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マンガにはストーリー、共感、感動はありません。 小説には、それらしきもの(捏造への意志)があります。

みなし児ヴィデオ・オレンジ

みなし児ヴィデオ・オレンジ 38 (港にて)

スマホ640pix



      港にて



「あつまってるな。銀行屋《ぎんこうや》がいなくて、つごうがいい」
 開口一番《かいこういちばん》、チェロキーはいいました。
「どこいってたんだよ」
「おまえと同《おな》じだよ。さがしていたのに、きまってるだろ。土砂崩《どしゃくず》れを迂回《うかい》して、反対側《はんたいがわ》からまわりこんでいたんだ。荷台《にだい》にバイクもあったが、おろすのが面倒《めんどう》だっだし、おまえもいたしな」
「どうした? 子度藻を乗《の》せないのか? やつを待っているのか?」
 ダイがなにか言おうとすると、ママが腕《うで》を引っぱりました。
 二人はだまりこみました。
「まあ、そんなこったろうとは、思ってたけどな」
 うすら笑《わら》いをうかべる、チェロキー。
「なにがおかしい?」
「行かないんだろ?」
 二人の顔色《かおいろ》を見くらべ、
「船《ふね》は出さないんだろ? 図星《ずぼし》か」
 困惑《こんわく》しつつ二人とも、まだ、おたがいの顔《かお》を見合わさずにいました。
「そう警戒《けいかい》するなよ。べつに、どうもしないぜ(笑)」
 だまりこくったままの二人。
「どうするんだ? このまま、じっとしていても始《はじ》まらんが」
 制止《せいし》するママをおさえ、ダイが口を開きました。
「なんか、いい手でもありそうな口ぶりじゃん」
「お、そだちのわりには勘《かん》がいいな」
 ちょうはつてきな口ぶりのチェロキー。
「なんで今日にかぎって上から目線《めせん》の、おしゃべりなんだ? その口ぶりからすると、あんたも自立民《じりつみん》の出っぽいな」
「――もって、おいおい!」
 とつぜん、大声を出すチェロキー。
「それじゃあ、ママもそうだと言わんばかりじゃないか! そんなこと、わざわざオレに教えてくれなくったっていいんだぜ、うたがわしい人間にさ。まあ、それを言ったら全員《ぜんいん》そうだが(笑)」
「え、なんで、そうなるの? 銀行屋《ぎんこうや》だっているのに。そんな揚《あ》げ足とりでビビるとでも? あてずっぽうでも動揺《どうよう》をさそったら、めっけもんてとこか? いやだねぇ大人は。恥《はじ》も外聞《がいぶん》もなくなってさ」
 怒気《どき》のこもった早口で、ダイはいいました。
「ふふん。教祖様《きょうそさま》も娑婆《しゃば》でもまれて、すこしは大人になったのかな?」
 語気《ごき》を強め、
「――いやしい依存民《いそんみん》のガキのクセに」
 あきらかにムッとするダイ。
「あいつが一度でも、自分の口からそんなこと言ったことあったか? だれも自分の過去《かこ》なんて、話《はな》しゃしないのに。それに言ったところで、ウソかもしれないじゃないか。おまえは信じるのか? 信じられるのか? おまえのお頭《つむ》はお花畑《はなばたけ》か? いったいこの中で、信用《しんよう》するに足る御仁《ごじん》なんているのか?」
「なんだよ、ごじんって。死語《しご》か?」
「さすが教養《きょうよう》のある依存民《いそんみん》はちがうな。スタンダードなコトバだが? そうかあれか、おまえらの世代《せだい》だと、よゆう教育《きょういく》のシッポか。かわいそうに、生まれと育《そだ》ちと共有《きょうゆう》のトリプルパンチだな」
 声にだして、せせら笑《わら》うチェロキー。
「教育《きょういく》って、なんだよ」
 負《ま》けじと失笑《しっしょう》してみせるダイ。
「わざと言ったんだよ。なにが共有《きょうゆう》だ、くだらんゴマカシだ。わかれよ、よゆう(笑)」
「そっちこそ。いつの時代《じだい》の人だよって言ってんだよ、おっさん(笑)」
「好景気《こうけいき》の|エラン《活気》を知っているか、この、生まれたときから万年《まんねん》デフレの、しなびたうらなりの続編世代《ぞくへんせだい》が。浅《あさ》く広《ひろ》く金儲《かねもう》けってか。文化《ぶんか》がテクノロジーのように時間とともに加算《かさん》されて、日進月歩《にっしんげっぽ》で進歩《しんぽ》するとでも思っているのか? さすが退化《たいか》した、よゆう世代《せだい》は違《ちが》うな。(笑)」
「生まれた時からって、――だったら、おれらに責任《せきにん》ないじゃん。むしろアンタら前の――」
 ダイはとちゅうで、だまってしまいました。彼は、みょうに今日にかぎって、チェロキーが煽《あお》ってくることに気づきました。
「なんだ、きゅうに無口《むくち》になったな」
「ま、いいか。そういうことにしとくか」
 チェロキーは肩《かた》をすくめました。
「なんだよ、それ」
 と、ダイ。
 もとはと言えば、ソルによって引きおこされた騒動《そうどう》なのに、まるっきり、かやの外でした。彼はわれとわが身をもてあまし、大人たちの口げんかの行く末を、みまもっているしかありませんでした。
「ちょっとぉ、ケンカは終《お》わったの? はやく本題《ほんだい》に入りましょうよ」
 小康状態《しょうこうじょうたい》に入り、やっとママは、口をはさむことができました。
 チェロキーはあくびして、
「なんだったかな……ああ、そうそう。ガキのことか。で、どうするんだ? なにか良い対案《たいあん》でもあるのかな?」
「それより、あんたなんか、さっき言いかけたろ、そっちを先にしろよ」
 トゲトゲしく、ダイが言いかえしました。
 チェロキーにしろダイにしろ、だれにしたって同じことですが、ここでの「個人《こじん》」に踏《ふ》みこんだコミュニケーションは、好《この》むと好《この》まざるとにかかわらず、こうならざるをえませんでした。
 ちょっと、ほほえんでから、チェロキーは言いました。
「この船《ふね》はつかえないんだろ?」
 ダイがなにか言いかけると、「まあ、まあ」と手で抑《おさ》えるしぐさをして、
「べつにおれは、こんなガキどうなっても構《かま》わんが、なんにしたって、やっかいごとに巻《ま》き込《こ》まれるのはゴメンだ。それは、おまえらも一緒《いっしょ》だろ?」
 間をおき、
「そこでだ、一つ提案《ていあん》があるんだが――」
「おい!」
 ダイが割《わ》って入りました。
「なんだ!」
 怒声《どせい》のチェロキー。
「うしろ」
 ヘイタンな声で、ダイがアゴをつき出しました。
 チェロキーがふりかえると、紺色《こんいろ》のジムニーが、彼のジープの後ろにつけるところでした。
「チッ、見ろ! お前らがモタモタしているからだ」
「知《し》らんよ!」
「とりあえず、ガキを船《ふね》に入れろ。まだ見られていなと分かったら、しらばっくれろ、いいな!」

