スマホ640pix



      Imagine


 ニコライは、ピクリとも動きませんでした。

 彼は、みんなの中ではのひくい子でした。ソルよりわかりやすい、いわゆる個性的こせいてきな子でした。共有きょうゆうの時間、とつぜん声を上げたり、たおれてアワをふいたりしました。それをきっかけにして、そのつど、みんなが考えるべき共有きょうゆうのテーマをあたえてくれる、だいじな一員いちいんでした。

「ピィーピィーピィー、タンカを、とおさせていただきます。ごちゅういください」

「ピィーピィーピィー、タンカを、とおさせていただきます。ごちゅういください」

「ピィーピィーピィー、タンカを、とおさせていただきます。ごちゅういください」

 女性音声じょせいおんせいによる、おねがいが聞こえてくると、チラチラ赤いまたたきが、カベに反映はんえいします。

「あ、タクちゃんだ」

「タクちゃんがくるよ」

「タクちゃん登場とうじょう!」

 子らはクスクス、わらってます。

 リニアタンカ(地面からわずかに浮いた浮遊型) が、登場とうじょうしました。前方の運転台うんてんだいに、人がのっています。微速びそくのタンカからおりると、子らをしり目に、そそくさと作業さぎょうにとりかかりました。

 タンカの出動しゅつどうは、カンオンの連携れんけいによる保護監視下ほごかんしかでおこなわれます。つねに監視モニターしつづけている、血圧けつあつ体温たいおん心電図しんでんず脳波のうは呼気こきテストなどの個人データ。および、ぼうだいなりょう一般いっぱんデータ。蓄積ちくせきされた双方そうほう比較照合ひかくしょうごうすることによって、発病はつびょうにおける臨界点りんかいてん予測よそくします。

 その出動指示しゅつどうしじは、まだ未発症みはっしょう段階だんかいにもおよびました。当人の自覚じかくがないままフライング発車はっしゃするため、しぶしぶタンカにのせられる、ほほえましい光景こうけいが、よく見うけられました。

 この手のデータは、共有財産きょうゆうざいさんと、なかば社会認知しゃかいにんちされており、個人こじんおおやけの相互利益そうごりえきとなっていました。情報じょうほう共有化きょうゆうかされることによって、病気びょうき早期予防そうきよぼう早期治療そうきちりょう役立やくだち、全体的ホリスティック医療いりょう向上こうじょう貢献こうけんしていました。

 すべてをカンオンに一任いちにんすることで、予算よさん運営うんえい管理かんり一元化いちげんかがはかられ、さけられぬ超高齢化社会ちょうこうれいかしゃかいの、慢性的まんせいてき赤字あかじ解消かいしょう成功せいこうしていたのでした。

「ピーピーピー、きけんだよ。そばに、よらないでね」

「ピーピーピー、きけんだよ。そばに、よらないでね」

「ピーピーピー、きけんだよ。そばに、よらないでね」

 赤い回転灯かいてんとうが、クルクル、タンカの前後でまわりつづけています。ボディに「ラブ・バイブ」と「鬼道戦士きどうせんしカンタム・プネウマ」のラッピング塗装とそうがされています。もちろんエリゼの広告収益こうこくしゅうえきによる、経費削減けいひさくげんのためのものでした。

 手ばやくベッド台に、使いすてシートカバーをはり、三歩はなれたところから、リモコン操作そうさ平行へいこうブームを下ろします。

「ピーピーピー、ブームを下ろさせていただきます。ごちゅういください」

「ピーピーピー、ブームを下ろさせていただきます。ごちゅういください」

「ピーピーピー、ブームを下ろさせていただきます。ごちゅういください」

 手ぶくろにマスクの完全防備かんぜんぼうびをととのえ、ニコライをベッド台にのせました。リモコンでブームを上げて、タンカにのせます。

「ピーピーピー、あぶないよ。ちかよらないでね」

「ピーピーピー、あぶないよ。ちかよらないでね」

「ピーピーピー、あぶないよ。ちかよらないでね」

 タク(37)は、じゅんスクールドクターです。ニコライがたおれると、きまってあらわれました。黒ぶちメガネで黒い短髪たんぱつ。もみあげがあり、レンズから小つぶな目がのぞいています。やせがた平均身長へいきんしんちょうで、スクール・ドクターにた、あわいグリーンの上下のセパレートをきていました。

