スマホ640pix




      メエルシュトレエム・大渦巻



 光のまたたき。

 間をおいてとどろく、超低空ちょうていくうをかすめる、軍用ぐんようジェットのような音。

 余韻よいん長引ながびきます。

 ビリビリしびれるまどのワクにたまった、ポリッシャーみたいなアワ。外には、まっ白な雪原せつげんが広がっていました。

 泡立あわだち、うねり、れ来るう海。

 つぎつぎあたまをもたげ、波頭なみがしらをまきこんでくずれ落ち、一つに解消かいしょうされる海。

 われる破裂音はれつおん船腹ふなばら檄突げきとつする水。きしんで悲鳴ひめいを上げる、肋材アバラはり骨格フレーム

 もう外へ出る勇気ゆうきは、ソルにはありませんでした。

「プルルルルルル」

緊急事態きんきゅうじたいです」

「バランスをとるため、救命用きゅうめいようシーアンカーを射出しゃしゅつします。よろしいですか?」

 おちつきはらった声で、ナレーターがいいました。

 だれも返事へんじをしませんでした。

「ガコンッ」

 ショックがつたわり、オレンジ色の三角形のパラシュートが、まっ黒な海中になげこまれました。

 舳先へさき風上かざかみにむけようと、ふね足掻あがきます。モーターがうなり、プラスティックのけるような、異臭いしゅうはなをつきました。

 なみり上げ、船底ふなぞこの前半分をさらし、立ち上がるようジャンプします。なみなみへこみに落ちこみ、水平すいへい視界しかいから完全かんぜんに消え沈没ちんぼつ重力じゅりょくならされる水とともに、ふたたび浮上。すがたを見せました。さいげんなく、それを繰返くりかえしています。

 ソルはゲンナリしてきました。

「いつまで、つづくんだよ!」

 直後ちょくご、マンション一棟分いっとうぶん直撃ちょくげきを横からくらい、なすすべなく一回転いっかいてんしました。

 シートに固定こていされていなかったソルは、下半身かはんしんをなげだされ、ゆかに骨盤こさばつたたきつけられました。

「いってーな!」

 はいつくばって舵輪柱だりんばしらにしがみついていた彼は、いた下半身かはんしんを引きよせ、をおこします。こんどは、カニばさみできつく体勢たいせいにかえました。

 後から気がついたのですが、れていたのは幸運こううんでした。もともと川の浅瀬あさせをゆくための、小型こがた構造こうぞうです。もうしわけていどの、下ビレのバラストキールと、天井てんじょうりつけただけのマストは、船底ふなぞこまでの貫通式かんつうしきではありませんでした。そのコンパクトな安易あんいさによって、よけいな抵抗ていこうぎゃくにいなし、フタをしたペットボトルみたいに、波間なみまにクルクルただよっていたのです。

 だれかが、さけんでいる気もしますが、颶風ぐふうなみ怒号どごうにかき消され、人の声と判別はんべつできなくなっていました。ときおりひらめくイカヅチに、三人のシルエットがうかんで見えました。

 どれくらい時間がたったでしょう? 数分すうふん数十分すうじゅっぷん数時間すうじかん? ずいぶん長くも感じられますが、興奮分こうふんぶん大幅おおはばし引いたら、せいぜい二十分といったところでしょうか?

 ほんのちょっと、ふね安定あんていしてきたような気がします。気のせいか、ななめに、かたよっているみたい。ずっと舵輪柱だりんばしらにしがみつき、激浪げきろうえてきたせいで、感覚かんかくがおかしくなっているのでしょうか?

 りょう手をつき、半身はんみをおこします。ってはいません。あきらかに、船自体ふねじたいかしいいでいました。

「おーい」

「……」

「おーい」

「……」

「おーい」

 きょくたんに光の落ちた薄暗うすくらがりの中、ずりずり片肘かたひじついて、みんなに、にじりよります。三人とも、目をつむっていました。

「なんだ、ねてんのか」

 彼は気がぬけました。

 フラつきながら、くるぶしに力をかけ、ななめに立ち上がりました。バランスをとりながら、そのまままどへと歩みよります。

 まっ黒な外界がいかい。のっぺり黒一色で、かべのようでした。砂粒すなつぶのようなほしも、波模様なみもようの白いムラもなく、雷光らいこう反照はんしょうはおろか暗雲あんうん濃淡のうたんさえ、黒一塊くろひとかたまりりこめられていました。どこからか、地の底からいてくるような、えたいのしれない咆哮ほうこうだけが聞こえていました。

 すわって、すべり台のように反対側はんたいがわへいどうすると、こっちも、まっ黒。黒いかべの下だけボヤけ、ケバ立ってます。

「なんだよ、コレ」

 よろめきながら、また反対側はんたいがわへと、しゃめんをのぼりました。

 まどごしを、じっと、見つめるソル。

 パッパッと、おかのむこうでカミナリのひらめき。

 ぬりかためたような黒壁くろかべ肌理きめを、白く浮動ふどうする綾目あやめ。それはアブクでした。

 恐怖きょうふがこみ上げてきました。

 反対側はんたいがわへいって確認かくにんしなければいけませんが、足がすくんでうごけません。でも、もうわかってます。

 あっちがわの、あのボヤけたところが、下なんだ!

