スマホ640pix



      出口



 ソルは気づかず管制室コントロールルームをすぎていました。とうの管制室コントロールルームにいた、ブルもラムも気づきませんでした。くるま騒音そうおん遮断しゃだんされるので、あたりまえといえば、あたりまえでした。

 ロボットのいどうは前のターンにくらべ、チェックが簡略化かんりゃくかされ、はやくなっていました。手ぬきというより、学習がくしゅうといった感じでしょうか。

「ヒュンッ」

 とすぎてから、右壁みぎかべのぼんやりとした黒字が、あたまの中で2kmと読めました。

 天井てんじょう案内標識あんないひょうしきがせまると、ロボットの強い照明しょうめいで、緑地みどりじに白い矢印やじるしが三つ分かれていました。出口はちかいようです。

 とうとう、のこり1kmをすぎました。

 おもわず口もとがゆるみ、すぐに気を引きしめました。出口になにがまっているか、わからないからです。

 大きなカーブに入るやいなや、彼はとびりました。

 気もちを落ちつかせながら、指のすき間からカンオンの明かりをもらし、光量こうりょうチェックをしました。小石をけったり、すなでこすれたりしないよう、足を垂直すいちょくに上げ下げする要領ようりょうで歩きます。かべづたいに、しんちょうに、歩をすすめていきました。

 光が見えてきました。

 ゴールの勝利しょうり光明こうみょうです。

 そこから歩幅ほはばをせばめたせいで、なかなか光にちかよれません。ユラユラゆらめく小さな光の中を、チラチラよぎる黒いかげ。たぶんそれは空気のゆらめき、さっかくにすぎないと、彼にもわかっていました。しかしなんにせよ、まようにはまだ早すぎます。とにかくそれへ一歩でもちかづく他、今はありませんでした。

 もういくらなんでも、クラランには入っているはず。地下はしらないが、地上ではおそらくそうだろうと、こころの中で思いなしました。とたんに彼はカンオンの便利べんりさを思いだしました。

「おまえ、出口のとこわかるか?」

 反応はんのうがありません。

「出口、人いないか、わかるか?」

「出口、人いないか、わかるか?」

 少しイラだって、たずねました。

 緑色みどりいろの光がみゃくのように明滅めいめつしています。とてもおだやかな光で、ホタルのようでした。

「よし、テイサツにいけ。見つかるなよ」

 前方をゆびさしました。

 呼吸こきゅう心電しんでん心音しんおんなどの生体情報せいたいじょうほうに、わずかなコトバと個人情報こじんじょうほう蓄積ちくせきなどでをくんだカンオンは、天井いんじょうスレスレを弾丸だんがんのようにとんでいきました。

 でも、まちぶせしていたら? あいてもカンオンを持っていとしたら?

 なおさら意味いみがありません。いったいどこまでちかづけば、オンラインが復活ふっかつするのか、今のところまだカンオンはローカルなままでした。

 今ソルは「桑崎浮揚くわさきふようジャンクションSA(サービスエリア)出口」ふきんまで来ていました。ここであせっても、なにもよいことはありませんが、彼はいたって冷静れいせいでした。海底かいてい暗闇くらやみはこわいけれど、少しでも危険きけん兆候ちょうこうがあったら、いつだって引きかえしてやろうと思っていました。なんだか早く着きすぎな感じがしたし、なにより、彼がまちのぞむものも、彼をまつものも、なかったからでした。

 カンオンがもどり、さっそく映像照射えいぞうしょうしゃをはじめました。出口から少しはなれたところに、二台のくるまが止められていました。シルバーメタリックのワンボックスカー、アレファードと白のセダン、ヘルシオ。むこうから見て入口には、人がウロウロしていました。

 上下グレイのスウェットに身をつつみ、白いマスク、黄色いゴムイボつき軍手ぐんてをした、八人の男たち。それぞれの手には、ロープ、ブルーシート、警棒けいぼう、テーザーじゅう(針が飛び出すスタンガンの一種)など。

 うでを組んで談笑だんしょうするもの、絵にかいたように準備運動じゅんびうんどうするもの。一部、個別認証こべつにんしょうのいらない格安かくやすカンオン(機能限定)をなぶるものもいましたが、それいがい、カンオンは見た目なし……。

 をぬかれたみていに血圧けつあつの下がるソル。

「いや、子ドモですけど……」

 うすらわらいにもならず、ピクピク、ほほが引きつっただけでした。さんざん、やりちらかしてきましたが、もうつごうのよいマイノリティ特権とっけんは、通用つうようしそうにありません。

