの方が有利ゆうりに、きまってんじゃねーか! まったく!

 なんとかしなくちゃ、なんとか。

 なんか、いい手はないのかよ、いい手は!

 気ばかりあせって、なにも思いうかびませんでした。じぶんにがあると思っているのが、そもそもまちがいなのを、彼は気づいていません。それくらいカンオンの存在そんざいが、クララン上級市民ハイソにとって空気ひつぜんなのは、たしかなことでした。

――ソルは子であるためか、彼どくじの個性スペクトラム(境界線上の境界線)のためか、それが大人でなくても、だれかのいったことを、そのまましんじすぎました。彼は気をぬくと、すぐにわすれてしまうのです。「人はウソをつく、それも他者ひとよりも、自分じぶんたいして」ということを。その対象たいしょうに対するいしきにぶらせ、おたがいれ合うのが、社会しゃかいというものの前提ぜんていです。彼は日常エポケー2のレベルにおいて、それを、わすれがちでした。

 そののう高次機能マルチタスク、もしくは余剰(ハンドルの遊び)、あからさまにいえば自他欺瞞じたぎまんは、ほんらい社会しゃかいへの活路かつろを見出すはたらきであり、自然しぜん恩寵おんちょうとみなされます。ルソーを恥入はじいりさせたとされるそれは、成長せいちょう一般いっぱんによばれますが、厳密げんみつにはちがいます。それは経験けいけんによって後天的ア・ポステオリ獲得可能かくとくかのう能力のうりょくではなく、たんに先天的ア・プリオリに他(環境)から与えられた所与しょよ身体条件しんたいじょうけんにすぎません。健康けんこうという名の平凡(閾値)なのです。

 彼はサイコパスや境界例きょうかいれい境界性きょうかいせいパーソナリティ障害しょうがいに、あこがれているフシさえありました。というか、あこがれていました。むろん、それらのみにくさを目の当たりにすれば、ゲンナリして、にげ出すだろうけど。

 いっこうに形は見えて来ませんが、彼がのぞもとめるものは、それらとは、まったくちがうもののはずでした。まだまだ彼の「わがままへの道」は、とおいようでした。




 長時間にわたるたフリなんて、幼児共有ようじきょうゆうのお昼寝ひるねいらいでした。

 まいったなー、朝までこれかよ……。充電じゅうでんしたことだし、あそびでつかっても、いいっか?

 彼は横になった姿勢しせいで、カンオンをなぶりはじめました。

 ふと思い立ち、ローカルエリア内で、ヒトの生体情報せいたいじょうほうをしらべます。二次元にじげんマップをクローズアップしていくと、行内こうないのおくに

個別認識こべつにんしきのない光点こうてんがありました。さらにアップして見ていると、びみょうに、うごいているのが分かります。まだおじさんは、おきているようでした。

 う~ん……。といったきり、パタッとあおむけにたおれ、彼はゲームをはじめました。




 ゲームの進行しんこうよくを出してしまい、やっと見切りをつけ、サーブしてやめました。すでに、けっこうな時間がたっていました。彼は思い出したように、あわてて、おじさんをチェックします。

 いません。少なくとも行内こうないには。数分前すうふんまえ数十分前すうじゅっぷん映像えいぞうが、うすれつつかさなっていき、そのうち一枚いちまいが、うかび上がってきました。

 いきつもどりつ、せまいスペースをなんども行きう、みだれた光のせん。ハツカネズミみたいに、グルグルなぞって、光だまりになったところから、一本の細いせんが外へとびています。たどってゆくと、駐車場ちゅうしゃじょうでハレーションをおこしたように、白く爆発ばくはつしていました。

 道に出ると、すぐに交差点こうさてんにぶつかり、左におれたところで、熱跡ねつあと途切とぎれていました。その先の方角ほうがくには、数時間前すうじかんまえに立ちよった北サツマ商店街しょうてんがいがあります。

「なにしに出かけたんだ? チクリにでも行ったか?」

 子の発想はっそうですが、あながちマチガイとも、いえません。

「――今だ!」

 ナップサックを引っつかみ、ソルは外にとび出ました。

 駐車場ちゅうしゃじょうのジムニーは、なくなっていました。おじさんがいないのは、確実かくじつでした。

「よし」

 ニヤリとします。

 でも、ちょっとまって下さい。冷静れいせいになって考えると、ヘンです。なにをそんなに必死ひっしになって、にげる必要ひつようがあるのでしょうか? ここにいて、なにか不都合ふつごうなことでも? せっかく海上かいじょうでの、生命せいめい危機ききから、だっしたばかりなのに。

 ナップサックのなかみ? バレたところで、いのち天秤てんびんにかけねばならぬほどの、おとがめがあるというのでしょうか、子の彼に?

