
空無
ある物語の持つ真理の度合いは、その物語が悪物をどんな風に評価しているかによって測られるべきである。悪物に卓越した地位を与えていればいるほど、その物語は、実在のものに心を配り、欺瞞と嘘を峻拒する真摯な物語と知れようし、たわごとや慰めごとを並べたてるよりも、事象を確認するほうを採る物語だと証されもするのだ。
――「生誕の災厄」EM・シオラン(紀伊国屋書店)より 宗教を物語へ、悪魔を悪物へ改竄
「デモクラシーは新しい事柄ではない。古い事だ。人民が古くなりかける度ごとに現れてくるものだ。」
――「眞畫の惡魔」P・ブールジェ 岩波文庫
病院の待合室にて。
ソルは長イスに、こしかけていました。つま先でスリッパをブラブラさせ、固定カンオンが映しだすテレビを、ボンヤリながめていました。ニュースショウの音声が、人気のない待合室によくとおりました。
固定カンオンは、クララン市内の500メートル四方に、かく一機づつおかれていました。いじわるな固定資産税のせいで更地にできない空き家のように、使いみちのなくなった固定カンオンですが、カンオンをもたないマイノリティのために、とくに公共性の高いばしょにおかれていました。また、災害などの緊急時のライフラインとして、国内省の基準にもとづき、設置が義務づけられていました。
バタンと、ときおりドアが閉まる音がきこえると、コツコツ、ゆかをたたく規則的な音がして、どこかへとおざかっていきました。病院のなかは閑散としていました。さいしょに、ここにいるよう言われてから、ずうっと、だれも見かけませんでした。なんだか、お休みの日の共有ルーム(教室)みたいでした。
ぶきみの谷をとうにこえ、カンオン上で人気の少女型キャスタロイドが、ニュースをつたえていました。しゃべるたびにデフォルトの緑のロングヘアがなびき、その衣装と髪型、目の色と虹彩の中の光玉、照明と書割の背景にいたるまで、クルクル目まぐるしく変わりました。
画面の下には、こまごまとした詳細な情報リンクがはられ、せわしく入れかわっていました。モデルアイコンの着用している服のアパレルメーカーと値段。そのヘアスタイルそっくりにできる(注1)、もよりの美容チェーンの所在地と値段。アクセブランドとその値段。はては架空モデルの私物品にいたるまで。どんなに時間がすぎても、お買いもの情報だけは、およそ1月~3ヵ月後ぐらいまで(注2) さかのぼることができました。
(注1) 人によります。 (注2) 商品によります。
「ゴーストバンクの名簿の公表により、また一人の著名人が失脚しました」
濃紺のスーツにかがやくシャツの白い襟、伝説の黒髪を華麗に乱さずまとめ上げ、キラリと光る、シルバー・アンダーリムの細メガネ。バックのいかにもなニュースショウの書割は、ライトブルーの歯車の幾何学模様でした。そこへメテオみたいな流星の雨がふり、つづけざまコメットも発動、コロニー落としのような光で画面が下からみちました。
くるりんぱっ(上島竜兵風)。
こんどはキャラクターだけではなく、ステージごと変わりました。
砂ぼこりまう風の中、コロコロころげるタンブル・ウィード。拳銃無宿な西部劇風セットから、紫煙濛々と立ちこめ、アルコールランプの炎あやしくゆれる、阿片窟の魔都上海へ。拍車のついたブーツと、つば広テンガロンハットのカウガールから、おだんごヘアに切れこんだスリットドレスの、レッツ・ダンスなチャイナガールへさまがわりしました。
これらの映像は、それぞれカンオンつかいの偏向がアルゴリズムによって反映、風味づけされたものでした。つぎつぎくり出される変化は、「消費者の購買意欲を賦活する刺激となる」という建前でしたが、変化によるプチ祝祭は日常と浸潤しあい、うならなりの対の実みたくなっていました。