 銀行屋《ぎんこうや》が腕《うで》でバッテンをつくり走ってきます。
「出すな! 出すな! おーい出すな! まだ出すなよ! 船《ふね》は出すな!」
 息《いき》せき切らして走って来た銀行屋《ぎんこうや》を、ダイとチェロキーの二人でむかえました。
「よかった。とにかく、このままにしておいてくれ。あの子がきても、しばらくは中止《ちゅうし》だ。計画《けいかく》は保留《ほりゅう》のままだ」
 ダラダラ汗《あせ》をたらしながらしゃべり、ぐっと、息《いき》をのみました。
「いいな、中止《ちゅうし》だ! 中止《ちゅうし》! とにかく、まだ船《ふね》は動かさないでくれ!」
 一気に言い終えると、銀行屋《ぎんこうや》は、われにかえりました。
「なんでおまえら、ここにいる! 子度藻はどうした?!」
 ダイとチェロキーは二人して、肩《かた》をすくめました。
「なにやってるんだ、聞いているのか!」
「聞いているよ」
 他人ごとのようなダイ。
 銀行屋《ぎんこうや》は車《くるま》から走ってくる間、船《ふね》が動きだすことに気が気ではなく、人など見ていませんでした。
「お前も、なんでここにいる!」
 こんどはチェロキーにむかって、どなりました。
「うるさいよ。なんかやらかして、年下の女の上司《じょうし》にでも、大目玉《おおめだま》食らったか? 昼間《ひるま》っから酒《さけ》くせえな。目ぇ血走《ちばし》ってんぞ、おい(笑)」
 チェロキーは冷静《れいせい》さを失《うしな》わせようと、銀行屋《ぎんこうや》を煽《あお》りにかかりました。
 銀行屋《ぎんこうや》はジロリと、チェロキーを見すえました。口からツンとするあまい息《いき》がもれ、目は赤く、すわっていました。まともな人間なら、あいてにしたくない状況《じょうきょう》です。
「なんだとう、おい! なんでお前まで、ここにいるんだ! こんなとこで油売《あぶらう》ってるヒマがあったら――」
 ピタッと止まりました。
「おまえらが、ここにいるってことは」
 銀行屋《ぎんこうや》は走りだし、タラップに手をかけました。
「おい、どこへいくんだ!」
 二人の顔色《かおいろ》が変わり、ダイが怒鳴《どな》りました。
「べつに~」
 ニヤニヤしながら階段《かいだん》を上がっていきます。
 どん、とぶつかって、見上げました。
「なにやってんのアンタ! 酒《さけ》クサイわよ! なに昼間っから飲《の》んでんの!」
「どけよ!」
「まだ、準備《じゅんび》すんでないわよ!」
「いいから、どけ!」
「ちょ、ちょっとぉ」
 ママを強引《ごういん》におしのけ上がると、乱暴《らんぼう》にドアを開けました。
 ガランとした船内《せんない》。ダンボールが片側《かたがわ》の壁際《かべぎわ》に、山とつまれていました。
 闖入者《ちんにゅうしゃ》のように、あっちこっち、引っかきまわします。ふとんを上げ、ベッドの下をのぞきこみ、シーツを引っぺがし、イスをたおして机《つくえ》の下をのぞきこみ、くくりつけの棚《たな》の小さな抽斗《ひきだし》から、冷蔵庫《れいぞうこ》の野菜室《やさいしつ》のトビラまで、開くものはぜんぶ開けて調《しら》べました。
「ふーふー」と荒《あら》い鼻息《はないき》で、たちまち、船内《せんない》に酒気《しゅき》が充満《しせゅえまん》しました。ダンボールの山をくずすと、ガムテープもはがさず、つぎつぎ上面を破《やぶ》って開けてゆきます。
「ちょっとぉ、荒《あら》っぽいことしないでよ!」
 やっとそこに気づいたのか、ステンレス鋼《こう》のハッチを開け機関室《きかんしつ》にもぐりこみ、しばらくの間、モグラのように這《は》いまわっていました。
「お~い。なにやってんだ(笑)」
 上からダイが、よびかけました。
「うわっ、くっせぇ。あんたの息《いき》で充満《じゅうまん》してるよ」
 首《くび》を引っこめました。
 ややあって、おじさんは、ばつがわるそうに出てきました。
「水を一本くれ」
「備蓄《びちく》よ」
「いいから。どうせあんたのことだ、腐《くさ》るほど持ってきたんだろ」
 そういって、ダンボールから水をとりだし、ごくごく飲《の》みはじめました。
「ふん、いいさ。むしろ、いない方が――」
 といったきり、空《から》になるまで飲《の》みつづけました。
 ふーっと、一息《ひといき》つくと、ダイにむきなおりました。
「で、なんで、お前はここにいるんだ?」
「なんでって――」
 答《こたえ》を用意《ようい》しておくのを、ダイはすっかり忘《わす》れていました。ドギマギしつつ、
「イヤ、そっちこそ、なんで連絡《れんらく》をよこさないんだ? あてずっぽうに捜《さが》したって、そんなカンタンに見つかるわけないだろ」
 逆《ぎゃく》キレぎみにいいました。
「だからって、なんでここにいるんだ?」
 毒気《どくけ》がぬけたように、冷静《れいせい》になった銀行屋《ぎんこうや》。
「あんたんとこに行く、より道だよ。二人とも」
 チェロキーが、たすけ舟《ぶね》をだしました。
「なんだよ部下《ぶか》かよ。オレはあんたの僕《しもべ》かよ。こっちは善意《ぜんい》で参加《さんか》してんだぜ。あんたらとは、事情《じじょう》がちがうんだ。いやならやめようか?」
「お前は?」
 ふりかえって、チェロキーにたずねました。
「だから、さっき言ったろ。オレの話《はなし》はムシかい(笑)」
 銀行屋《ぎんこうや》はダイをにらむと、視線《しせん》をチェロキーにもどしました。
「大荒《おおあ》れだな」
 チェロキーは、ほほえみました。
 うすい棚《たな》のでっぱった台《だい》に、あさく腰《こし》かけ、びどうだにしない銀行屋《ぎんこうや》。不気味《ぶきみ》なほど落ち着いた彼は、まっすぐ、チェロキーを見かえしています。
 ごうをにやしたチェロキーは、少し声をあらげ言いました。
「おまえは何だ? 何様《なにさま》だ? ――いや、よそう。ヨッパライと議論《ぎろん》しても、はじまらないからな。それより、ガキはどこにいるんだ? お前が指示《しじ》する役目《やくめ》だろう? 頭《あたま》のお前がよっぱらっていたら、手足のおれらは埒《らち》が明かないんだが?」
 銀行屋《ぎんこうや》は大きく長い息《いき》を吐《は》きだすと、空《くう》を見上げました。
「想定外《そうていがい》のトラブルがおきたんだよ。今は、あの子の居場所《いばしょ》は分からない」
 間をおき――
「な~に、食うもんなくなって、腹《はら》がへったら、そのうち帰ってくるさ。そっちは気長にまてばいい……」
「そっち?」
 よけいなことは言うなと、銀行屋《ぎんこうや》の背中《せなか》ごしで、ダイに目くばせするチェロキー。
「とにかく、子度藻のことはもういい。もう解散《かいさん》してくれ。ごくろうだったな」
 力なく立ち上がると、おじさんは引き上げていきました。


「もう、いいわよ」
 ママは海をのぞきこんで、いいました。
「あら、いないわ」
「だいじょうぶかよ、溺《おぼ》れたんじゃぁ――」
 ダイがいうと、
「泳《およ》げるって、いったのに!」
 キョロキョロする、ママ。
「あ、あんなとこぉ!」
 ソルは、こちらにむかって、歩いてきました。彼は小さな船着場《ふなつきば》に、くくりつけられたタイヤを足がかりに、なんとか自力《じりき》ではい上がったのでした。エリゼの必須《ひっすう》共有《きょうゆう》で、着衣水泳《ちゃくいすいえい》をやらされたおかげでした。
「ホーッ、ホホ」
 口もとに手をあて、
「アタシが|もと《・・》男でよかったわね。水音立てないように、はいつくばって片手《かたて》で海に落としたのよ」
「さすが、ゴリラなみの腕力《わんりょく》」
「ちょっとぉ、よけいなこと言わないでよ。ここは褒《ほ》めときゃいいの」

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みなし児ヴィデオ・オレンジ 37 (オンショア(海風))

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      オンショア(海風)


 銀行屋《ぎんこうや》からの連絡《れんらく》は途絶《とだえ》えましたが、ダイは、しじどおり枝道《えだみち》に入りました。山の中で電波《でんぱ》がとどかないせいか、トランシーバーはノイズしか入りません。れいの土建屋《ゼネコン》さんの広場《ひろば》に出ると、すでにソルの痕跡《こんせき》すらなく、しかたなく、彼は本道《ほんどう》にもどりました。
 とりあえず彼は、目の前の山づみの土砂《どしゃ》を、オフロードバイクでのりこえました。
 さて、これからどうすんの? 
 ダイは湿《しめ》ったヘルメットの中でつぶやき、鼻水《はなみず》をすすりました。「ハァー」と息《いき》をはき出すと、さすがに白くはなりませんでした。
 なにも思いつかないまま、サイドスタンドをけって、走り出します。後は、どくじの判断《はんだん》で進《すす》むしかありませんでした。


 ソルは身も心も、さっぱりしていました。おおむかしに、山の頂《いただ》きから落ちて来たらしい、とうげぞいの大きな石の上にすわり、かた足を、ブラブラさせていました。ほぼ無人《むじん》の島《しま》では、どこにいてもおなじですが、とりわけ、ここはしずかでした。渚《なぎさ》からはなれた、風むきと反対の山面《やまづら》には、海風《うまかぜ》が強くまわりこむことはありません。陸《おか》の里山《さとやま》のような、おだやかな景色《けしき》に一人たたずんでいると、下界《げかい》から、けたたましい4ストのエンジン音が、ひびきわたってきました。
 下からの音には、とっくに気づいていましたが、ぼんやり、来訪者《らいほうしゃ》をまちうけていました。彼にはもう、にげる意味《いみ》も、気力《きりょく》も、ゆき先もありません。無責任《むせきにん》に大人にまるなげするチャンスを、みはからっているみたいでした。さんざんやりちらかしておいて、ズルいようですが、ズルくなくては生きていけないのも、現実《げんじつ》の一の側面《そくめん》です。すくなくとも、それを学《まな》んだ旅《たび》ではありました。それに、今ズルくしておかないと、この先もっとズルくなるような予感《よかん》がして、今やそちらの方を恐《おそ》れるのでした。
 ピンクのツナギを着たライダーが、バイクからおりました。ひさしのあるヘルメットをぬぎながら、こちらにちかづいてきます。かなりビビッていましたが、彼は根《ね》っこが生えたように、けっきょく立ち上がりませんでした。
「よお」
 ゴーグルを上げ、ダイはいいました。
 あんしんしたソルは、ちょい、かた手を上げました。
 ダイがほほえむと、ソルも片頬笑《かたほえ》みました。
「おむかえに上がりました。お姫《ひめ》さま」
「かえんの?」
「おたわむれを」
「じゃあ、かえるか」
 うながされるまま、さっさと後ろにまたがりました。
「なんかスカスカだな、このバイク」
「オフロードだからね」
 ダイはヘルメットをぬいで、ソルにかぶせました。
 ソルにとって、宅配《たくはい》(普及しなかったドローン)をのぞく趣味《しゅみ》のバイクは、リッターバイクのことでした。もったいなくてオフロードを走れない、クチバシの出たアドベンチャーや、ピカピカのクロームメッキのカスタムパーツでかざりたてた、走る着せかえ人形《にんぎょう》こと、かち組おじいさんのハーレーデビットソンなどがそれでした。
 