 それは下ではなく、まん中でした。しぶしぶ勇気ゆうきをふるって、もう一度のぞきこむと、そこは泡立あわだうず中心ちゅうしんだったのです。

 彼は後戻あともどりのできない境界線きょうかいせんのこっちがわ、非日常ひにちじょう危険地帯きけんちたいにいました。

 ぼーっと現実感げんじっかんから、とおざかるソル。その無為むいへの逃避とうひこそ、すくいようのない現象げんじつに直面しているという、たしかな証拠しょうこでした。うつろな気ぶんの中、いやいや彼は、それをけ入れざるえませんでした。現実げんじつを、またぐ(穢す)ことは、できないないからです。

 ひざがいたいようつめたく力が入りません。なんとかしなくちゃと思っても、なにも手がつけられず、こくこくと時間だけがぎていき、じりじりあせりだけがつのります。時間をムダにしてるのが久留おしいほどえがたいのに、うごきたくてもうごけない。数分前すうふんまえのじぶんにハラを立て「おまえのせいで、あぶなく、みんなをこすとこだったろ!」となじり、絶望ぜつぼう無為無策むいむさくの、ふさぎようのないあなをうめていました。

「う"わー!」

 とつぜん絶叫ぜっきょうするソル。

「バカバカしい、やめやめ」

 自己批判じこひはんという、落ち目の人間の最後さいご矜持プライドっすると、彼は暗闇くらやみをまさぐり、現実カンオンをさぐりあてました。

 つかんだ!

 もしかしてオレ、(生まれて)はじめて、カンオンにさわったかも?

 カンオンはヒンヤリして、かなりかるめ、ややマットな手ざわりでした。ハチ巣状すじょう複眼ふくがん凹凸感おうとつかんはなく、ゴルフボールより小さくアメ玉より大きい、ごろっとした球体きゅうたいでした。

 やっぱり、こわれてるのかな?

 そうか、わかった。エネルギー切れか!

 ん? まてよ。

 はやくね? なんかエネルギー切んの、はやくね?

 酷使こくししたのが原因げんいん

 そうか? そうでもないだろ? 

 う~ん……

 彼は自問自答じもんじとう現実逃避げんじつとうひ(?)をしている間、しばらく恐怖きょうふをわすれれていました。

 はっとなって、そんなこと考えてるばあいかと気をとりなおします。カンオンをふったり、指先ゆびさきでコツコツたたいてみたり、とにかく、なんでもいいから具体的行動ぐたいてきこうどうを心がけます。手首てくびのスナップをきかせ、ほうりなげました。みみをすましても、落下音らっかおんは聞こえません。

 たぶん、まだ生きているな。

「つけ」

 ささやくように。

「つけ、つけよ」

 せっつくように。

「あかりつけ!」

 ぼやんと、氏にかけのホタルのような明かりが、ともりました。

「チッ、やっぱエネルギーか」

 まったく、わるいことしか、おきないのかよ。

 彼は嘆息たんそくして、あいてのいないいかりをおぼえました。

「!」

 光と破裂音はれつおんやみき、またやみにかえりました。

 衝撃波ソニックブームに、ふね人体じんたいつらぬかれ、はげしくビリビリ振動しんどうしています。大木がけ、飛散とびちるような音とともに、電流でんりゅうが走りました。

 ストロボみたいに頻度ひんどをます雷光らいこう間髪かんぱつ入れずとどろ雷鳴らいめいはくがはったみたいな聴覚ちょうかく鈍麻どんまと、パチパチとした手ざわりの空間。口の中の鉄味かなあじが、まだ消えずのこっています。

 どぎまぎした心臓しんぞうと、呼吸こきゅうがととのってきました。彼はドキッとした、さっきを思いかえします。

 光にらされたニコライのかお一瞬いっしゅんそれが、ホルスに見えました。

 そのかおは、おこっていました。いえ、わらっていました。今さっきのことなのにハッキリせず、ただ印象いんしょうだけが、むねにこびりついていました。

 彼は、ぼそっと言いました。

「なんだよ、」

「だれなんだよ、おまえ」




 おそるおそるジュリは、目をあけました。さっきまでの大風おおかぜ大波おおなみが、うそのように、しいんとしずまっています。

 あたりを、うかがうジュリ。

 目をつむって歯をくいしばり、えしのんでいるさなか、ブッツリ時間が切れたみたいに、あらしがやみました。

 暗がりの中、となりのニ人のかげはピクリともしていません。まどは外から塗装とそうされたように、まっ黒でした。ゆかにころがっただれかのカンオンが、うすボンヤリ、みどりともっています。