それは個々のつくり手にとっては、おやくそくの業務であり、大手メディアにとっては、バレてもなんのモンダイにもならない、大衆に対する「我が闘争」をふくむものでした。また、その人の願望をあてがうことで、こっそりクレームそらしもかねていました。
もっともこの病院のそれは、不特定多数になぶられた、なれの果てでしたが。
「本日〇月×日づけをもって、クララン市長トヨコAI・エンプティ・ツキジは、辞職願を市議会議長に提出しました。先の市長、チューイチ・カイゴ・マッシブ氏の公金横領による辞任をうけ、当選したばかりでした」
――クララン市長トヨコAI・エンプティ・ツキジ。
彼女の政治的業績は、おもに三つありました。前元号時代における、個室スパの名称の否定と変更。クラランオリンピアのユニホームの否定と変更。つうじょうの手つづきをふんだ、市場移転計画の否定と変更などでした。
市場移転計画は、もともとアプレゲール・ニヒル・イシハラ氏いぜんからの継続的事業であり、科学的になんら問題のないものでした。マスラビッシュ(マスゴミ)によって、「なぞの地下空洞」とよばれた地下モニタリング空間は、たんに「もり土」をするより衛生的かつ、耐震性においてすぐれたシステムでした。
地下ピットによる地下水管理システムは、杭基礎をつたって地下から汚染水がしみだす毛細管現象がおきても、地下室でいったんそれを遮断し、たまった水をポンプでくみ上げ浄化したうえで、下水道から排出するものでした。こちらの方が、上から「もり土」だけでおさえるのとくらべ、より安全なのはあきらかでした。また微量のヒ素が検出されましたが、環境基準を下まわるもので、それは移転地にかぎったものではなく、他の土地でも自然由来でありえるものでした。そもそも、魚を洗うのは水道水です。
また耐震性においても、脆弱な「もり土」に杭をうつだけのものより、箱構造の下に杭をうつ方が、より耐震性がますのはとうぜんでした。
これらは地盤工学では、技術的に一般的なはなしのようです。マス・ラビッシュ(マスゴミ)が、それらを公平につたえることはなく、つねに彼らがつくった物語を「ほのめかす」のでした。
よくフェイクニュースと言われますが、じっさいは事実の捏造より、言質をうばわれない倫理的価値の捏造の方が多く、とくに老いた「先進国。いい匂いのする腐敗物、香料入りの屍体。(シオラン改竄)」において横行していました。
専門家会議などの指摘をうけ、彼女はそれらの合理性をみとめながらも、「安全だが安心ではない」と不合理なナンクセをつけました。
彼女は行政の首長にして反体制の反逆児であり、おバカ保守とリベラル・マスコミの愛児であり、負組と意識高い系の女神でもありました。
はなしは二転三転、笑点はいつの間にかお金のもんだい、利権問題へとすり変わり、いちばん重要だったはずの市民の健康被害のはなしは、ザブトンはこびの山田君とともに、どこかへいってしまいました。――負けそうになるとルール変更、さいごは倫理でゴネルのが、こころ弱き者の特徴です。
彼女は卑小な悪ではなく空無であり、「われわれ自身のなかの独裁者(マックス・ピカート)」のようでした。アプレゲール・ニヒル・イシハラ氏とちがい、彼女は議会をとおさず、トップダウンで移転延期をきめてしまいました。その判断によって生じた税金のムダ使いは、げんだんかいで、およそ100億ダニーをこえています。もはや、引きずり下ろし大好きな庶民の反感で失脚した、前任者のチューイチ・カイゴ・マッシブ氏のセコイつかいこみとは、ケタがちがうものになっていました。
ようやっと呼ばれたソルは、看護師さんにつれられ出ていきました。だれもいなくなった待合室で、ニュースショウはつぎのトピックにうつりました。画面が暗くなってスリープする省エネ設定も、だれかに解除されていました。
