ソルは気づかず管制室をすぎていました。とうの管制室にいた、ブルもラムも気づきませんでした。車の騒音が遮断されるので、あたりまえといえば、あたりまえでした。
ロボットのいどうは前のターンにくらべ、チェックが簡略化され、はやくなっていました。手ぬきというより、学習といった感じでしょうか。
「ヒュンッ」
とすぎてから、右壁のぼんやりとした黒字が、頭の中で2kmと読めました。
天井の案内標識がせまると、ロボットの強い照明で、緑地に白い矢印が三つ分かれていました。出口はちかいようです。
とうとう、のこり1kmをすぎました。
おもわず口もとがゆるみ、すぐに気を引きしめました。出口になにがまっているか、わからないからです。
大きなカーブに入るやいなや、彼はとび降りました。
気もちを落ちつかせながら、指のすき間からカンオンの明かりをもらし、光量チェックをしました。小石をけったり、砂でこすれたりしないよう、足を垂直に上げ下げする要領で歩きます。壁づたいに、しんちょうに、歩をすすめていきました。
光が見えてきました。
ゴールの勝利の光明です。
そこから歩幅をせばめたせいで、なかなか光にちかよれません。ユラユラゆらめく小さな光の中を、チラチラよぎる黒い影。たぶんそれは空気のゆらめき、さっかくにすぎないと、彼にもわかっていました。しかしなんにせよ、まようにはまだ早すぎます。とにかくそれへ一歩でもちかづく他、今はありませんでした。
もういくらなんでも、クラランには入っているはず。地下はしらないが、地上ではおそらくそうだろうと、心の中で思いなしました。とたんに彼はカンオンの便利さを思いだしました。
「おまえ、出口のとこわかるか?」
反応がありません。
「出口、人いないか、わかるか?」
「出口、人いないか、わかるか?」
少しイラだって、たずねました。
緑色の光が脈のように明滅しています。とてもおだやかな光で、ホタルのようでした。
「よし、テイサツにいけ。見つかるなよ」
前方をゆびさしました。
呼吸や心電、心音などの生体情報に、わずかなコトバと個人情報の蓄積などで意をくんだカンオンは、天井スレスレを弾丸のようにとんでいきました。
でも、まちぶせしていたら? あいてもカンオンを持っていとしたら?
なおさら意味がありません。いったいどこまでちかづけば、オンラインが復活するのか、今のところまだカンオンはローカルなままでした。
今ソルは「桑崎浮揚ジャンクションSA(サービスエリア)出口」ふきんまで来ていました。ここであせっても、なにもよいことはありませんが、彼はいたって冷静でした。海底の暗闇はこわいけれど、少しでも危険な兆候があったら、いつだって引きかえしてやろうと思っていました。なんだか早く着きすぎな感じがしたし、なにより、彼がまちのぞむものも、彼をまつものも、なかったからでした。
カンオンがもどり、さっそく映像照射をはじめました。出口から少しはなれたところに、二台の車が止められていました。シルバーメタリックのワンボックスカー、アレファードと白のセダン、ヘルシオ。むこうから見て入口には、人がウロウロしていました。
上下グレイのスウェットに身をつつみ、白いマスク、黄色いゴムイボつき軍手をした、八人の男たち。それぞれの手には、ロープ、ブルーシート、警棒、テーザー銃(針が飛び出すスタンガンの一種)など。
うでを組んで談笑するもの、絵にかいたように準備運動するもの。一部、個別認証のいらない格安カンオン(機能限定)をなぶるものもいましたが、それいがい、カンオンは見た目なし……。
血をぬかれたみていに血圧の下がるソル。
「いや、子ドモですけど……」
うすら笑いにもならず、ピクピク、ほほが引きつっただけでした。さんざん、やりちらかしてきましたが、もうつごうのよいマイノリティ特権は、通用しそうにありません。
ローカル情報によると、このあたりの道路は閉鎖されていて、いっさいのエネルギーがたたれた、いわゆるオフグリッドでした。おそらく生きたカメラやセンサー、カンオンなどはなさそうでした。
トンネル内はまだ暗く、出口は暗闇のベールを針で穿ったようでした。光点は間夏の昼を凝縮し、太陽のツブのごとく、白く輝やいていました。まだ正午まえでしたが、真昼の悪魔がささやきます。もうすぐ、そこだよと。
ロゴスそのもののような、始原の光を目のまえにして、彼はぐらつきました。引きかえすのが、おしくなってきたのです。おかしなことに、具体的恐怖が想像的恐怖を喚起し、海底にもどれなくなってしまったのです。彼は板ばさみになってしまいました。
「……」
ぼそぼそ、なにか声にならぬ声で、つぶやいています。
足ぶみどうぜんで、できるがり、ぜったい見つかないであろうていどまでちかづき、立ち止まりました。
そうじロボットが彼より先、出口につきました。光がゆれ、痣のようなモヤモヤが消えると、出口はくっきり、きれいなカタチになりました。もう一度ソルは、カンオンをとばします。かえってくるまでの間、また、じりじり小刻み作戦を開始しました。