 ローカル情報じょうほうによると、このあたりの道路どうろ閉鎖へいさされていて、いっさいのエネルギーがたたれた、いわゆるオフグリッドでした。おそらく生きたカメラやセンサー、カンオンなどはなさそうでした。

 トンネル内はまだ暗く、出口は暗闇くらやみのベールをはり穿うがったようでした。光点は間夏の昼を凝縮ぎょうしゅくし、太陽たいようのツブのごとく、白くかがややいていました。まだ正午まえでしたが、真昼の悪魔あくまがささやきます。もうすぐ、そこだよと。

 ロゴスそのもののような、始原しげんの光を目のまえにして、彼はぐらつきました。引きかえすのが、おしくなってきたのです。おかしなことに、具体的恐怖ぐたいてききょうふ想像的恐怖そうぞうてききょうふ喚起かんきし、海底かいていにもどれなくなってしまったのです。彼はいたばさみになってしまいました。

「……」

 ぼそぼそ、なにか声にならぬ声で、つぶやいています。

 足ぶみどうぜんで、できるがり、ぜったい見つかないであろうていどまでちかづき、立ち止まりました。

 そうじロボットが彼より先、出口につきました。光がゆれ、あざのようなモヤモヤが消えると、出口はくっきり、きれいなカタチになりました。もう一度ソルは、カンオンをとばします。かえってくるまでの間、また、じりじり小刻こきざ作戦さくせん開始かいししました。

 もどってきたカンオンには、彼らのリラックスしたすがたがうつしだされていました。それぞれの車内しゃないで草のタバコをふかすもの。コンビニのコーヒーをのみ、ヘリウッド映画えいがの雨ポリさながら、おやつのドーナツをかじるもの。フブカや実話じつわナッコーズを読むもの。ゲームに課金かきんするもの。中には、早すぎて食べそびれた朝食ちょうしょくを、コンビニ弁当べんとうでガッツリ食べるものもいたり、また下っぱでつねに睡眠不足すいみんぶそくのせいか、仮眠かみんはとりはじめるものさえいました。

 車外しゃがいにはだれもいません。893といえど、さすがはクラランの現代けんだいっ子。機械きかいに対する信頼しんらい絶大ぜつだいというより絶対ぜったいで、あきらかに休憩きゅうけいでした。

「よし。」

 つばをのみこみいきを頃しながら、彼は早歩きで出口にむかいます。コホコホッむせかえりながら、せかせか競歩きょうほみたいに。

 陽光ようこうの下、世界せかいみどりがかっていました。つばをのんだ気圧きあつの変化で、こまくがぬけたような騒音そうおん復活ふっかつと、むねをすく新鮮しんせんな空気。

 映像えいぞうで見た二台のくるまは、出口から50メートルほどはなれ、マドには透過率とうかりつの低い、違反いはんスモークフィルムがはられていました。それらをかみしても、彼のすがたを完全かんぜんに消してくれるとは思えません。こちらから車内しゃないは見えませんが、むこうからはまる見えのはず。

「チッ、どうするよ」

 緑色みどりいろ悪魔あくまが、ソルをたきつけます。彼は退却たいきゃく選択肢せんたくし抑圧よくあつしたあげく、もっともチンプで、B級映画きゅうえいがじみたアイディアを採用さいようしました。

 とおくからサイレンの音がひびいてくると、トンネルへとみちびく、へこんだ道の両壁りょうかべに、クルクル赤い光がよぎりはじめました。

 パワーウインドウにスキマが空き、エンジンがかかりました。ギヤがバックに入っても、ピーピーと音はなりません(もちろんクラランでは違法行為です)。ここらへんは閉鎖へいさされた道なので、さいていでも通行禁止違反つうこうきんしいはんになります。一般道いっぱんどうまで、あわててくるま移動いどうさせはじめました。さすがは商売柄しょうばいがらの、クイックレスポンスです。

 二台のくるまがカーブをまがって視界しかいから消えると、ソルはもうダッシュ。分岐ぶんきするもう一方の道へ入り、低くなったかべをよじのぼって、へだたった反対がわの道へとび下りました。ころんで回転かいてんしながらおき上がって、また走り出します。

 なるべくたくさん道を横切り、来た道とつながらない道へ出ようとしていました。メチャクチャに走りまわり、心臓しんぞう破裂はれつしそう。生まれてはじめて、ポンプのレッドゾーンまで酷使こくししました。