 二人のりのバイクは、エンジンブレーキで、どんどん坂道《さかみち》を下っていきました。とうげを大きく低速《ていそく》でまわりこむと、一気に、青い煌《きら》めきと潮風《しおかぜ》がとびこみます。ソルはヘルメットのアゴをずらし、あたまに風を入れました。彼が山に入ったのは、ほんのちょっと前のことなのに、ふと、その匂《にお》いと眼下《がんか》に広がる青に、なつかしさを憶《おぼ》えました。
 道がたいらになるにつれ、海は見えなくなりましたが、風の強さだけはかわりませんでした。底《そこ》に着くと、島内《とうない》で一番大きな道、島の外縁《がいえん》を一周《いっしゅう》する、環状線《かんじょうせん》にのり入れました。
 ダイは下っているさなか、背中《せなか》の圧迫感《あっぱくかん》に、少しだけホルスを思いだしていました。しかし今のじぶんには、どうすることもできません。それいじょうは考えないようにして、港《みなと》ゆきの道にハンドルをむけました。
 まぶしく照《て》りかえす白磁《はくじ》のようなボディに、「ONSHORE」と青く書かれた船《ふね》は、すでに進水《しんすい》をすませていました。この船《ふね》がドックから出るのは、一度きりの試運転《しうんてん》についで、今回で二度目でした。真空《しんくう》パックづめされたようなオンショア号《ごう》は、まあたらしさをとどめ、ソルがのって来た船《ふね》より、二回りほど大きいサイズでした。とうぜんというべきか、帆《ほ》はついていません。港《みなと》には、ママが一人だけでした。
「おつかれぇー」
 ニコニコ顔《がお》のママは、日かげでダイにいいました。風がふくと顔《かお》がスッポリかくれてしまう、つば広のボウシ。カマキリみたいに大きなブラウン・グラデーションのサングラス。すけたサマーニットの上にショールをはおり、二の腕《うで》までカバーする薄手《うすで》の黒いロング・グローブ 。ショートスカートの上に透《す》けたロングを重ね、太いヒールのサンダルをはいていました。
「おつかれぇー」
 うしろのソルにもいいました。
「ぜんぜんだよ。すぐに見つかった」
「アラ、盛《も》り上がりに欠けるわね」
 ちらっと、ソルを見て、
「ちょっとボクゥ、もっと、しっかりしなさいよぉ」
 かるく手で、たたくそぶり。
「ハハ」
 ひきつり笑《わら》いのソル。
「なんか、トランシーバーきかんのよ」
 ソルにかぶせたヘルメットをとり、じぶんが、かぶりました。
「じゃあ、これから銀行《ぎんこう》まで、一っ走りしてくるから」
 ママはぐっと、ツナギの腕《うで》をつかみました。
「いいのよ、いかなくて」
「はっ?」
「いかなくて、いいの」
「え、なに? またオッサンどうしケンカしたの? それとも痴話《ちわ》ゲンカ? (笑)」
「そうじゃないの、もういいの」
 アゴを船《ふね》にしゃくって、
「これは、やめにするの」
「はぁ?」
 困惑《こんわく》するダイ。
「なに、オレのいない間に、きまったの? トランシーバー切れてたとき?」
「まだ、だれも知《し》らないわよ。ここだけの話《はなし》」
「知《し》らないって? あんたなにいってんの?」
「あらぁ、べつにおどろかなくても、いいじゃない。|いまさら《・・・》」
 ママは、口もとに手をあてました。
「今さらって……」
「みんな自分の意志《いし》で、ここにきてんじゃいないの、アンタだってわかってんでしょ? たとえ無理強《むりじ》いされなくったって、けっきょくどこにも行き場がなくって、他よりは好条件《マシ》ってだけで、ここを選《えら》んだだけなの知《し》っているでしょ? どうせアンタだって、なんかのヒモつきでしょ?」
「……」
 ダイは、だまっていました。めいかくな自覚《じかく》はありませんでしたが、じぶんを逃《に》がしてくれた背後《はいご》に、ビンボー弱小《じゃくしょう》教団《きょうだん》いがいの、なにものかがいることぐらい、うすうす、かんづいてはいました。しかし他の三人とちがって、それがいったい何《なん》なのか知りもせず、その関係者《かんけいしゃ》とおぼしき人間とも、会った記憶《きおく》がありませんでした。彼は対等性《たいとうせい》をたもつため、わざとだまって、ふくみを持たせました。
「チェロキーは?」
「知《し》らないわよ」
「ん、どっちの知《し》らないなの? チェロキーはこの話《はな》し知《し》らないってこと? それとも無視《むし》するってこと?」
「いいの、あれはほっといて。これは、ここだけの話《はな》し。わかるでしょ」
 ダイは、ふりかえってソルを見ました。
 思わずソルも、ふりかえりたくなりましたが、しかたなくダイに目を合わせました。
「だってよ」
 ママにふりかえって、
「で、どうするの?」
「どーするって、わかんないわよ! ――てか、この船《ふね》買《か》ったときから、マーキングずみなのぉ!」
 だしぬけにいう、ママ。
「ふ~ん。で?」
「ちょっとぉ、マジメに聞いてんの?」
「聞いてるよ。それで?」
「だからー。この船《ふね》で、のこのこ出ていっても、すぐつかまっちゃうってハナシ」
「で?」
「でって?」
 聞き返すママ。
「それで?」
「……」
 口ごもるママ。
「いや、なんで、そんなこと話《はな》すの? なんで、あんた知《し》ってんの? それをおれらに教《おし》えて、なんのメリットあんの?」
 やつぎ早に問いただす、ダイ。
「それは……」
 ぎゃくギレのように転調《てんちょう》、
「――そぉんな、いっぺんに言われたって、答《こた》えらんないわよ(笑)」
 竹中直人みたいな、おこり、わらい。
「じゃあ、一コずつ、じゅんばんに答《こた》えてよ」
「きゅうに利口《りこう》ぶるんだからぁ、もう。ホーント食えないわねぇ」
「えーと、なんだっけ?」
 すっとぼけているのか、たんにボケているのか、よくわからないママ。
「もういいよ」
 手ではらうしぐさ。
「どうせ、うまいことはぐらかすに決《き》まってるし。あんただって、自分のラスボスだれかなんて、知《し》らないに決《き》まってるし。自分がなにを知《し》ってて知《し》らないのかすら、知《し》らないんじゃないの? ――ホラよくあるじゃん、ゲームとかで。本人も上位キャラだと思ってたら、使いすての雑魚《ざこ》キャラだったてやつ。その下の、下っぱの下っぱなんでしょ、あんた」
 ダイは半分あてずっぽうに、わが身におきていることを、そのまま置《お》きかえていいました。
「よく、舌《した》のまわること。コワイコワイ。そう、ミもフタもないこと言わないでw」
 顔《かお》はわらいつつ、氏んだ目のママ。
「どうでもいいけど、識別装置《しべつそうち》とか外せないの」
「やってみる? やつらが後からつけたとでも? 言ってはなんだけど、あたしだってこう見えて、もとはカンオン持ち(自立民)なのよ。今どき製造段階《せいぞうだんかい》からタグ(個別認識)埋《う》まってるのなんか、常識《じょうしき》なのよ」
「――イヤ、知《し》ってるし(笑)」
 ダイは苦笑《にがわら》いをして見せました。
「気を悪《わる》くしないでね。だから無理《むり》なのよ。それとも、ごっそり制御装置《せいぎょそうち》ごとぬきとってみる? ほとんど筏《いかだ》になるから。――ていうか、うごかないから。港《みなと》から出ることすらできないわよ」
「いちおう、聞いただけさ」
 ダイは、べつに動揺《どうよう》していませんでした。だって今のところ、ソルをふくめたこの中で、彼がいちばんの部外者《ぶがしゃ》ですからね。
「でもよく考えたら、こいつのこと、まだバレてないんじゃ――」
 親指《おやゆび》でソルを指《ゆび》さしました。
「バレてるに決《き》まってるでしょ!」
 二人がドッキとするほどの大声《おおごえ》を、ママは出しました。
「銀行屋《ぎんこうや》がとっくに、報告《ほうこく》してるわよ」
「あんたの方は、どうなんだい?」
「あたしは……」
「まあいいや。じゃあ、どうしろと? どうでもいいけど、あんたもしかして……、うらぎってる?」
「子度藻はそーんなこと気にしなくて、いいのぉ(笑)」
 一変《いっぺん》、態度《たいど》を軟化《なんか》させました。
「あ、そ。べつにキョーミないし」
 おもったよりアッサリダイにいなされ、やや不満気《ふまんげ》なママ。
「だいたいガキ一人ぽっち、頃しゃしねえだろ。フッー」
 ぶっきらぼうにいう、ダイ。
「そぉんなの分かんないわよ。あたしにだって。それに――、むこうについて捕《つか》まってからじゃ、遅《おそ》いし」
「じゃあ、どうすんだよ」
 ソルがその音に、いちばん早く気づきました。聞いたことのあるエンジン音です。
 チェロキーのゼブラ模様《もよう》のジープが、防波堤《ぼうはてい》の上にあらわれました。

みなし児ヴィデオ・オレンジ 36 (ノード 2 結節点)

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      ノード 2  結節点


 ソルのカンオンは、さいど、異質いしつ電波でんぱをキャッチしました。いったん見失みうしなったそれは、また復活ふっかつし、力強くみゃくうちはじめました。それはカンオンにかぎりなくちかく、びみょうなところで、ちがっていました。カンオンはいこまれるよう、そこへむかって急突進きゅうとっしんをかけます。

 銀行ぎんこうにつくと、つぎつぎ障壁しょうへきとなる物理ぶつりドアを、突破とっぱしていきます。ほぼ手動式アナログしきですが、ほそ長いワイヤーアームをくりだし、カチャカチャ、つぎつぎ、こじ開けていきました。

 カンオンが実力行使じつりょくこうしにうったえるのは、ひじょうに、めずらしいことでした。カンオンの実力行使じつりょくこうしには、おもに四つの条件じょうけんありました。

 一つ、人のいのちにかかわるとき。

 一つ、物理的ぶつりてきにかぎった、違法行為いほうこうい阻止そしするとき。

 一つ、それが違法いほうではなくても、反社会性はんしゃかいせいうたがいが、きわめて強いとき。

 一つ、該当事件がいとうじけんにかかわることのできる人間が不足ふそくしているか、まわりにいないとき。

 などでした。

 目の前でおきている事象じしょうがこれらの条件じょうけん合致がっちし、さまざまに見做みなせる諸要素しょようそ減点方式げてんほうしきをへてなお、その事例じれい規定きてい数値すうちを上まわるとき、ようやく人をおびやかすおそれのある、その強権しゅうだんてきじえいけん発動はつどうさせることがでました。あたりまえですが、これらの原則げくそく厳格げんかくにまもられていました。

 かんちがいされるといけないので、なんども重複じゅうふく覚悟かくごで言いますが、カンオンは抑圧的管理者スカイネットではありません。それを規定きていしているのは、徹底的てっていてき人間尊重主義ヒューマニズムであって、あくまであるじは人間なのです。

 カンオンはけっして、でしゃばりません。カンオンへの付託ふたく主体性しゅたいせい一部譲渡いちぶじょうとは、グレート・チェンジの一環いっかんとして、時の政府せいふ審議しんぎによる審議しんぎのすえ、選挙権せんきょけんをもたぬ外国人みっこうしゃをふくむ全世代ぜんせだい対象たいしょうとした、完全国民投票ちょくせつみんしゅしゅぎゆだねられることによってまりました。そしてそれは、今も定期的ていきてき代理人だいりにん代表選挙だいひょうせんきょをつうじ、更新こうしんされつづけているのです。このものがたりの冒頭ぼうとうでもいったように、カンオンは「人の心のつえ」として、市民しみん社会くらしの中で、空気のように存在そんざいしているのでした。

 カンオンは地下室ちかしつに入るやいなや、フジツボの生殖器官ペニスのような、ほそ長いシールドをつなぎ、情報共有コピー開始かいししました。ギュゲスノ指環ゆびわ特殊とくしゅカンオンを顕在化けんざいかさせても、武装解除まるはだかにしたわけではありません。それにはじか接触せっしょく必要ひつようでした。

 ばく大なりょうですが、テクノロジーの無遠慮ぶえんりょ発達はったつは、ようしゃなく巨鯨くじら丸呑まるのみしていきます。ついでにちゃっかり、たりないエネルギー補充ほじゅうもすませました。なにしろ彼らには、所有しょゆうという観念フェティッシュがないのですから。