 もはや彼は、にげることに「なれっこ」になってしまって、ただの習性しゅうせいになっているだけ、なのもしれません。

 そもそも、にげるという行為自体こういじたいが、すでに敗北はいぼくです。しかし、逃走とうそうをやめるということは、それを確定かくていさせることでもありました。こころ慣性かんせいは、じみな着地ちゃくちより、ハデな飛躍ひやくの方を好むみたいです。

 ふいに立ち止まると、クルッと回り右して、彼は小走りに中に引きかえしました。

 行内こうないに入ると、またすぐ、外に出てきてしまいました。なにやら、水道すいどう花壇かだん植木うえきのあたりを、ウロウロ歩きだします。――と、なにか思い出したように、また中に引っこんでしまいました。

 彼は、あるモノをさがしていました。シャベル、できればスコップのような、土のれそうなモノを。しかし、いくらさがしても、それらしいものは見つかりませんでした。気がつくと彼は、おじさんといた、あのヘヤの、おくのドアの前にいました。

 なんとなく、そこが立ち入り禁止きんしなのは、彼にもわかっていました。ハッキリそういわれたワケでもありませんが、子としてのモラトリアムの立場たちばと、大人の言質げんちのなさを悪用りようし、(罪悪感から免れるため)心をニュートラルに入れ、ドアノブに手をかけました。

 中はうす暗く、ちょっぴりヒンヤリしていました。カンオンが明るさをまし、かべ照明しょうめいスイッチを、ポインターのように赤くさしました。黄色きいろみがかったクリーム色のパネルに、「黒い▲の突起物とっきぶつを、おしてください」と、みどりのフォントがうかびました。

 照明しょうめいがついても、ヘヤの中は、まだかげっていました。よせられたデスクとオフィスチェア。その上のタワーになったかみの山と、ゆかから天井てんじょうまでふさいだダンボール。それらにさえぎられ、光がすみずみまで、とどいていませんでした。うすぐらいヘヤの中は、前に見たとおり、他になにもありませんでした。

 洞窟どうくつじみた道が、まっすぐのびていました。まったく意味いみはありませんが、足あとだらけの書類しょるいのモザイクじょうのスキマを、とびとびですすでゆきます。そのおくに、またトビラがありました。彼は、ほとんど躊躇ちゅうちょすることなく、それへ手をかけていました。

 冷気れいきにつつまれ、彼は身震みぶるいします。カンオンがさらに明るさをますと、いたいくらいの白光はっこうが目をさしました。

 ムダに明るい蛍光管けいこうかんのそのヘヤは、打ちっぱなしのコンクリートのかべにかこまれた、半地下はんちか空洞くうどうになっていました。ダクトやパイプ、黒いケーブルが壁際かべぎわ天井てんじょうを走り、それらが右へうねって傾斜けいしゃし、たきのように地下へと落ちていました。

 銀色ぎんいろ千鳥格子ちどりごうしのような、すべり止めのついたタラップにのぼると、天井てんじょうのダクトにあたまがくっつきそう。大人ならをかがめねば、とおれないところです。手に青白いこなのつく、ペンキくさい手すりをつたい、やわらかいクツで、ポンポンおりていきました。

 こんどのドアは、手動アナログではありません。侵入者しんにゅうしゃこばむよう、つるっとしていて、なにもない表面ひょうめん。うわべからでも分かる分厚ぶあつさと、重量感じゅうりょうかんがありました。

 うめこまれた小さなモニター画面がめんの下に、なじみのない外国語がいこくごが書かれています。たよるべきカンオンは、どういうわけか、目の前にそれがないかのように無反応むはんのう。カンオンのマップよく見たら、書類部屋しょるいべやまでしか、表示ひょうじされていませんでした。

「チッ」

 オフラインの画像検索がぞうけんさくでは、製品登録せいひんとうろくは見つかりませんでした。画像分析がぞうぶんせきから、トビラは生体認証せいたいにんしょうつきのようでした。保安ほあんのためか、開けるための必要ひつよう要件ようけんが出てきません。しかたないので、カンオンの構造分析こうぞうぶんせきからえた、開閉条件かいへいじょうけんこころみます。