 もっと細い道へ、死角しかくになりそうな建物たてものかげへ、身をひそめられるところまで、とにかく彼は走りつづけます。とりあえず、今見えている高架こうかが小さくなるまで、走りつづけようとめていました。




 高い金属板きんぞくばん衝立ついたての空き地。

 道に面したところにだけそれがあり、三方はガラ空きでした。ボンネットのないくるまとドアのないくるまとの間で、ソルはねころんでいました。青々と高くしげったイネのネズミムギが、マットレスのかわりでした。

 細長い青空に、くもが二三コうかんでいました。もうあと少しすれば、太陽たいよう天井てんじょうからかおをだし、とてもじゃないがあつくって、こんなところでていられなくなるでしょう。

 あせがとめどもなくき出し、グショグショです。ほとんどお風呂ふろに入っているよう。シャシーと地面のせまいスキマから、生ぬるい微風びふうがつたわり、したたるあせ衣類いるいをつめたく感じました。

 かおを横にむけると、ジャッキとブロックにのった、タイヤのない赤茶あかちゃのハブごしに、うごくかげが見えました。黒とこげこげの、甲斐犬かいけんみたいなブチネコが、こちらをのぞきこんでいました。

「シャー」

 と、威嚇いかくしています。

 背後はいごにストラップ人形にんぎょうみたいな、貧弱ひんじゃくな小ネコがいました。

「うっせーな。あっちいけよ……」

「シャー」

「おれの方が先に――」

 ハッとなって身をおこしました。

 キョロキョロして、カンオンをさがします。

 あいつ、またどこかに……。

 呼吸こきゅうはととのっていたのに、砂利じゃりをふむ足音に気づきませんでした。気づいたときには、大きなかげが青空をふさいでいました。

「ソルくんね」

 と言われ、ふりかえりながらき上がると、大人が二人立っていました。




 ソルは、ほんもののパトカーにの中にいました。彼ののっているパトカーの前後にも、べつのパトカーがはりついていました。後部座席こうぶざせきのまん中で、女男の警察官ポリス・オフィサーにはさまれていました。女性の方がわかく、男の方は年配ねんぱいでした。

 トンネルを出るとどうじ、ソルの生体情報せいたいじょうほう識別しきべつコードの照合しょえごうにより、行政民間ぎょうせいみんかんを問わず各機関かくきかんに、彼の保護ほご指示しじされました。

 またか……。

 しつこいくらい、じぶんの名前なまえ身分ペルソナを言わされていました。確認かくにんだからとねんをおされ、なんかいも、なんかいも。彼は不満ふのんをおくびにも出さぬよう、注意ちゅういしていました。

 おねえさんはチェック項目こうもくを、上からじゅんにめていきました。他者に見えないプライベート照射しょうしゃでなく、あけっぴろげに質問事項しつもんじこううつしだされていました。これは透明性確保とうめいせいかくほのきまりでした。

 質問しつもんがカンオンにふれると、ソルは反射的はんしゃてきにさえぎるよう言いました。

「――カンオンは?」

 ニコッと口角こうかくを上げたおねえさんのは、高価こうかなナチュラルしあげの、白すぎない白でした。

「あなたのカンオンは、だいじなようがあって、あなたとおなじように保護ほごされているの。かわりのは、すぐ来るはずだから」

 上下、こんのスーツはほそくあわい金のライン入り、スカートはピタッと短めでした。かみはダークブラウンのミデイァムで、ストレートっぽいゆるやかなカール。ソルは警察関係ポリスかんけいなのに、うっすら香水こうすいのニオイ(グッシのゴージャスなフローラルの香り)がするのが不思議ふしぎでした。

 車内しゃないには警察通信ポリスラインがながれ、はっきりとした声のやりとりが聞こえました。

「――クララン本部から、サン・ニコル埠頭ふとうPS管内かんない。ただ今、同港どうみなとにおいて、不審ふしん無人むじん小型こがたクルーザーが、オートパイロットで到着とうちゃく。×××××は現場げんじょうにむかって下さい。――×××××了解りょうかい

「くわしいことは、病院びょういんについてからはなすから」

病院びょういん!」

 いまわしい記憶きおくがよみがえります。ニコライ騒動そうどうのときの、あの一連いちれんのできごとが。

「あー、びっくりした(笑) きゅうに大声ですから、おどろいちゃった。なに、どうしたの? 病院びょういんキライなの? 病院びょういんといっても、カンタンな健康けんこうチェックだけよ」