 またしてもアラーム。

 心臓しんぞうにわるい警告音けいこくおんが、ひびきます。

 一気に、かおからの気がうせるおじさん。靴底くつぞこで水をとばし、走ってくるまにもどります。

 赤、黒、赤、黒、と踏切ふみきりランプみたいに、画面全体がめんぜんたいが切りかわっています。

 黒で止まりました。

 黒の画面がめん。青いおじさん。

 膠着状態こうちゃくじょうたいが、つづきます。

 赤が目をき、画面がめんが開かれました。

 ストーンズのマークみたいな、クチビルお化け登場とうじょう

 大口を開け、ベロをびろーんと、二まい出しました。見るまに、三まい五まい十まいと、びらびら肉盛にくもり、てんこりで増殖ぞうしょくさせてゆきます。

 原色げんしょく氾濫はんらん雑音ノイズ洪水こうずい。タイガーバームガーデンの原色のオブジェ、花屋敷はなやしきのメランコリア、ボマルツオの怪物かいぶつたち。色彩しきさい形態けいたい逆巻さかま渦巻うずまき、チンドンかロンドンの街頭音楽師がいとうおんがくし一団いちだんのような、恐喝きょうかつまがいの大音量だいおんりょうをがなり立てます。

 ブリブリ音をたてる黒檀色こくたんいろのフェイクレザーのソファに、だらしなく撓垂しなだれかかり、フーッと、アンニュイに長煙管ながぎせるをふかす、大都会だいとかいのやさぐれ女クチビルお化け。黒みがかったクリムゾン色(濃い赤)のロングドレス。スリットの深い切れこみからのぞく、白い練馬ザダイコン。それをムダになんども入れえながら、目玉めだまのような孔雀くじゃくはねで、三びきのマンチカンをじゃらしています。

 さけクサいいきであたりをめ付けると、だれかれかまわず公平こうへい因縁いんねんをつけ、口ぎたなくののしり、くだをまく。そうせねば氏ぬとばかり、句点くてんのごとく語尾ごびにつける、フォーレターワーズ。口と肛門こうもんから白い薔薇バラの花びらつめ、両中指りょうなかゆび立てて二穴にけつつっこむも窒息市ちっそくし。それを見てわらい痔にする、ザムザの家族かぞくと友人。えんずるはなみだわらいいの悲喜劇ひきげき。プログラムを切り張りする百頭女ひゃくとうおんな。すきを見てそれを母親ははおやいもうと。エーリッヒ・タウベ(飛行機)からにげるロプロプ鳥、キビヤックのようにはと子孕はら百頭女ひゃくとうおんな。ゲオルグ・グロースの低劣ていれつ風刺画ふうしがに引っかかった右万字みぎまんじ傷口きずぐちからせる茶色い羊水ようすい洪水こうずい温泉街おんせんがい射的場しゃてきばに、色とりどりのベルランゴねじりあめはねむしられた雛鳥ひなどりじみた菊人形きくにんぎょう。おなかでらす人間ポンプの、びいどろおはじき。消えた坂柱いみり。梶井基次郎の好きな安っぽい色模様いろもよう鼠花火ねずみはなびに火を点け、ドンパッチかじってゲップしたら、バックファイヤー! 反動はんどう放屁ほうひしました。

 アサクーサで売っているような、カープ(鯉)がウォーターフォール(滝)をのぼるがらの、エスニックなキモノ。それを外人みたく、素肌すはだおびなしのバスローブ風に着て、長イスにそべるクチビルお化け。一見しどけないポーズ、しかしムリのある姿勢しせい。アングルの「グランド・オダリスク」四回ひねりのような胴長どうながねじりを、クルクルッと解消かいしょうし、横ざまキセルを行燈あんどんにたたきつけ、ストローマット(畳)にはいを落としました。またメジャーのようにどうきとり、クチビルは立ち上がります。

 前の合わせがはだけると、マンキー・ポンチっぽい貧相ひんそうなスネ毛の線足せんあしの間から、ポニー一頭分いっとうぶんなまずが「でろん」と落っこち、空をうつよう痙攣けいれんしてねっかえりました。

 こしをぐるんぐるんグラインドさせ、ゆっさゆっさとゆらすと、キャップをかぶった肩幅かたはばのひろいスイマーみたいに、バタフライでペコペコお辞儀じぎします。

 とかいってるうち――

 アレレなんか変? 

 ほほを赤らめ口に手をあて、しなをつくり、もじもじしています。

 と思ったら、

 りょう足はさんで、女の子になっちゃった! (マギー審司風)

 どんどん、悪趣味あくしゅみがましていきました。

 画面がめんいっぱいまでちかづき、ど・アップ。こそぐよう画面がめんめると、こちらにむかって粘質ねんしつなツバがにじみみ出てくる、ニオイ立つような3Dのだまし絵。

 大地と空気をつんざく終わりのないさけびに、タッチパッドがバイブで、おののきふるえ、とりこのクチビルは耳をふさぐ。

 やがてわらい。ナミダのハテ莫迦バカわらい。クチビルは哄笑こうしょうでもって、画面がめんをゆさぶる。

 ピッ、とクチビルに縦線たてせん

 至極色(黒紫)まじりのがふき出すと、シワのかずが一本、十本、百本と爆発的ばくはつてきにふえる。

 五蘊ごうん(人間の構成要素)の衰滅すいめつのスキ間から、むらさきのツブまじりの黄色きいろいガスをはきだし、クチビルは、だんだんしぼんでいく。

 おちょぼ口になって色あせ、やせ細って手足がなえ、つえをついた三本足

 よろめいて、四つんいになってたおれふし、大地と口づけ

 再会わかいしました。

 ちぢこんだクチビル。こげ茶色ちゃいろのミイラになって、かたまったまま。

 ぴゅーと、風がふきました。

 枯葉かれはが一枚、ひらひらっと、とおりすぎました。

 その土くれはサラサラとくずれ、風にはこばれてゆきました。


 だんだん、モニターから光がうしなわれていきます。

 とうとう、黒くなりました。



 なすすべなく画面がめんを見つめている、おじさん。

 しばらく、絶句ぜっくしていました。

 とつぜん、スイッチが入ったように、

「ふぁ~」

 ナミダメ目の生あくびで、のびをしました。

「で?」

 スマートな笑顔えがお

「これって、だれの責任せきにんになるんだ?」

 となりに人がいるみたいに問いかけました。



 間一髪かんいっぱつ、まにあいました。特殊とくしゅカンオンが、外部からの侵入しんにゅうをキャッチすると、シグナル伝達でんたつをへて、浮島内うきしまない浮島うきしまである、アポトーシスソフトが起動きどう自殺じさつ開始かいししました。

 いっぺんには氏にません。すなとり合戦がっさせんのごとく、浮島うきしまをアイスのぼうとし、じょじょに周辺部しゅうへんぶから消滅しょうめつさせていきます。さいごのラインをつかって、特殊とくしゅカンオンのネットワークのいくつかに、最小限さいしょうげんのデータと侵入経緯しんにゅうけいいを、ブラック・ボックス化して発信はっしんしました。

 さいごは念入ねんいりに自動出火じどうしゅっか。フォレンジック・ツール(訴訟対応のための証拠保全をするもの)で情報じょうほうをサルベージ(引上げ)されないために、物理的ぶつりてき証拠隠滅しょうこいんめつをはかります。といっても、耐火構造たいかこうぞうの中の、防火材ぼうかざいにかこまれた内部だけですが。そこが、くすぶりはじめました。

 ニオイを感知かんちして、カラカラまわっていた換気扇かんきせんが止まりました。ここには火災報知器かさいほうちき自動消火装置じどうしょうかそうちはなく、消火器しょうかきが山のようにあるだけでした。




 ソルはてら神社じんじゃかよくわからない、草の生いしげった領域りょういきに入りました。古い木造もくぞう建物たてものが、かしいでいました。屋根やね湾曲わんきょくし、かわらはなかばすべりくずれ、構造全体こうぞうぜんたいがひしゃげていました。

 正面しょうめんに、まっぷたつにれた木のボードがブラ下がり、落ちかかっていました。チャイニーズ・キャラクター(漢字)が黒くペイントされ、黒ずんだ木と同化どうかして判別はんべつできませんが、見えたとしても、彼にめるはずもありません。

 うらの方から音がします。草をかきわけ近づくほど、チャカチャカはげしさをまし、目の前まできて、やっとそれが水の音だとわかりました。外れたかけいから、水がこぼれ、そのまわりでみどり草木そうもくが、いきいきと芽吹めぶいていました。

 それを手にすくって、彼はおそるおそる、口にふくみました。ほっぺにためこんだだけで、けっきょく出してしまいました。

 また口に入れます。いきのつづくかぎりなやんだすえ、かわきにてず、のどをらして下しました。彼は二本ある500mlペットボトルのうち、なくなりかけの一本をすすぎ、つめなおしました。

 ソルはふくをぬぎはじめました。上着をぬぎ、ショートパンツをぬぎ、ちょっとまよってから、下着したぎまでぬぎました。まっぱだかのペールオレンジが、みどりえました。

 先にハンドタオルをあらいます。速乾性そっかんせいなので、それで体をこすった後、体の水ぶんをぬぐうつもりでした。そんきょの姿勢しせいでしゃがんで、ヘビイチゴのを足でつぶしながら、ふくからだあらいました。上をむいて口をあけ、水をガブガブのみしました。

 赤い点々が着いたふくはナマがわきですが、さして不快感ふかいかんはありません。それもすぐ、かわいてしまいました。

 やっと、一息ひといきつきました。

 あらためて、まわりに注意ちゅういをはらうと、さいしょからにおっていた、オガタマノキの大木を見つけました。



「クソッタレ!」

 タッチパッドの画面がめんは、まっ黒でした。

 あかるさをともなわない単色たんしょくで、見るからに液晶えきしょうの地の色でした。

「クソッ、クソッ、クソッ!」

 もうなにもうつらなくなった画面がめんを、おじさんはバンバンたたいています。

 きゅうにしずかになって、タメいきをつきました。

「――まあいい」

ふるいもんだ。どうせ、いつかはこうなる」

「それに、こっからじゃ、なんもできねぇし……」

 たしかに、うすいグレーのタッチパッドは黄色味きいろみがかっていましたが、オレンジの電源でんげんランプはいていました。おじさんは「タッチパッドの故障こしょう」という願望がんぼうにしがみつきたかったのですが、彼は仮病から病気をでっち上げられるほどの、べんりなシャーマン、メンヘラ体質たいしつではありません。子度藻の時からそうでした。ふとんの中で「ほんとうに、おなかが、いたくなればいいのに」と思っても、そうつごよくはなれず、技巧ぎこうによるズル休みしかできなませんでした。あるいみ生まれつき、そんな倫理的気質りんりてきタチ持主もちぬしでした。