「今日のニコライのかかりの人は、だれですか?」

 だれもこたえません。

「今日の、ニコライの、かかりの人は、だれですか?」

 滑舌かつぜつよくいいましたが、しーんとしています。

「今日のかかりは、だれよ?」

 やや、声をあらげていいました。タクはだれに対しても、ものおじしないしゃべり方をしました。そのせいで、たびたびトラブルにみまわれましたが、生来せいらいのハートの強さ(鈍感さ)が、彼をすくっていました。あるいみ彼もまた、個性的こせいてき人物じんぶつでした。もっとも、個性こせいのない人などいませんが。

 ほんらいなら、ソウルメイトの異性いせいである女子が「ニコライのかかり」になるべきですが、ニコライのばあい、事情じじょうが少しちがっていました。ソルはその役目やくめを思いだし、ビクンッとなって、へんじをしました。

「ハイッ」

「それでは、ほかの子がぶつからないように、タンカの後ろから、ちゅういして、ついてきてください」

 タクはマニュアルの文言もんごんどおり、一字一句いちじいっくたがわずいいました。彼はチョッとでもマニュアルから外れるのが、不快イヤでした。手引き復帰マニュアルふっきすると落ち着きをとりもどし、たんたんと仕事をこなしていきます。ソルはおこってないようで、ほっとしました。

「それでは、バックします。みんなさん、さがっていてくださいね」

「はぁーーい」

 子らが不必要ふひつようなほど、明るく大きな声でへんじをすると、小さい声でクスクス、だれかが「みんなさん」といいました。

 ギヤがバックに入りました。

「ピーピーピー、バックさせていただきます。ごちゅうい下さい」

「ピーピーピー、バックさせていただきます。ごちゅうい下さい」

「ピーピーピー、バックさせていただきます。ごちゅうい下さい」

 間をおいて、タンカがモタモタ、うごきはじめました。

「ピーピーピー、タンカを、とおさせていただきます。ごちゅういください」

「ピーピーピー、タンカを、とおさせていただきます。ごちゅういください」

「ピーピーピー、タンカを、とおさせていただきます。ごちゅういください」

 ろう下を徒歩とほでついてゆくソル。あまりのおそさに、足がタンカにぶつかりそう。彼らがルームを出るのと入れかえに、クルクル青い回転灯かいてんとうを光らせた、清掃用せいそうようのタートルがたロボットとすれちがいました。

 リトリート(保健室的なヘヤ)につくと、鳥のときのわかはげイケメンの、スクールドクターがいました。こちらにはかまわず、ピンクのスツールボール(弾力のある球形で、背もたれなし)にこしかけ、カンオンにむかってブツブツいっています。自分の仕事しごといがい眼中がんちゅうにないというより、仕事しごとがハッキリわかれているようでした。

 タクも無視むしするかのように、こちらの仕事しごとにとりかかります。タクのしじで、ソルも手つだわされます。それは「ミンナノキマリ」という共有要項きょうゆうようこうで、きまっていることでした。鳥のことをたずねたかったのですが、そんな状況じょうきょうではないことは、さすがのソルもわかっていました。ニコライはベッドにねかされたまま、ピクリともしませんでした。