 右足を一歩いっぽ前にだし、やおら、モニター直下ちょっかにすすみ出るソル。蒼白あおじろかおが見えなくなる間近まぢかまで、ちかづけました。

 せわしなくパチパチまばたきしたり、おでこを画面がめんにくっつけたり、ハァーッといきをふきかけたり。かおをはなすと、画面がめんをバンバンたたき、ペタペタさわりまくって、指紋しもんだらけにしました。

「ワッ!」

 大声を出すソル。

 無反応むはんのう

 こんどは足ぶみです。そのでグルグル行進こうしんをはじめました。はたで見ていたら、莫迦みたい。だれにも見られたくない光景こうけいでした。

 そりゃそうだよ。あの、じいさんじゃなんだから……。

「まぁ、いいっか」

 彼としては、早めにあらめました。

「――ていうか、こんなこと、しているばあいじゃねえよ!」

 目的もくてきを思い出すと同時どうじ、シロフォンのロールがり出しました。さっき、じぶんで設定せっていしておいた、警告音けいこくおんです。ぐずぐずしていたせいで、おじさんが、もどってきてしまいました。

 走り出すソル。心臓しんぞうバクバクです。

 台所だいどころへかけこむと、みょうな機転きてんをきかして、下のだんからじゅんじゅんに、ひき出しを開けていきます。ガチャガチャかき回してあさり、クチバシみたいな横口お玉と、マイナスドライバーを引っつかみました。水道すいどうからちょくで水をカブのみすると、外へとび出ました。

 全力疾走ぜんりょくしっそう駐車場ちゅうしゃじょう反対側はんたいがわへまわるとちゅうで、ある考えが、ひらめきました。

「おい、キンキューじたいだ! おまえ、ここにのこれ!」

 走りながら、カンオンにどなります。

「キンキューじたい! イノチが、かかってんぞ!」

 自分のいのち人質たてに、おどしかけます。

「今だけだかんな! 後でちゃんと合流ごうりゅうしろよ!」

 いきを切らしていても、ちゃっかり保険ほけんをかけるのをわすれないあたりが、現代げんだいっ子です。

「キンキューじたいだから、はなれろ!」

 カンオンのうごきがにぶくなり、空中静止くうちゅうせいししました。フラフラしはじめると、だんだんフリが大きくなって、形も大きさも不規則ふきそく楕円だえんを、自転じてんしながらえがき出しました。それを何周なんしゅう不器用ぶきようにくりかえし、安定あんていした高速回転こうそくかいてんへと移行いこうしていきます。

――と、遠心力えんしんりょくでタガが外れたように、空のどこかへってしまいました。



 全力で走って、横っぱらがいたくなってきました。

「とりあえず、すこし休ませろ」

 ヘナヘナちどり足で失速しっそくし、ベッタリ道にりょう手をついて、へたりこみました。心音しんおん他人たにんのたてる音のように、ドッドッとみみをうちます。ゼーゼーいきが上がって、すわりこんだまま、空をあおいでいます。呼吸こきゅうととのえていました。

 目のはしに、光りがよぎりました。いつもの心配性しんぱいしょうだよと、錯覚さっかくですませたかったのですが、サーチライトのように回ると、ハイビームが彼を直撃ちょくげきしました。

 光の洪水こうずいにおぼれるソル。なにもかも、まっ白。あたまの中も、まっ白でした。

 こしをうかせたまま、なすすべのないソル。ハイビームのまま、くるまが止まりました。停止ていししても、アイドリングストップしないくるまけいにしては、大き目のドアが開きました。

 衝撃しょうげきが走りました。ジムニーではありません。ジープでした。もちろん車種しゃしゅなんて、彼にはわかりませんが、たしかにそれは、おじさんのくるまではありませんでした。

 黒い人影ひとかげがおりてきました。

「おい、にげんなよ」

 シルエットの男は、いいました。

「おまえを保護ほごするよう、銀行屋ぎんこうやがみんなに、おたっししたんでね」


 ソルはりてきたネコみたいに、おとなしく助手席じょしゅせきに、のりこみました。


 後部座席こうぶざせき屋根やねほろを外した、ふるいジープ・ラングラーは、まっすぐ、北サツマ通りを目ざしています。二人とも、むごんでした。彼いじょうに無口むくちな大人に、ソルは恐怖きょうふをおぼえました。寡黙かもくが人を侵害しんがいするのを、彼は、はじめて客観的きゃっかんてきに思い知らされました。


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