 足でドアをしあけると、サンダルがするっとぬげました。

「ちぃっ」

 いまいましい声をあげ片足かたあしで下りると、バランスをくずし、りょう足をついてしまいました。

「クソ!」

 ぬれた足先をつっこみます。

 ふりかぶって、思いっきり地面じめんたたきつけると、タッチパッドはね上がって、たて回転かいてんでころがり、ガードレールの下から落ちました。すぐさま斜面しゃめんの草むらが、それをかくしてしまいました。

 でも、だいじょうぶ。行内こうないにはオークションで購入こうにゅうした中古のスペアが、まだ、たくさんのこっていました。


みなし児ヴィデオ・オレンジ 35 (ノード 1 こぶ)

スマホ640pix



      ノード 1 こぶ


――まえぶれもなく光がさし、画面がめん復活ふっかつしました。

 おじさんのかおにも、あかりがさしこみます。

「なんだ、おい」

 画面がめんにかぶりつくおじさん。

 しばらく、じっと見つめています。

「なわけない、なわけない」

 力んだりょう手でタッチパッドをつかんだまま、

「むこうがこわれるなんてあるか?」

 きゅうに、きげんのよくなるおじさん。

「ないない」

 かた手をふって、

「なわけないんだよなぁ」

「だと思った」

ってた。こっちの不具合ふぐあいって(笑)」

 ためこんでいた、いきをはき出しました。まだ半信半疑はんしんはんぎですが、とりあえず、最悪さいあく事態じたいはさけられたようです。

「ようは、なにもおきてなかったんじゃん」

「なんだ……」

 しあわせを、かみしめるよう、口をつぐみました。

 おじさんはタッチパッドを助手席じょしゅせきになげ、外に出ました。

 ふとももに手をつき、ドアにもたれると、おしりがジワッとなりました。

 大きくいきをすって、

「ふっざけんな、莫迦やろう!」

 大声をだし、たまったストレスを発散はっさんさせました。

 しとしと雨の中を、あたまからかぶるよう雨にぬれ、ブラブラ歩きまわりました。ガードレールまでいくと、すでに、ぬれてしまっているこしをのせました。

 あらわれた空気をとおして、みどりが目にしみ入ります。しんせんな香気こうきを、むねいっぱいにいこみます。いちめん、みどり包囲ほういされていました。杉木立すぎこだちが、すすきの群生ぐんせいみたいに山の斜面しゃめんをおおい、あちこちで、赤茶あかちゃけた露地ろじさらしていました。くるまのとおらない道路どうろに、ツツドリやウグイスの鳴声なきごえがひびきます。

「あーびっくりした」

 むねポケットさぐりながら、ぼう読みでいうと、電子でんしタバコをくわえました。

 すぐにとって、またはこにしまいました。

 水をったみどりが、かぐわしいムシゴロシの成分せいぶんはなっています。そぼふる雨でかみつめたくぬらしながら、彼はたたずんでいました。

 長い無人島むじんとうぐらしで、しずかなのにれているはずなのに、いっそう、しみるよう感じました。

「なに、やってんだか……」



 特殊とくしゅカンオンは、外部エネルギーが切れ、内部バッテリーから補助サブ自家発電じかはつでんに切りわるさい、再起動さいきどうをよぎなくされます。そのとき、ゆいいつの弱点じゃくてんをさらしてしまうのでした。

 特殊とくしゅ一般いっぱんを問わず、カンオンは電気でんきだけでも、数日間すうじつかんはうごいていられました。それだけでも十分じゅうぶん機能きのうしましたが、なるべくすみやかに、そのエネルギー環境かんきょうととのえることが、のぞましいとされていました。通常つうじょう特殊とくしゅカンオンのエネルギーは、海底かいていケーブによってまかなわれていました。

 しまおかとを特殊とくしゅカンオンでつなぐフォーマットを構築こうちくした組織そしきと、それを利用りようする顧客こきゃくがどれだけうるおっていても、さすがにそれだけで、独自どくじにエネルギーシステムを、島内とうない建設けんせつするのはムリがありました。また、なんであれ、エネルギーの供給きょうきゅうには、つねに安定性あんていせいがもとめられます。自然しぜん依存いそんする、不安定ふあんていなエコ・エネルギーシステムでは、とても万全ばんぜんとはいえませんでした。――ざんねんなことに、それらの必要性ひつようせいをもっとも声高こわだかにうったえる、意識いしきの高い人たちこそ、浮島うきしまのお得意とくいさまでしたが。

 エネルギーは、老朽化ろうきゅうかした海底かいていケーブルをつたって、おかから確保かくほされていました。そのたばの中には、通信用つうしんようケーブルもふくまれていました。それらを補修ほしゅう維持いじしたり、また、あらたにつくりなおすことは、小規模しょうきぼ国家予算こっかよさんレベルをようしました。

 補助電源ほじょでんげんしまのいたるところにあり、銀行ぎんこうちかくの大型おおがたパチンコ店の駐車場ちゅうしゃじょうにもありました。その設備せつびのおかれたパチンコは、島民とうみんらが立ちさるまえの、あの大震災だいしんさいいぜんから閉鎖へいさされ、年季ねんきの入った廃墟はいきょとなっていました。

 あちこちやぶれた黒いシートからかおをだす、ぺんぺん草。ちぎれた金網かなあみぎわにまれた古タイヤ。脱色ブリーチされても、今もかわらず高くそびえるカンバン。とうぜんガラスはられ、あせた外壁がいへき日焼ひやけした皮膚ひふのように、全面ぜんめんポロポロはがれていました。「ぱちんこパーラー・マンハッタン」の駐車場ちゅうしゃじょうに、じかにシートをかぶせ、角度かくどたがえたソーラーパネルが、びっしりとみ立てられていました。

 それは震災時しんさいじのパニックにつけこんだショック・ドクトリンによって、性急せいきゅう法整備ほうせいびされた産廃物さんぶつでした。わり高な電気買取価格でんきかいとりかかくのFIT(固定価格買い取り制度)など、さまざまな旨味うまみがからんだいわくつきで、ただでさえデフレで荒廃こうはいした田舎いなかに、雨後うごのタケノコのようてられたものでした。

 それも経年劣化れいねんれっかをまぬがれず、半分ちかく使えなくなって来ていました。フルーツのよくそだつ、このしま特有とくゆう月平均全天日射量つきへいきんぜんてんにっしゃりょうの多さと、潮風しおかぜがそれを、いちじるしく早めていました。



 ソルのカンオンは、異質いしつ電波でんぱをキャッチしました。それは急速きゅうそくに弱まると、プッツリ途絶とだえてしまいました。微弱化びじゃくかしすぎてカンオンの識域しきいきをこえたか、それじたい消えてしまったようでした。

 待機中たいきちゅうだったカンオンは、最小限さいしょうげん機能きのうをのこし、スリープ状態じょうたいでエネルギーを温存おんぞんしていました。カンオンは追跡ついせきをあきらめると、ふたたび、もとのふかねむりにおちました。



 道に勾配こうばいがかかりはじめました。ダイは山に入りました。

 補修ほしゅうされぬ道路どうろ端々はしばしには、崩落ほうらくした石と土がたまり、中にはひょろりと、灌木かんぼくの生えているところさえありました。

 うっすらヴェールのような白い土が、道路どうろぜんたいに、かかっていました。まだりはじめなので、グリップに神経しんけいをつかい、立ちっぱなしのリーンアウトで走っていました。わかい彼は、あつい季節きせつの雨を慈雨じうとして、ハデなピンクのツナギの中であせをかきながら、快調かいちょうにバイクを走らせていました。

 そんなこととは無関係むかんけいに、彼の指環ゆびわ電波でんぱをキャッチしました。長いモノのねむりからめたそれは、その能力のうりょく発動はつどうしはじめました。


 おおざっぱにいって、特殊とくしゅカンオン=無認識だっぽうカンオンとはオバケでした。みずから幽霊ゆうれいと化すため、特殊とくしゅカンオンは消滅しょうめつジャミングをおこないました。消滅しょうめつジャミングとは、便宜上べんぎじょうのたとえです。そのコトバじたいが矛盾むじゅんしており、電波でんぱですらない可能性かのうせいもありました。

 存在そんざいなき存在そんざいとしての、ステルス特性とくせいかなめをささえているのが、浮島うきしまでした。その効果こうかをうむ浮島うきしまシステムは、ごく一部で創造主そうぞうしゅ、ロードなどとあがめられている、ある天才てんさいによって生みだされたものでした(あくまで、そういうウワサです)。そのシステムは、いまだ解明かいめいされておらず、コピーするにもリミットがかかり、部分的ぶぶんてきにしかできませんでした。人がつくったとウワサされるものですが、今のところ人間がそれを模倣もほうしたり、代替物だいたいぶつをつくったりすることは、とうてい、かないませんでした。

 ほんらいジャミングとは、強力きょうりく電波発信でんぱはっしんによって、みかたの在処ありかをウヤムヤにし、てきの混乱こんらんじょうじるためのものです。しかし、それは諸刃もろはつるぎであり、発信者はっしんしゃ居場所いばしょをみずからさらす、リスクをともなうものでもありました。

 特殊とくしゅカンオンの消滅しょうめつジャミングは、発信者はっしんしゃと、その周辺部しゅうへんぶをなくしました。しかも、おなじ特性とくせいをもつ、特殊とくしゅカンオンどうしの双方向性そうほうこうせい維持いじされまたまま。

 戦争せんそうから恋愛れんあいまで、コミュニケーション時の有利性ゆうりせい確保かくほのさい、もっとも大事だいじなことは、あいてがわにじぶんが検閲けんえつされていることを、さとらせないことです。検閲権けんえつけんとは、認識にんしきにおける有利性ゆうりせい確保かくほに他なりません。それは寝ているか、起きているか、くらいちがいます。浮島うきしまシステムにおいては、じぶんたちにのみ、その覚醒権かくせいけんがあたえられるのでした。

 もしかしたら浮島うきしまシステムとは、忘却ぼうきゃくシステムのことなのかもしれません。あいてがわ痴呆ちほうにするこのアンフェアこそ、他にるいをみない特徴とくちょうだからです。つごうのわるい関係かんけいちつつ、じぶんにつごうのよい関係かんけいはたもつ。全体的個ぜんたいてきことしての一般いっぱんカンオン(そもそも一般カンオンというものはなく、カンオンはすべてカンオンなのです)とちがい、特殊とくしゅカンオンはとしての孤立性こりつせい武器ぶきとして、あの国民投票こくみんとうひょうによってきまったグレート・チェンジ[情報の独占禁止と自発(強制)的共有]後も、しぶとく、それをてずに持ちつづけていました。まるで、刀狩かたながり後の百庄ひゃくしょうのごとく。そのとき成立せいりつしたはずのレントゲンほうを、合法ごうほう非合法ひごうほうを合わせ、のらりくらり軟体生物なんたいせいぶつのよう回避かいひしてきたのでした。