もどってきたカンオンには、彼らのリラックスしたすがたが映しだされていました。それぞれの車内で草のタバコをふかすもの。コンビニのコーヒーをのみ、ヘリウッド映画の雨ポリさながら、おやつのドーナツを齧るもの。フブカや実話ナッコーズを読むもの。ゲームに課金するもの。中には、早すぎて食べそびれた朝食を、コンビニ弁当でガッツリ食べるものもいたり、また下っぱでつねに睡眠不足のせいか、仮眠はとりはじめるものさえいました。
車外にはだれもいません。893といえど、さすがはクラランの現代っ子。機械に対する信頼は絶大というより絶対で、あきらかに休憩でした。
「よし。」
つばをのみこみ息を頃しながら、彼は早歩きで出口にむかいます。コホコホッ咽かえりながら、せかせか競歩みたいに。
陽光の下、世界は緑がかっていました。つばをのんだ気圧の変化で、こまくがぬけたような騒音の復活と、胸をすく新鮮な空気。
映像で見た二台の車は、出口から50メートルほどはなれ、マドには透過率の低い、違反スモークフィルムがはられていました。それらをかみしても、彼のすがたを完全に消してくれるとは思えません。こちらから車内は見えませんが、むこうからはまる見えのはず。
「チッ、どうするよ」
緑色の悪魔が、ソルをたきつけます。彼は退却の選択肢を抑圧したあげく、もっともチンプで、B級映画じみたアイディアを採用しました。
とおくからサイレンの音が響いてくると、トンネルへとみちびく、凹んだ道の両壁に、クルクル赤い光がよぎりはじめました。
パワーウインドウにスキマが空き、エンジンがかかりました。ギヤがバックに入っても、ピーピーと音はなりません(もちろんクラランでは違法行為です)。ここらへんは閉鎖された道なので、さいていでも通行禁止違反になります。一般道まで、あわてて車を移動させはじめました。さすがは商売柄の、クイックレスポンスです。
二台の車がカーブをまがって視界から消えると、ソルは猛ダッシュ。分岐するもう一方の道へ入り、低くなった壁をよじのぼって、へだたった反対がわの道へとび下りました。ころんで回転しながらおき上がって、また走り出します。
なるべくたくさん道を横切り、来た道とつながらない道へ出ようとしていました。メチャクチャに走りまわり、心臓が破裂しそう。生まれてはじめて、ポンプのレッドゾーンまで酷使しました。
もっと細い道へ、死角になりそうな建物の影へ、身をひそめられるところまで、とにかく彼は走りつづけます。とりあえず、今見えている高架が小さくなるまで、走りつづけようと決めていました。
高い金属板の衝立の空き地。
道に面したところにだけそれがあり、三方はガラ空きでした。ボンネットのない車とドアのない車との間で、ソルはねころんでいました。青々と高くしげったイネ科のネズミムギが、マットレスのかわりでした。
細長い青空に、雲が二三コうかんでいました。もうあと少しすれば、太陽が天井から顔をだし、とてもじゃないが暑くって、こんなところで寝ていられなくなるでしょう。
汗がとめどもなく噴き出し、グショグショです。ほとんどお風呂に入っているよう。シャシーと地面のせまいスキマから、生ぬるい微風がつたわり、したたる汗と衣類をつめたく感じました。
顔を横にむけると、ジャッキとブロックにのった、タイヤのない赤茶のハブごしに、うごく影が見えました。黒とこげ茶の、甲斐犬みたいなブチネコが、こちらをのぞきこんでいました。
「シャー」
と、威嚇しています。
背後にストラップ人形みたいな、貧弱な小ネコがいました。
「うっせーな。あっちいけよ……」
「シャー」
「おれの方が先に――」
ハッとなって身をおこしました。
キョロキョロして、カンオンをさがします。
あいつ、またどこかに……。
呼吸はととのっていたのに、砂利をふむ足音に気づきませんでした。気づいたときには、大きな影が青空をふさいでいました。
「ソルくんね」
と言われ、ふりかえりながら起き上がると、大人が二人立っていました。
ソルは、ほんもののパトカーにの中にいました。彼ののっているパトカーの前後にも、べつのパトカーがはりついていました。後部座席のまん中で、女男の警察官にはさまれていました。女性の方がわかく、男の方は年配でした。
トンネルを出るとどうじ、ソルの生体情報=識別コードの照合により、行政民間を問わず各機関に、彼の保護が指示されました。
またか……。
しつこいくらい、じぶんの名前と身分を言わされていました。確認だからと念をおされ、なんかいも、なんかいも。彼は不満をおくびにも出さぬよう、注意していました。
おねえさんはチェック項目を、上からじゅんに埋めていきました。他者に見えないプライベート照射でなく、あけっぴろげに質問事項が映しだされていました。これは透明性確保のきまりでした。
質問がカンオンにふれると、ソルは反射的にさえぎるよう言いました。