 タクはこしをおとし、視線しせんをあわせ、ソルの体にふれながらいいます。

「それでは、きみが、ニコライの、ホットパンツと下着したぎを、ぬがしてくれるんだよね?」

「きみが」のところを、一番つよく発音はつおんしました。タクはマニュアルどおり命令口調めいれいくちょうをさけ、対等たいとうにへりくだって、同意どういをせまりました。大人として上に立つ加害者意識かがいしゃいしきのなさ、というより、マニュアル原理げんり近視眼きんしがんというべきでしょう。とくにタクのばあいは、なおさら。そもそも、さまつなマニュアルの存在そんざいこそ、面倒めんどうな人たちからの責任回避じこほぞんなのですから。

 おどおど、おしきられるソル。使いすての手ぶくろをわたされました。

 おそるおそる、ホットパンツを人さしゆび親指おやゆびでつまみ、ぬがしにかかります。

「ゲホッゲホッ、ゲホゲホ、ゲホホホ」

 不穏ふおんな色になった下着したぎをおろすと、キョウレツなにおいとブツに、むせかえりナミダぐみます。なによりギョッとしたのは、ボーボーで、彼のサイズが異常いじょうだったことでした。まだソルだって生えてないのに。

 タクのしじどおり、大ぶりのぬれティッシュでふきとるというより、こそぎ落します。可燃腐食性かねんふしょくせい不透明ふとうめいのジプロックに、大量ていりょうのぬれティッシュと重い肌着はだぎ、さいごに手ぶくろを入れ閉じました。それをいわれるまま、ぬこのケティーのゴミボックスへ。ホットパンツもジプロックに入れ、おなじようにてました。

「ありがとうソル」

 ぼうよみで、タクはいいました。

 タクは、たなから新しいものを二つだして、ソルに手わたします。

「きみが、ニコライに、新しい下着したぎとホットパンツを、はかしてくれたら、うれしいな」

 はっきりした口調くちょうに、手ぶりをまじえるタク。彼の横で、カンオンが空中静止くうちゅうせいししています。ソルから見えない、視野角しやかく0度で照射しょうしゃしているのでしょう。作業さぎょうマニュアル・サーブロックの、一字一句いちじいっくを、正確せいかくによんでいるものと思われます。

「ありがとう、ソル」 

 けっきょく終わってみれば、すべて彼一人でやっていました。これはマイノリティーのたちばにたった、多様性たようせいをそんちょうする「思いやり体験学習たいけんかせくしゅう」のいっかんでした。その間、スクールドクターは、こちらに一瞥いちべつもくれませんでした。