「今朝6時37分ごろ、スソ・ガウラー・アイランドで火災がおきました。オフショアの舞台となった、この島の旧サツマ通りのパチンコ店、『ぱちんこパーラー・マンハッタン』の駐車場から火の手が上がりました。」
「火のいきおいは激しく、オフショアの舞台となった地方銀行にもまわり、ゴーストタウンとなっていた旧サツマ通り一体を、ものの数十分で火の海にしました。」
「ただちに島の管轄である、クララン消防庁航空隊の消防ヘリコプターと、警察予備隊のヘリコプターが出動しました。」
「消防庁によりますと、現地へ到着するも、すでに消火活動をする必要をみとめられず、ほぼ自然鎮火した後ということでした。」
「原因は、電気のないこの島での自家発電、ソーラーシステムの老朽化による不具合と見られていますが、警視庁は事件事故、両面から調査をつづけていいるとのことです。」
「なおこの島は、みなさんご存知のように無人島ですが、季節により定期的に一週間ほど、市に業務委託された民間の保安管理調査員が入ります。しかし今はその時期ではなく、無人島化しているため、この火災による被災者はいませんでした。」
「つぎのニュースです。――」
その日の夜 コモンの自宅にて。
コモンはストレスで気がヘンになりそうでした。副理事のジョーシマが、一員関係者(生徒の親など)の緊急会議の後すぐ亡くなってからというもの、ひとり対応におわれていました。
コモン、キャッチャー(教師)のシュザンヌ、副理事のジョーシマ、すべて派遣もしくは契約であり、理事さえ代理人でした。わからなかったエリゼのほんとうの主体者、最終責任を負うものが、れいの脱税事件によって表へ出てきました。フタを開けてみれば、だれも聞いたことのないような夫婦が、理事と学長でした。
ソルの失踪と不祥事つづきでしたが、エリゼの子らの親たちも、少なからずオフショアの件に絡んでいました。声音低く糾弾するマスコミも同罪で、クララン市のアッパークラスぜんたい、グズグズになっていました。ただ匿名のエリゼ裏通信だけは、たいへんにぎわっていました。
ここにその一例をとりだして、みなさんにお見せしたいのですが、カギがかかっているのと、あまり共有(教育)によろしくないので、ひかえさせていただきます。もしみなさんが大人になっても関心があり、まだアーカイブにのこっていたら、下記のリンクを参照(注) してみてくださいね。 (注)そのときは、自己責任でおねがいします。
なぜかキャッチャー(教師)のシュザンヌが、心のやまいでたおれてから、彼がかわりに、彼女の共有(授業)をうけもつハメになってしまいました。ただそれだれが、彼の疲労の原因ではありませんでしたが。
どこの解放区(学校)にもありますが、なにげに彼もその職業上のたちばから、一員(生徒)らの裏通信をしりました。彼もいくつかのアカウントをもっていましたが、このところチェックアプリのよびだしがひっきりなしで、とうとう、彼はそれを排除してしまいました。
日に日に、彼にかんする書きこみがふえ、気になってしかたありません。見てもなにもいいことはない、とわかっていても、やっぱり今日も開けて見てしまうのでした。
「コモン、ウゼー」
「おまえ、なに一人でイキッてんだよ。タヒね!」
「あいつキモ、今日も女子のことイヤらしい目で見てた」
「大人の女に相手にされないから、エリゼにきたヘンタイ黒メガネザル」
「てか、あいつの目つきおかしくね? なんか明日屁っぽい」
「クサイんだよ、おまえ」
「ちっちぇーんだよ、おまえ」
「あそこも、ちっちゃいですw」
「ただの厨二だろ」
「高度共有(大学)にのこれなかった、ちゅうとはんぱな共有歴コンプ(学歴コンプレックス)じゃね?」
「でた、共有歴厨!」
「おなじ解放区内(学校内)でなにいってんだ? おまえの親、底辺(自由民)か?」
「はい、ミラーイメージ!」