 それを成立せいりつさせる独特どくとくのセルフシステム、みずからを関係かんけいとする者どうしの、関係間かんけいかん王者おうじゃこそ浮島うきしまでした。

 これに対し、ぞくにいうギュゲスの指環ゆびわは、無認識だっぽうカンオンに対抗たいこうしてつくられたものでした。その存在意義そんざいいぎ暴露ばくろにありました。脱法だっぽうシステムの特定とくてい通報つうほうが、指環ゆびわの生まれた使命しめいでした。

 それがおきるまで指環ゆびわはモノでした。ひとたび、ある特定域とくていいき電波でんぱパターンにふれるやいなや、彼は生命せいめいをやどしたようにはたらきはじめます。それへ過敏かびん反応はんのうするよう、ひっそりはたらいていた内部ないぶ自律じりつシステムが、引きがねを引きました。指環ゆびわ一般いっぱんカンオンのような汎用性はんようせいはありませんが、その目的もくてきのためだけに、特化とっかされていました。

 それが今、めざめたのです。

 彼は、その微弱びじゃく電波でんぱが消えるまえに、消滅しょうめつジャミングを無効化むこうかする、ジャミングをかけました。消滅しょうめつ×消滅しょうめつ=顕在化けんざいかです。どうじに無認識だっぽうカンオンに対してのみ、みずからの姿すがた一時的いちじてき陰性化ステルスかさせました。さらに、海底かいていケーブルは寸断すんだんされていたので、脱法だっぽうシステムに便乗びんじょうして、衛星回線えいせいかいせんをつかい通報つうほうしました。

 ここで、一つの疑問ぎもんにいきあたります。大まかな場所ばしょがわかっているのに、なぜ当局とうきょくが、しかるべき措置そちをとらないのか? と。

 仮定かていのはなしですが、まず、指環ゆびわ当局とうきょくの手によるものという、かくたる証拠しょうこはありません。じつは不正ふせいにもちだされたもの、またはそのコビーかもしれないからです。それらの可能性かのうせい無視むしすれば、考えられるのは、とりしまる方の後ろめたい心情しんじょうか、後ろぐらい事情じじょうのせいなのかもしれません。


[一般的いっぱんてきにいって、年収ねんしゅう一億いちおくダニーをこえると、税収ぜいしゅうはガクンとへります。脱税だつぜいをとりしまる行政ぎょうせいも、カンオンの統計調査とうけいちょうさをみまもる役人やくにんたちも、れいがいではありません。

 お役人やくにん、「みどり」をやたらと多用するところから、いわゆる「みどりの貴族」とよばれる人たちも、数字上すうじじょうそこまでとどかなくても、なんのかんのと、きめ細やかな手当て、各種控除等かくしゅこうじょとうがつき、じっしつそれは、賃金収入ちんぎんしゅうにゅうとおなじでした。

 とくに、たいした産業さんぎょうもない、年配者ジジババだらけの地方ローカルにおいては、彼らはカーストの上位にいました。はいガス規制きせいのきびしいドイッチョラントの、グレードの低い輸入車ゆにゅうしゃを、扶養家族ふようかぞくなどがりまわしていました。

 彼らに社会貢献しゃかいこうけんこうけん意識いしき希薄きはくでした。そんな見栄きがいはなく、おさないころからの勉強べんきょう小科挙しけん突破とっぱ自負じふし、とうぜんのご褒美ほうび=権利けんりとうけとっていました。――これはミクロなルサンチマン(ただの妬み)ですが、マクロなルサンチマン・プロパガンダ=スケープゴートとは別個べっこの、メゾな是々非々ぜぜひひでもあります。

 おどろくべきことに、また、ざんねんなことに、そのヘ・イゾー氏(クラランの御用経済学者)ばりの、うらなりの弱肉強食的じゃくにくきょうしょくてき自己責任論じこせきにんろんを、なぜか支持しじする、おおぜいの自由民(C層)がいました。そしてその上には、戦後せんご無責任むせきにんの度合いを年々ましてきた、お花畑サブカル強欲グリードを合わせもつ、雲上人うんじょうびと富裕層ふゆうそうである自立民(A層)がいるのでした。

 デフレから恩恵おんけいうける両者りょうしゃ。まずしさゆえの無知むち視野狭窄しやきょうさくか、どうるいの過当競争かとうきょうそうによる不適切ふてきせつ低価格ていかかくを、盲目もうもくてきに歓迎かんげいする自由民いそんみん。そのチキンレースとは無縁むえん安全あんぜんなゲートの中で、資産しさんの目べりをなくす政策おだいもくを、けがれなき無意識よくあつ画策かくさく支持しじする自立民じりつみん

 グローバルの中で分断ぶんだんされ、固定化こていかする身分みぶん不幸ふこう結婚けっこんをする、二つのルサンチマン。おやだいからの需要不足デフレのせいで、ひんすればどんするとは裏腹うらはらに、内面ないめんは、ますます、ささくれ立ちデリケートにむこころ。一方、その不当ふとうなゆたかさに対するやましさと、しつけのされなかった子度藻みたいに、ドリルで破壊はかいするような、ばっぽんてき改革かいかくを好む、じっとしていられないおさな欲動よくどう貧者ひんじゃ同族嫌悪どうぞくけんおからの半歩リードを、富者ふしゃ欲徳よくとく動機どうきとし、おぼっちゃまからの脱皮だっぴをはかります。彼らはおたがい、ヨ・ヘイ氏ばりの「自己批判できるぼく」を、骨太ほねぶと差異プライドとするのでした]



 とりしまる当局とうきょくも、上にいけばいくほど、とうの対象たいしょうから恩恵おんけいをえている人が多くなります。とうぜんのことながら、出世しゅっせにひびくことに、熱心ねっしんになる部下ぶかはいません。彼らはプロレスで、おちゃにごし合っていたのかもしれませんね。

 そこへ指環ゆびわ登場とうじょうしました。空気のよめない特化型アスぺは、好運シャンス(?) なアクシデントのたすけによって、彼の職務しょくむをまっとうしてしまったのです。ハブられるおそれなどない彼は、人の機微きび熟知じゅくちしたカンオンとはちがい、ようしゃなく通報つうほうしたのでした。


 通信つうしん潜入せんにゅう放置型ほうちがた探知機たんちき、コード:18211111-1030-18810209-0128、俗称ぞくしょうギュゲスの指環ゆびわ。わたしは被疑者ひぎしゃ個別化こべつか成功せいこうしました。



 その時チェロキーは、みさきでシガーをふかしていました。

みなし児ヴィデオ・オレンジ 34 (雨雲)

スマホ640pix



      雨雲



 警報音けいほうおんり、赤い警告灯けいこくとうがまわりだしました。銀行屋ぎんこうやはあわてず、モニターを横目よこめで見ました。

 バイクです。バイクを所有しょゆうしているのは、チェロキーとダイだけですが、スラリとした見た目で、ダイとわかりました。ここらで休憩きゅうけいかねがね、彼はこしを上げました。

 ダイを玄関げんかんに出むかえ、コーヒーかんをわたし、じぶんのせんを開けました。

準備じゅんびできたってよ」

 ダイはけとってすぐ、コーヒーをあおりました。

「なんだ、やけに早いな」

「そりゃ、ママのキモイリだから(笑い)」

 またゴクっとやって、

みせの水と食糧しょくりょうはこんだだけだし。後はこまごま、ママの私物しぶつとか。いらねーって、言ってるのに、やたらとなんでも、もちこみたがる」

「じゃあ、おれはもう、なにもしなくていいんだな」

「いいよ来なくて。ママがおこるよ――ていうか、オレがおこられるよ(笑)」

 Umiha、レイヨーのまばゆい白いタンクに、おじさんは目を細めました。娯楽ごらくの少ないこの地で、ダイとチェロキーの二人に先をこされてか、ほんとうはうらやましかったのに、なんとなく、オフしゃには手が出ませんでした。

 あえて、オモチャに手を出さない大人な自分と、ものごとにいて、おっくうになったオッサンの自分。ぶしょうヒゲを生やしているけど、まだ30代の、つるっとした赤ちゃんはだなのが、ちょっとコンプレックス。そんな微妙びみょう狭間はざまでゆれる、むずかしいお年ごろでした。

「こっちは見に来なくていいから、先にあの子をつれてきなってさ」

「わかった、わかった。おまえも、もういいから」

 しっしっ、とやりました。

 ダイは一気にみほし、かんをおじさんの胸元むなもとに、つきつけました。

「マックスじゃなく、ノンシュガーか微糖びとうにしときな、オッサン(笑)」 

「おまえもすぐ、そうなる(笑)」

 かんをうけとり、

「トランシーバーのスイッチは入れとけよ」

 と、不測ふそく事態じたいにそなえました。どんなささいな不安要素ふあんようそも、ないがしろにできない性分しょうぶんでした。


 おじさんは銀行ぎんこうに入り、そこらを見てまわりましたが、ソルはいませんでした。

「ふ~ん」

 つまらなそうにつぶやいてから、地下ちかにおりていきました。

「ガキ」

 ぼそっと言うやいなや、特殊とくしゅカンオンの反応はんのうがでました。想定内そうていない事態じたい。ゆっくりと、電子でんしタバコを手にとりました。

 ふつうのカンオンより、二回りほど大きい特殊とくしゅカンオンは、登録とうろくしてある認証にんしょうコードである、ソルのバイタルサイン傾向けいこうから、彼を瞬時しゅんじにキャッチしました。屋上おくじょうには、プライベート衛星えいせいとつながった、多目的たもくてきアンテナが設置せっちされていました。衛星えいせい軍事政権下ぐんじせいけんか発展途上国こうしんこくで、集団しゅうだんうち上げ委託いたくにより、格安かくやすにおこなわれたものでした。

 おじさんはあたまの中で、場所ばしょ把握はあくしようとしています。小山の中腹ちゅうふくの手前あたりに、みどり表示ひょうじがありました。マップからライブカメラに切りかわり、段階的だんかいてきにズームアップしていきます。うごくものが見えてきました。

「どこにいるんだ、アイツは」

 みなれない風景ふうけいに、失笑しっしょうします。

「おいおい、どこまで行く気だよ」

 こんな山の中は、彼だって、まだいったことがありません。

 おじさんは時代じだいおくれの、かさばるタッチパッドをもって、地下ちかをでました。完全かんぜん規格外きかくがいになったそれは、特殊とくしゅカンオンとだけつながり、万が一にも、外部がいぶとつながるおそれのないハードでした。