「みんな、なにしてるの」

「ねてるの?」

 きゅうにしずかになるなんて、どう考えてもへんです。無感覚むかんかくのまま、数時間後すうじかんご転送ショートカットされたみたい。それとも短期記憶障害たんききおくしょうがいにでも、彼女はなったのでしょうか?

 わたしだけ?

 え、わたしだけ?

 実感じっかんがともないません。ねてもいないし、ゆめもみていないのに。彼女はなっとく、しかねています。

 恐怖きょうふのあまり、じぶんだけ気絶シャットダウンしたのかと、きゅうに気恥きはずかしくなる一方、みんなにダマされているような気もしてきました。

「うそでしょ」

「まーた」

「ほんとは、カンオンつかえるんでしょ?」

「ねたフリなんかして」

「わたしのカンオンに、なんかしたの?」

「……」

「いやいや、しってるって(笑)」

「しってんだから、ソル(笑)」

 ゆかでたフリをしているはずの、黒いカタマリにむかって、いいました。

「ハイハイ、もういいから」

「もういいって」

「いや、もういいから」

「……」

「だから、もういいって!」

 気味きみがわるくなってきました。だれもおきないのです。なんの反応リアクションもありません。

「タチわるいな、子かよ!」

 不適切ふてきせつなコトバをつかいましたが、気にせずスルーします。もう彼女は、自分のコトバを、しんじてはいません。

「おい、いいかげんにしろ!」

「いつまでやってんだ!」

「もう、やめろ!」

 暗闇くらやみの中で繰返くりかえす、自分のいき。それだけがみみについて、はなれません。

「おい!」

「おい!」

「おい!」

「…………」

 いのりながら、なにかをちつづけるジュリ。暗黒あんこくが、彼女の前をふさいでいました。


 ジュリが氏という概念がいねんにいたらなかったのは、彼女の日常にちじょうから、それが疎外そがいされていたせいでしょうか? それとも主観的観点しゅかんてきかんてんから、納得なっとくしかねたからでしょうか? ニコライのヒザと、その上でにぎったマリの手が、つめたくなかったからでしょうか?


 まっても、まっても、なにもかえってきませんでした。

「もう、いじわるしないで……」

 ジュリはいていました。

 彼女はみどりの光だけを、じっと見つめていました。

 それは保留状態ほりゅうじょうたいをしめす色でした。考えられるのは、のこり少なくなったエネルギーのための、しょうエネモードか。もしくは、なにかを実行中じっこうちゅうのまま、不具合ふぐあいがおきたことによる一時停止フリーズか。それともたんに、長時間ちょうじかん放置ほうちされたすえの、仮眠かみんモードへの移行いこうか。

 時間じかん……。

 ジュリは、ぞっとしました。

 じぶんだけが、それからのこされていました。

 こんなことって、ありえない! 

 彼女は心の中で、さけびました。

 孤立こりつしないこと。ただそれだけを、今まで彼女は気をつけていました。

 なのに、なんで、わたしだけ?

「ねえ、なんで、わたしだけ!」

「ありえない! ありえなくない?」

「なんで、わたしなの?」

「なんで、わたしだけなの?」

「おかしくない?」

「ねえ、ねえ(笑)」

 じぶんが、だれかの身代みがわりになっているような気がしてきました。でなけければ、絶対ぜったいにありえない。というか、ありえっこない! とっさに、ソルのかおが想いうかびます。

「そうだソル。ソルよ。」

「そうにきまってる」




 あらしがおさまったと見るやいなや、ニコライは外へ出ました。みんなはグッスリ、おやすみのさいちゅう。

「パシャン。チャポン、チャポン」

 音を立てて、なにやら船外活動せながいかつどうに、彼はいそしんでいます。

「クソあとチョット。あとチョットなのに!」

 とつぜんあらしがおさまると、きゅうくつさとくらに、やもたてもいられず、彼は外にとび出しました。

 チャコールグレーのくもをすかした月あかりの下、波間なみまに光るモノを見つけました。ニコライは、じぶんだけの大発見だいはっけんに色めき立ち、できるなら一人で引き上げたいと思いました。みんながおきたら、ビックリさせたかったからです。