「おわりました。スズキさん」

 タクがいうと、スクールドクターがうなずき、カンオンとのやりとりをやめました。

「ありがとうソル、よくやってくれたね」

 さらりと、スズキ(30)がいいました。

 彼はソルをともない、あいているベッドの方へいき、そこへこしかけ、ソルにもすわるようにうながしました。彼はなんとなく、イヤな予感よかんがしました。

 スズキがきりだします。

「さあ、きみが今やったボランティアについて、どんな感想かんそうをもったか、聞かせてくれないかな?」

 ボランティア? ソルは心の中で、反問はんもんしました。

「今なにを感じているのか、そっちょくにぼくに、はなしてくれないかな?」

「えっと、かんそうですか?」

「きみはニコライのこと、どう思ってるのかな?」

「かんそうを、ゆうんですか?」

「きみはハンディのある、ニコライのことを、どう思ってるのかな?」

「ニコライのことですか?」

 まずいことにソルは、三回つづけて、質問しつもんに、質問しつもんで答えてしまいました。ヘヤの温度おんどが一度下がりましたが、彼は気づきませんでした。

「だれのことだと思ったの、きみのかかりでしょ」

「はぁ」

「はぁじゃなくて、彼のたちばになって考える、いいきかいになったでしょ」

「マイノリティー学習がくしゅうをしてみた、感想かんそうはどう?」

「はあ」

「はあじやなくて」

「なんか、イヤイヤやってなかった?」

「えっ」

「きみはマイノリティーの人のこと、その人の身になって考えたことあるの?」

「その人の気もちになってみたことあるの?」

「……」

「その人のいたみを、わかろうとしたことがあるのかってことを、聞いているの」

「……」

「ニコライは今、どんな気もちだと思う?」

「えっと、今ですか、おきたらですか、想像そうぞうで、ですか?」

 ソルのトンチンカンな空気を無視むしした発言はつげんに、スズキは不機嫌ふきげんを、ややあらわにして見せました。

「リクツをいってるんじゃなくて、人の気もちのことをいってるんだが?」

 ソルはスリーテンポおくれて、のみこみました。この人は議論ぎろんをもとめていない、ことを。まっさきに気づかなかった、自分をせめました。

「……」

「きみあのとき、すぐに手を上げなかったよね」

「ほらオレが、かかりの人って、言ったときさ」

 だしぬけに、タクがわりこんできました。

「ちょっときみは、だまっててくれないか」

 イラッとして、スズキがいいました。

「あ、サーセン」

 タクは頭に手をやり、すぐに引っこみました。

「へへ、またおこられちゃったよ」

「また、よけいなことをいう」

 ななめ下を見て、小声でスズキがぼやきました。

「だいたい、感想かんそうを言い合うのは、共有要項ミンナノキマリできまっていることでしょ。シュザンヌも説明せつめいしたはずだが? どうもきみは、きみの少しばかりの個性こせいに、ちょっと、あまえているようだね」

「……」

「もしかしてきみは、ニコライとか、ハンディキャップのある子とか、女の子たちとか、マイノリティーの人たちを、無意識むいしきに少し下に見てないか」

「いっておくが、彼女たちや彼らの方がきみなんかより、ずうっとガマン強いんだぞ」

「ハンディを、ものともしない、いたみにたえる強さがあるんだが、それがきみには、わかるかな?」

「いえ……」

 ソルは消え入りそうな声で答えました。ナミダぐんでいましたが、こぼれないよう、こらえていました。

「だいじなことは、こうしたふれあいの中でカベをつくらず、きちんと意見いけんなり感想かんそうをいいあって、おたがいの理解りかいを深め合うことじゃないかな」

「イヤ、これはあくまでボク個人こじん感想かんそうで、一般論いっぱんろんでもなんでもないんだが(笑)」

「きみの方は、どう思っているのかな?」

 ハイと同意どういしさえすれば、早めに解放かいほうしてもらえるのは、じゅうじゅう承知しょうちしていました。彼の意固地いこじ個性ハンディのせいで、素直(~に、という日本語における間接目的語をともなわないコトバ、服従の意)になれませんでした。

 けっかは、いつもどおりをえらべず、をえらんでしまっていました。利他的共感りたてききょうかんにより、世間せけんからキックバックされるとく利己りこよりも、正しさというそんなコドクを。

 成熟(平均域化)できない自分のなさけなさ、不適応ふてきおうさに、彼はじ入りました。それとどうじに、ハラも立っていました。議論ぎろんのよちのない、いっぽうてきなスズキに対して。

 ホントか?

 ホントウは、はじをかかされておこってるだけじゃないのか、幼稚ようちさをかくそうとして、自分にカッコよくおこってみせてるだけじゃないのか?

 じゅくじゅくした感情かんじょうとコトバがせめぎあい、混乱こんらんしてきました。

 ぎゃくに混乱こんらんすることで、現実逃避げんじつとうひしようとしているんじゃないのか、オマエ。

 さいげんがなくなり、いっぱい、いっぱいになってきました。内省ないせいはどこまでいっても、やまいでしかありません。強制きょうせいされたとしても、ただ彼の仕事(下着交換)だけは、倫理りんりとしてのこりました。

 スズキにだけ、ハラを立ててるんだ。

 そう思いこもうとしても、うまくいきません。自分に対する自信じしんが、欠如けつじょしていたからでした。

自己じこあいする心から、すべて(関係)がはじまる」

 気はずかしくも正しい、そんな言葉ことばは、今の彼には想像そうぞうもつきませんでした。

 けっきょく、鳥のことはきけずじまいでした。


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