 外に出ると、鉛色なまりいろくもが、西の空にかかっていました。

 ちょっとドアノブに手をかけ、立ち止まっていました。カサなら荷台にだいにあるし、予備よびのバッテリーも、ダッシュボードに入っていました。たいがいのものはくるまに入れっぱなしで、定期的ていきてきなチェックもかしませんでした。

 引きかえす用事ようじもないので、ドアを開けました。



 シンプルなマップ画面上がめんじょうで、みどり光点こうてんが、じょじょに山のおくへ、表記ひょうきのとぼしい上方へむかっていました。

「ウソだろ……。なに、やってんだアイツ」

 ケモノ道のような隘路あいろに入られたら、やっかいです。心もち、アクセルをふみこみました。

 トランシーバーに手をのばし、ナカマに応援要請おうえんようせいをかけました。早め早めが、彼の信条しんじょうです。ダイにトランシーバーの火を入れておくよう言ったのは、正解せいかいでした。じぶんの判断はんだんの正しさに、小さくガッツポーズをとりました。

「な、こういうことがあるんだよ」

 ほくそみました。


 使命ミッションをおえたソルは、頂上ちょうじょうへむかって、歩いていました。本気ほんきで、この山を征服せいふくする気などありませんが、なぜか素直すなおに下りず、反対方向はんたいほうこうへと、しぜんと足がむくのでした。彼は、ドロとあせにまみれていました。

 やぶと化した、神社じんじゃがありました。拝殿はいでんは見えませんが、ヤブカラシや笹竹ささたけがおいしげり、小ぶりなオレンジ色の朝顔あさがおが、線香花火せんこうはなびみたいに、ぽつぽつ、そこらに散見さんけんしていました。

 大きなはしらの、黒ずんだ鳥居とりいがありました。もとから赤くないそれが、草をまたいで立っています。そのはしらの横手から、草をかき分け入りました。

 あついいたみを感じ、すねを見ました。赤くれていましたが、ギリギリ、は出でていません。一歩一歩いっぽいっぽ、ヒザを高く上げ、しんちょうにすすんでいきます。



「チッ」

 おじさんはニガニガしく、舌打したうちしました。

 ゆきどまり、土砂崩どしゃくずれです。外に出ると、水滴すいてきのツブが、ほほつめたくふれました。

「チッ」

 でも、だいじょうぶ。これも想定内そうていないです。チェロキーのジープはムリでも、オフロードバイクのダイが、かけつけて来ていました。せまいしまです。さっき連絡れんらくしてからの時間を考慮こうりょすると、おいつくのに、早ければ十分もかからないでしょう。ますます、おじさんは「我が意を得たり」と、ニンマリしました。

 彼はチェロキーもさることながら、ママもダイも、ばあいによってはソルさえ、その内情ないじょうについて、おりこみみでした。熱源ねつげん電波でんぱ発信源はっしんげんなどを感知かんちできる、べんりなモノくらい、彼らが持っていて、とうぜんと思っていました。もっとも、それをいったら、おたがいさまですが。そしてそれは、あたらずとも、とおからず、といったところでした。

「あせることはないさ、ここには、時間じかんくさるほどあるんだ」

 今のところ、すべては順調じゅんちょうでした。

 雨足あまあしが少し強まってきました。フロントガラスに、細かな水滴すいてきが目立ちはじめました。ワイパーのスイッチを入れると、キュッ、キュキュキュ―と、なきごえをあげ、うす茶色ちゃいろのシマをつくりました。ウォッシャーえきをかけていると、パタンとエンストしました。

「またか」

 また、チェロキーに、たのまなくちゃなと、ウンザリしました。

 どういうわけか、アイドリングストップ機能きのうがしばらくたつと、復活ふっかつしてしまいました。そのたびガードを外さないと、バッテリーがすぐに、いかれてしまうのでした。――このしまでは電力でんりょくには、こときませんでしたが(そのインフラも、年々こわれて来ていますが)、すべてが電気中心でんきちゅうしんなので、バッテリーの寿命じゅみょうおかより短いのでした。島内とうないではいらないくるま機能きのうは、すべてカットされていました。みみ不自由ふじゆうな人のための擬似ぎじエンジン音や、アイドリングストップ機能きのうなどがそれです。

 じつは、おじさんは銀行ぎんこうを出るときから、いえ、もっとその前から、いつになく興奮こうふんしている、じぶんに気づいていました。想定内そうていないのイレギュラーをむしろよろこび、土砂崩どしゃくずれで水をさされるまでは、ひさしぶりのワクワクが止まりませんでした。

「まるでハンターのきぶんだ」

人間にんげん動物どうぶつ安全あんぜんいのちのやりとり、人間様にんげんさまのワンサイドゲームだ(笑)」

「おまえがどこにげようが、野生やせいの感だけで、おれからげきれるかな?」

 スコープの照準しょうじゅんをあわすよう、かた目をつむりました。

 狩猟ハンティング。むかしから、なにかと物入ものいりで、高貴ハイソ貴族かねもちのあそび。

 これこそ今のじぶんに、もっとも相応ふさわしいのでは?

 こんなに刺激的しげきてきなら、ライフルの趣味しゅみもわるくないな。

 ここならメンドクサイ免許めんきょもいらないし。

 もぐりで買えねえかな?

 こんどヤツらに相談そうだんでもしてみようかしらん? 

 ダイがくるまでの一時を、どうせやらないことをっているクセに、ゆかいな空想くうそうにふけっていました。彼はいきがかり上(ヒステリックな教育ママ)、それを少年時代しょうねんじだいにおいて来たのではなく、もともと生まれつき、じぶんが行動こうどうの人でないことに気づくほど、まだ大人ではありませんでした。

 彼は子度藻のころにアーカイブで見た、SFアニメを思い出していました。機関車きかんしゃ宇宙うちゅうたびする、少年の物語ものがたり。もはやじぶんが、そのチビすけの主人公ヒーローではなく、人間狩にんげんがりをする機械伯爵きかいはくしゃくの方の立場たちばなのだと、苦笑くしょうしました。彼は大人になった視点してんから、小さいじぶんをいとおしみましたが、それを唾棄だきする少年の方は、たしかにおいてきたのかもしれません。

 警報アラームがなりました。

 しかし、まだ動揺どうようはしません。そのための具体的ぐたいてき要件ようけんを、彼は思いつけなかったからです。これまでだってそうだったし、今現在いまげんざいもそうでした。つねに早めに不安ふあんをつみとり、心配事しんぱいごとのタネを、ぬぐい去ってきました。だから、この異音いおんが、彼の平穏へいおん未来みらいをうばう、らせなワケがないのです。こんなところにいながら、彼は本気でそう思っていました。

「うるさいな」

 少しイラッとしてきました。しかしアラームは、破滅的はめつてきな音をかなでるのを、やめようとしません。彼の手と、彼のイマジネーションの外で、すでにきてしまっている事態じたい。これこそ、ほんとうに彼が「おそれるべき」ものでした。人はとおくのものにさわれないし、時間をさかのぼることなんて、なおさら、できやしないからです。

「るっせーな。なんなんだよ」

 イライラで恐怖心きょうふしんをおさえようとしますが、ベタに助手席じょしゅせきのタッチパッドをつかみそこね、マットに落としました。

「クソ! なんも、あるわけないだろ」

 怒鳴どなって警告けいこくメッセージの詳細しょうさいを、おそるおそるタップしました。ロードされるまでの間、もどかしく画面がめんをまちます。

 デジタル数字すうじがあらわれました。すでに、カウントダウンがはじまっていました。特殊とくしゅカンオン再起動さいきどうのための、シャットダウンへむかって。

「――ちょっ」

 かずが、どんどんっていきます。

「なんだよ!」

 手がだせません。

「07びょう

 二ケタを切っています。時間がありません。

「03びょう

 なにをやっても、もう、あとのまつりりでした。

「00びょう

 まっかな画面がめんがブラックアウトしました。



 青いゆらぎのパターンが、おぼろにかんできました。

 くりかえし、くりかえし、よせてはかえしていきます。

 ゆるやかな、無音むおんのさざなみ。

 海上で白く泡立あわだち、海中で青とたわむれる気泡きほうのツブたち。

 それも、しずかにフェードアウトしていきます。

 のこったのは、黒の単色たんしょくのみ。


 おじさんは、ひっきりなしにメガネをふいていました。とにかく、おうえんがくるのを、まっていました。だれがてきで、だれが味方みかたかも、よくわらないのに。それさえ来ればなんとかなる、とでもいうように。なんどもメガネを手にとり、いのるようにふいていました。ただ、まちつづけていました。


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みなし児ヴィデオ・オレンジ 33 (ダーティワーク 3 荷物)

スマホ640pix



      ダーティワーク 3 荷物



 背中せなかがかるく、体がうかび上がるようでした。スコップをもどしてからの帰り道、ソルは体がフワフワしていました。ささえがないと、そのままパタンと、たおれそうな気がします。小さいころに、おみやげでもらった、フェアトレードのしょぼいオモチャを思いうかべていました。テーブルの上で、すぐにあおむけにたおれて、足だけウインウインしているやつを。

 町なみを一望いちぼうする坂道さかみちまでもどると、道のまん中で、ペタンと、すわりこみました。土まみれの上ずった手で、ペットボトルのせんを外し、トポトポ、かた手ずつあらいながします。かたむけたビンから気管きかん直撃ちょくげき、むせかえって、アスファルトを黒くぬらしました。ゲホゲホ、なかなかやみません。

 おぼつかない手で、なんどもあおって、地面じめんにこぼれた水は、坂道さかみちを細く下っていきました。うわぎは水をほとんどはじき、クビのすき間から入ったぬるい水が、オシッコみたいにパンツをぬらしました。それを不快ふかいにも感じず、あたたかいのような風に、しばらくつかっていました。

 むねいっぱい空気くうきいこんで、なれてしまったしおさを、からだじゅうで確認かくにんします。さっき見たはずのくもが、すぐにはみつからないほど、はなれていました。ぼんやり、けしきを見ているうち、下着したぎはもう、かわいていました。

 おわってしまえば、あっけなく、彼は空をあおぎ見ました。いつにもまして、くも異質いしつ存在感そんざいかんに目をみはり、見はるかす眼下がんかには、なみが広がっていました。その先は海。青い海が水平線すいへいせんで、ぷっつり切れていました。また、空を見上げました。しばらく、それをくりかえしていました。