 と、ほほえみました。

 彼の右どなりにすわっている、白髪しらがまじりのおじいさん(ソルの目からみて)は、ずっとだまっていました。グレイのシャークスキンのスーツに、一見、無地むじのブラックタイ。彼のちょうど前にいる、半自動運転席はんじどううんてんせきの人と、のりこむ時に二言三言しゃべっただけでした。

 おじいさんは、おねえさんの方をチラッと見ました。

「ちょっとこれは、だいじなことなんだけど――」

 トーンが変わりました。ソルも無表情むひょうじょうのまま、身がまえます。

「君のその手にしている指環ゆびわ、みせてくれるかな?」

 べつにやましいことはありませんが、かたくなって、カクカク左手をもち上げました。

「ふ~ん。コレだれにもらったの?」

「……」

 おねえさんは、おじいさんを見ました。おじいさんは、だまって見かえしました。

「……」

「その指環ゆびわって、よく見るとおもしろいね。黒っぽくて、ふしぎな光沢こうたくしてない? これって、どうしたの? さいきんもらったの?」

「……」

 彼女はコミュニケーション・マニュアルを見ていませんでした。キャリアのエリートだから、あたまにばっちり入っているのでしょうか。それともそれじたい、子のこころをつかむための、規定きてい方法ほうほうでしょうか。

「今じゃなくても、いいから。あとで話してくれる?」

「……」

 ソルはなやんでいました。なにを、どこまで、しゃべっていいのか。じぶんにとって、島の人たちにとって、不利ふりなことはなんなのか。考えるとっかかりさえ、見当けんとうがつきません。くるまのながれはスムーズなのに、遅々ちちとした時間がつづいていました。

 いったいなにをしゃべれば、だれを売ることになり、オレは裏切者うらぎりものになるのか? そもそもオレは、やつらにどれだけのおんがあるというのか……。

――いうほどか? 

 イヤ、いうほど世話せわになったか?

 すくなくともいのちとか、社会的立場そんざいとか、引きかえるほどのさ?

 ポリスあいてに、おおげさすぎじゃねぇの?

 まあ、だれもきずつきゃしないって。たいしたことないって。さっさと、お子さまのたちば利用りようして、ゲロッちまえよ(笑)。

――おい! 後で後悔こうかいしてもしらんぜ。ずっと引きずるぜ。

 それともなにか? 良心りょうしん呵責かしゃくとやらで言えないのか、責任回避せきにんかいひ保身ほしんで言わないのか? はぁ~、プライドぉ? (笑)

 けっきょくのとこ、どっちが大事だてじなんだ? 内と外、未来と今、後悔こうかい矜持きょうじ、どっちの方が比重ひじゅうがでかいんだ?

(じっさいはそれらはランダムで相前後し、入り混じりあっていましたが……)

 とかさ、わざとコトバあそびして、時間かせぎしてるだろ? 袋小路ふくろこうじにこもって、やりすごそうとしてるだろ? 

 見え見えなんだよなぁ(笑)。もう、バレバレ。 

――ていう、これも逃避とうひっていう逃避とうひ……

 ぬかるみに、スタックしてしまいました。ひさしぶりの彼らしい沈黙ちんもくです。



「――これほしいの?」

 とつぜん言い出すソル。

「?!」

 となる、おねえさんと、おじいさん。

「ほしけりゃ、あげるよ」

 サイズのあっていない、ゆるい指環ゆびわをはずすと、手のひらにのっけし出しました。

「ハイ。」

 おねえさんは面食めんくらってアタフタしながら、いそいで持参じさんした黒い小箱こばこをとりだしました。指環ゆびわがピッタリ入るあなにはめこむと、パコンとフタを閉じ、またカバンをガサゴソやって、あわただしくしまいました。

 すかさず、おじいさんが前席ぜんせき合図あいずすると、

「ただいま、回収かいしゅうしました」

 ボソッと、前の人がひとり言のように言いました。

 どうせカンオンがモニターしているので、報告ほうこくにはおよびませんが、ブルの言いぶんをりるなら、手つづきでした。懐古厨(老害)のための安心あんしんと、関係当事者かんけいとうじしゃ身分保障みぶんほしょうのための。

 くるまはマイカーのしめ出されたまち中心部ちゅうしんぶを、スイートな権力けんりょくとともに、スイスイはかどりました。あっという間に、くだんの病院びょういんについてしまいました。