とかなんとか、バリゾーゴンの雨あられ。まいにち接しない親たちの方は、子らとはちがった、またべつの味わいがありました。大人ならではのメディアリテラシーやインテリジェンスを生かし、親兄弟から親類縁者、年収、共有歴(学歴)、病歴、女性遍歴にいたるまで、ネホリハホリあることないこと、エゲツナサなく書きこまれていました。
アニメのキャラみたいに、メガネが目のコモン。ピカピカッと、そのレンズが光りました。おでこのタテ線をしずくマークの汗玉がつたい、ピクピク赤十字の血管線が、こめかみにうき出ています。エモティコン(感情記号)のカタマリと化したコモン。弱冠40歳にしていまだ独身。
どんより黒ずんだ紫を背景に、ムクムクわきあがる、火属性と氷属性のケダモノのオーラ。火炎を吐きちらし、暴風雪の嵐をまきおこす。
こよいもテトラパックのコンビニ枝豆と他人の悪意つまみに、発泡酒と合成ワインのちゃんぽんが、すすむ、すすむ。
今まさに、彼のひたいに亀裂が入り、第三の目、邪眼が開かれんとしています。陰キャ(目立たない人)の超覚醒がはじまろうとしていました。
あけて、エリゼにて。
「えー、みなさんに、だいじなお知らせがあります」
コモンはシュザンヌ空間(シュザンヌの受け持つ教室)のまん中に立って、はなしはじめました。
「きのう、おはなししたように、ソルは無事でしたが、とつぜんですが、彼はお引っこしすることになりました」
しんと、しずまりかえったルーム(教室)。さざ波ひとつ立ちません。コモンはちょっとだけ、ぶきみに感じました。
「それってどういうことですか、わたしたちは、どうなるんですか?」
ジュリがたずねました。
「はい。あなたたちのハン(班)は、マリもお休みしているので、ニコライと二人だけのハン(班)になります。もちろん、きみのパートナーもニコライです」
というと、ジュリはロコツにヤな顔をしました。ニコライは表面上無反応。窓外の風景をながめていました。
「まだルームぜんたいを再編成できる時期ではないので、もうしばらく、このままでおねがいします。共有(学習)のテーマも、二人ではタイヘンでしょうが、そのままつづけてください」
「えぇー、ガックリ。」
ジュリは、かたを落とすポーズをとりました。そのうでをつかんで、ブンブンふってなぐさめる、となりの女子。
うっすら目の赤いコモンは、なかばヤケになっているので、会話メソッドもつかわず、自前ではなしていました。
それに気づいた一員(生徒)は、さっそく口パクとウラ通信で、倫理的揚足とりをはじめました。
「マジかよ、コモンのやつ。ありえなくない? アイツ今、オレらと直ではなしているんだけどw」
「オワッタな」
「はい、つーほー。おまわりさん、この人ですwww」
「理事不在だから、なんでもありだなコイツ、ペッ(唾棄)」
「だれか、エリゼと業務提携しているスポンサーしらない?」
「なんで、おまえがやらねーの? 匿名通信の中でしか、なにもできないコドク虫が! すまい館(エリゼの居住区)のてめえのベッドでねてろ、カス!
「てめーこそ一生ロムってろ ハゲ!!」
「ふるっ」
「匿名通信つかって、匿名通信の中でしかなにもいえない (ry」
「また髪のハナシしてる」
「コモンと結婚したい、メスです。」
「てか、なんか、酒クサくない?」
「オレも思った」
「コモンと離婚したい、メスです。」
「アルちゅうかよ、やっすwwwwww」
「いよいよオワタな、メガネザル」
「コモンと再婚したい、メスです。」
「コモンの人気に嫉妬」
「コモン大人気だなw」
口をパクパク、目くばせしている子らが、コモンにはウェーイノ・シノパズー池端にあつまる、鯉のむれに見えていました。
(他サイトでも投稿しています。)
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