 さっそく彼は、道具どうぐさがしをはじめました。思い切りがいいのか、かがやきをうしなったカンオンには、見むきもしません。そもそも、生まれた時からカンオンもちの子らにあっては、カンオンに物理的要求ぶつりてきようきゅうをする、その発想自体はっそうじたいありませんでした。

 船橋ブリッジの白い外壁そとかべにハメこまれた、オレンジ色の浮輪うきわが目に入りました。外したところに指穴ゆびあなへこみを見つけ、中からフローティングロープをとり出します。大ざっぱに二つをくくりつけ、海へなげこみました。

「パシャン。チャポン、チャポン」

 くりかえし、くりかえし、なげこむニコライ。

「入れよ、クソ! 入れ!」

 気もちてきに三桁みけた投擲とうてきの後、やっとワッカっかに、スッポリおさまりました。

 引き上げる時が、また一苦労ひとくろう。なんどもなんども、ワッカをすべり、海に落っことしました。泣きそうになるニコライ。だれかをうらみたくなってきました。ちょっとだけ泣きました。ソルをおこして、手だすけしてもらいたいたかったのですか、それはぜったいイヤでした。いちばん彼がはなをあかしたかったのが、ソルなんですから。なんとか引き上げた時には、もう、へとへとになっていました。

 やったぞ!

 オレ一人で、やったんだ!

 彼は、ほこらしく、まんぞくでいっぱいでした。

 引きよせながら、うすうす感づいていましたが、それは、きのうソルがなげた飛行機ひこうきでした。

「これ、もうオレのだよな!」

 彼はじぶんがついやしたガンバリとつかれを、それと引きかえにした気ぶんになっていました。

 もう、あいつがなんていったって、かまうもんか。

 見つけたのはオレなんだ。

 オレがひろわなきゃ、そのまま、海に消えてたんだからな。

 オレが、がんばってふねに引き上げたんだ。

 むしろ感謝かんしゃしてもらいたいぐらいだ。

 ざんねんでした、ごくろうさん。

 くろうしたのはオレか(笑)。

 もうこれ、オレのモンだから(笑)。 

 彼は目をかがやかせて、それに魅入みいっていました。ズブぬれの、黒くて、ぶかっこうなそれに。




 じつはマリは、このたびのはじまる前から、それもずっと前から、母親のことしか考えていませんでした。恋人パートナーの男の子のことは、たびのさいちゅう、ただの一時もあたまよぎりませんでした。

 彼女はじぶんが、ママに心配しんぱいかけていることを、いちばん気にやんでいました。

 というより、心配しんぱいしてくれているのかな? 

 むしろ、心配しんぱいすればいいのに。

 てか、心配しんぱいしろよ! 

 マリはじぶんでも、じぶんの気もちが、よくわかりませんでした。

 彼女はエリゼに入れられたことを、うらんでいました。母親にてられ、うらぎられた気がしていたのです。

 ママの仕事しごとのメーワクになったつもりは、まったくなかったのに!

 マリは母親のことがキライで、それいじょうに好きでした。

 ほんとうは、彼女が妊娠にんしんしたのは、母親の気を引くためだったのかもしれません。母親とそのまわりの気を、引きたかっただけなのかもしれません。

 じつはマリは、ジュリのことがキライでした。でも、ほんとうは彼女のことが、うらやましかっただけ、なのかもしれません。

 明るいジュリ。女子のグループで中心のジュリ。キャッチャーに一目いちもくおかれているジュリ。お金もちのジュリ(エリゼにいる時点で、彼女自身もまずしいワケないのですが)。わたしより、かわいいジュリ(はた目から見たら、さほどのがあるようには、見えませんが)。いつも私の上に立って、おねえさん風ふかせるジュリ。などなど。思いかえすたび、だんだんハラが立ってきます。

 それどころか、まるでママ気どり! 

 いったい、なんなの!

 彼女としては、妊娠にんしんしたことで、ジュリや一員いちいんの女の子たちに、先んじたつもりでした。

 でも、なんかちがう……。

 じぶんが尊敬そんけいされているというより、どこか、とくに女の子たちから、ばかにされているような気もしていました。男の子たちはかべができたように、ちかよらなくなりました。そんな時彼女は、きっと嫉妬しっとしているんだ。と思うようにしていました。

 うばわれていた視界しかい閃光せんこうが走り、耳をつん雷鳴らいめいとどろきます。襟首えりくびをつかんで引っぱり回し、かべたたきつけるような怒涛どとう衝撃しょうげきがつづいています。マリはまぎれもない現実げんじつ遮断しゃだんするため、目をつむり耳をおさえ口をとじ、じぶんはジェットコースターにのっているというていで、それらの考えに没頭ぼっとうしていました。

 あらしはいつまでたっても、止みませんでした。


(他サイトでも投稿しています。)

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