「――カンオンは?」
ニコッと口角を上げたおねえさんの歯は、高価なナチュラルしあげの、白すぎない白でした。
「あなたのカンオンは、だいじなようがあって、あなたとおなじように保護されているの。かわりのは、すぐ来るはずだから」
上下、紺のスーツは細くあわい金のライン入り、スカートはピタッと短めでした。髪はダークブラウンのミデイァムで、ストレートっぽいゆるやかなカール。ソルは警察関係なのに、うっすら香水のニオイ(グッシのゴージャスなフローラルの香り)がするのが不思議でした。
車内には警察通信がながれ、はっきりとした声のやりとりが聞こえました。
「――クララン本部から、サン・ニコル埠頭PS管内。ただ今、同港において、不審な無人の小型クルーザーが、オートパイロットで到着。×××××は現場にむかって下さい。――×××××了解」
「くわしいことは、病院についてからはなすから」
「病院!」
いまわしい記憶がよみがえります。ニコライ騒動のときの、あの一連のできごとが。
「あー、びっくりした(笑) きゅうに大声ですから、おどろいちゃった。なに、どうしたの? 病院キライなの? 病院といっても、カンタンな健康チェックだけよ」
と、ほほえみました。
彼の右どなりにすわっている、白髪まじりのおじいさん(ソルの目からみて)は、ずっとだまっていました。グレイのシャークスキンのスーツに、一見、無地のブラックタイ。彼のちょうど前にいる、半自動運転席の人と、のりこむ時に二言三言しゃべっただけでした。
おじいさんは、おねえさんの方をチラッと見ました。
「ちょっとこれは、だいじなことなんだけど――」
トーンが変わりました。ソルも無表情のまま、身がまえます。
「君のその手にしている指環、みせてくれるかな?」
べつにやましいことはありませんが、かたくなって、カクカク左手をもち上げました。
「ふ~ん。コレだれにもらったの?」
「……」
おねえさんは、おじいさんを見ました。おじいさんは、だまって見かえしました。
「……」
「その指環って、よく見るとおもしろいね。黒っぽくて、ふしぎな光沢してない? これって、どうしたの? さいきんもらったの?」
「……」
彼女はコミュニケーション・マニュアルを見ていませんでした。キャリアのエリートだから、頭にばっちり入っているのでしょうか。それともそれじたい、子の心をつかむための、規定の方法でしょうか。
「今じゃなくても、いいから。あとで話してくれる?」
「……」
ソルはなやんでいました。なにを、どこまで、しゃべっていいのか。じぶんにとって、島の人たちにとって、不利なことはなんなのか。考えるとっかかりさえ、見当がつきません。車のながれはスムーズなのに、遅々とした時間がつづいていました。
いったいなにをしゃべれば、だれを売ることになり、オレは裏切者になるのか? そもそもオレは、やつらにどれだけの恩があるというのか……。
――いうほどか?
イヤ、いうほど世話になったか?
すくなくとも命とか、社会的立場とか、引きかえるほどのさ?
ポリスあいてに、おおげさすぎじゃねぇの?
まあ、だれも傷つきゃしないって。たいしたことないって。さっさと、お子さまのたちば利用して、ゲロッちまえよ(笑)。
――おい! 後で後悔してもしらんぜ。ずっと引きずるぜ。
それともなにか? 良心の呵責とやらで言えないのか、責任回避の保身で言わないのか? はぁ~、プライドぉ? (笑)
けっきょくのとこ、どっちが大事なんだ? 内と外、未来と今、後悔と矜持、どっちの方が比重がでかいんだ?
(じっさいはそれらはランダムで相前後し、入り混じりあっていましたが……)
とかさ、わざとコトバあそびして、時間かせぎしてるだろ? 袋小路にこもって、やりすごそうとしてるだろ?
見え見えなんだよなぁ(笑)。もう、バレバレ。
――ていう、これも逃避っていう逃避……
ぬかるみに、スタックしてしまいました。ひさしぶりの彼らしい沈黙です。
「――これほしいの?」
とつぜん言い出すソル。
「?!」
となる、おねえさんと、おじいさん。
「ほしけりゃ、あげるよ」
サイズのあっていない、ゆるい指環をはずすと、手のひらにのっけ差し出しました。
「ハイ。」
おねえさんは面食らってアタフタしながら、いそいで持参した黒い小箱をとりだしました。指環がピッタリ入る穴にはめこむと、パコンとフタを閉じ、またカバンをガサゴソやって、あわただしくしまいました。
すかさず、おじいさんが前席に合図すると、
「ただいま、回収しました」
ボソッと、前の人がひとり言のように言いました。
どうせカンオンがモニターしているので、報告にはおよびませんが、ブルの言いぶんを借りるなら、手つづきでした。懐古厨(老害)のための安心と、関係当事者の身分保障のための。
車はマイカーのしめ出された街の中心部を、スイートな権力とともに、スイスイはかどりました。あっという間に、くだんの病院についてしまいました。