 もう、なにもすることがありません。いつの間にか、にもつを処分しょぶんすることが、彼の重大じゅうだい任務ミッションと化していました。もはや、なんの義務ぎむもなく、かといってしたいこともありません。にもつから解放かいほうされたとたん、彼は支点してんをうしない、いとの切れたたこみたいに、どこか下流域かりゅういきへと、ながされてゆくようでした。生あたたかいかぜくと、みどりのヤツデの枯葉かれはが、カサコソ坂道さかみちを下っていきました。

 

 なつは高く、ますます、さかんになろうしています。暑気しょきの中に、かすかな冷気れいきがまじり、彼を困惑こんわくさせました。まだ、セミの時節じせつではありませんが、しずけさの耳鳴みみなりりがしました。

 ときおり、思いだしたように風がふきます。子猫こねこをあそばす母猫ははねこのシッポみたいに、道ばたの小さなアメのつつみとたわむれては、すぐにやんでしまいました。

 季節じかんは、彼をいてけぼりにしていくみたいでした。


「――あっ」

 おもいだしました。

「なにやってんだよ、あいつ」

 すっかり、わすれていました。カンオンのことです。

 些事しんぱいごと係船柱ボラードにして、とりあえず彼は、日常げんじつつなががれました。




 指環ゆびわを外し、かるく指先ゆびさきでなぞると、コロコロ、手のひらでころがしました。こんどはそれをつまみ上げ、目の高さまでもち上げました。

 ブラック・シルバーのシンプルなオーリング。その表面ひょうめんには、目には見えない微細びさいみぞと、うすい薄片せっぺんが、ウロコのように重ねられていました。少しずつきを変えると、複雑ふくざつ色彩しきさい斑紋はんもんが、パターンのように変化へんかしてゆきます。みずから発光はっさこうしてないのに、キラキラかがやくプリズム調ちょう色面しきめんが、マボロシのように表面ひょうめんからかんでいました。

 それをかし、黒い地金じがねが、ほの見えています。光の干渉かんしょうによって、ちょうはねみたいな複雑ふくざつ色彩しきさいを、それも明度めいどの高い、個々ここにまじりっけのない色をうんでいました。

 ダイは、それに魅入みいっていました。

 酸化鉄マグネタイトのような、マットな黒いシルバーからほとばしる、あかだいだいきいみどりあおあいむらさきみどり。とおざければ暗いシルバーのままですが、ちかづけると変化へんかします。ななめにしたり、ひねったり、うごかすと、人間の目には不規則ふきそくな、虹色にじいろ変化へんかをしました。――と、あそんでいるうちに、白くハレーションをおこし、もとの黒にもどりました。色がついているという感じがなく、視覚しかくもてあそばれているようでした。

 それを左手の薬指くすりゆびにはめ直すと、すらりとびた白いゆびを、ピンとそらしました。また虚空こくうにかざし、じっと、見つめました。

「ただのオモチャじゃねえか、こんなの」

 と、つぶやき、

「今どき魔法少女まほうしょうじょのアイテムだって、もっと、ちゃんとしてんぞ」

 と、はきすてました。

 ダイは組んだ手をあたまの下にしいて、ねころびました。もぞもぞ、ならすよう背中せなかたたみにこすりつけ、えずくようノドをらし、まぶたを下ろしました。とばりの下りた暗闇くらやみに、チラチラ色ともつかないものが、あらわれました。

 なじみのよるに身をおくと、きまって思いうかぶのは、ホルスや、おおじいさん、家族かぞくのことではありませんでした。いがいとガキ大将だいしょうめんもあった、まあまあたのししかった少年時代しょうねんじだいでもなく、すでに過去かことなった、はなやかなりし教祖活動きょうそかつどうのころでもありませんでした。現在げんざいから過去かこをとおして、彼にまつわる時間じかんが、意識いしき俎上そじょうのぼることはまれでした。

 ぼんやりしていると、自然しぜんとわき上がってくるのは、うしなわれた未来みらい、手に入れられるはずだった、未来みらい光景シーンでした。鎮火ちんかし切っていない可能性かのうせいのこり火が、つめたい熾火おきびとなって、彼の身をチロチロこががすのでした。

 もともと彼のゆめは、アイドルではなく、(自称)アーティスト志望しぼうでした。彼はあの手この手で、業界ぎょうかいにアプローチをこころみましたが、とうぜんというべきか、コネのない彼は、まったく相手あいてにされませんでした。生活せいかつにこまって、アルバイトでゲイもののAVに、でっかいマスクをつけて出た黒歴史くろれきしは、彼の中ではかったことになっていました。

 ばくぜんと、しかし熾烈しれつに、「(なんでもいいから)なにかになりたい」と、ヒップスターへの願望がんぼうをむねにめ、とうじの彼は、まいにちをモンモンとすごしていました。

 そんなある日、一つの求人きゅうじんに目が止まりました。「人まえに立つのが好きで、わりの良い日払いのおしごと」というのが、うたい文句もんくでした。そしてそれはたしかに、わりのよい仕事しごとでした。

 さいしょはノリノリでやっていた彼も、なぜか、だんだんと気のりしなくなっていきました。ある日、そんなつもりはないのに、ぽつっと不平ふへいをもらしたら、その月から、とつぜん給料制きゅうりょうせいになり、福利厚生ふくりこうせいがつくようになりました。けっきょくのところ、それらが動機どうきづけとなり、あきっぽい彼を、やめさせなかったのでした。

 彼は後悔こうかいしていました。たいして賃金ギャラが上がったワケでもないのに、それをえらんでしまったことに。むしろ源泉徴収げんせんちょうしゅうという名目めいもくで、へったくらいでした。身分みぶん保証ほしょうという、自由民じゆうみん(依存民)にとっての、縁遠えんどおあまいひびきに、彼はまどわされたのでした。

 どう考えたって、長つづきするような職種しょくしゅではありませんでした。けっきょく、歩合ぶあいの方が、わりがよかったのです。ありていに言えば、彼はだまされたのでした。

 それをみとめるとくやしくなり、みとめないと、なかったことになるので、もっとくやしくなります。でも今さら、どうすることもできません。どうころんだって、けでした。そんなわけもあってか、彼はむかしのことを思い出すのがきらいいでした。

 それにくわえ、今でもうまく説明せつめいするのがむずかしいのですが、ハラが立つというより、なによりゲンナリしたのは、とうじ、彼の身のまわりにいた大人たちでした。

 なんというか、その鼻持はなもちならない、玄妙げんみょうさをよそおった、気どった態度たいど。ほぼ全員ぜんいんが「オレだけが大局たいきょくに立ち、俯瞰的ふかんてきにものごとが見えているんだぞ」という口のきき方で、慇懃無礼いんぎんぶれいさをよそおった下に、それがけて見えていました。

 とくに彼のような、一見同列いっけんどうれつで、かつ下の立場たちば同性だんせいには、ポリティカル・コレクトネスを気づかうこともなく、いっそうそれが顕著けんちょになるのでした。もっともダイの方でも内心ないしん、彼らのことを一括いっかつして、「キモヲタども」と、さげすんでいましたが。

 じっさいメンバー間でも、口ゲンカがたえませんでした。大方がカンオンもちで、自立民じりつみんである彼らの特徴とくちょうは、どんなにケンカになっても、けっして暴力ぼうりょくにうったえないところにありました。それがまた、自由民いそんみんそだちのダイを、イライラさせるのでした。

 また、彼らの中には、かつてのメンバーとの訴訟そしょうをかかえている人も、少なからずいました。いちばん年下で、実質じっしつペーペーのダイにすら、裁判費用さいばんひようのカンパをもとめられたときには、さすがに閉口へいこうさせられました。

 彼らはみずからの言論的立げんろんてきた位置いちを、超保守主義ちょうほしゅしゅぎとしていました。もしくは積極的後退せっきょくてきこうたいとか、明るい中世ちゅうせいとか、活発かっぱつ原始げんしなどと、もったいぶって定義ていぎしていました。彼らは論破ろんぱというコトバをよく口にしましたが、それになんの価値かちがあるのか、ダイにはサッパリわかりませんでした。

 しかし、その主張しゅちょうのわりには、メンバー内のカーストの上位じょういをしめるのは、より、めぐまれた高度共有者こうどきょうゆうしゃ(高学歴者)たちでした。――めぐまれたというのは、本人の資質ししつ環境かんきょう、つまり生まれとそだちのうん要素ようそと、彼が将来しょうらいみずから習得しゅうとくするであろうペルソナ(社会的外面、身分)が、ほぼ変わらないからです――さらに有利ゆうりなのは、見た目がスマートなものや、生まれつき他人ひとから好印象こういんしょうやすい、タレント特性とくせいをもち合わせた人たちでした。クラランではありきたりの、評価型社会ひょうかがたしゃかい縮図しゅくずそのものでした。

 おなじ高度共有こうどきょうゆうでも、適正てきせいによってり分けられた理系適正出身者りけいてきせいしゅっしんしゃが、文系適正出身者ぶんけいてきせいしゅっしんしゃをこき下ろすのは常態デフォルトで、おたがいの出身解放区しゅっしんかいほうくを、古めかしい名でよび合ったりする、キザったらしいのもいました。

 プライベートでも、彼らは安心あんしんしていられません。その差異化さいかは、趣味しゅみ範囲はんいにもおよびました。各自かくじ趣味しゅみ種類しゅるいと、その村内そんないにおけるランクづけもあったからです。彼にはついていけない、に入りさい穿うがった、セクトわけの細分化さいぶんかがされていました。おもしろいのは、金持リアじゅうちほど自然派アウトドアで、底辺ビンボーほど画面派インドアなとこでした。

 一方、とるに足らない趣味しゅみ、にわか、深入ふかいりしすぎは、ヲタクとよばれる原因げんいんになりました。そんな烙印らくいんをおされるようなヤボったい人は、どんなにえた発言はつげんをしようともかろんじられ、みんなからされることはありませんでした。

 彼らは、比較ひかくとりことなっていたのでした。彼らがもっとも意味嫌いみきらうルソーが、なにより問題視もんだいしした、楽園追放らくえんついほうによる災厄さいやく重荷おもにに、だれかれとわず、みんなとらわれていたのでした。

 ダイにとって、現実げんじつが見えているか、いないかなんて、どうでもいいことでした。彼にとって重要じゅうようなのは、「なぜ」ではなく「いかに」でした。リアリティよりアクチュアリティ、現実げんじつより現実味げんじつみでした。それを心地ここちよく、こころよく、あじわいたいだけでした。

 ある時、ある幹部かんぶクラスのメンバーが、それを見すかし「行為にあらず、行為に関する意見こそ、人を動かすものぞ。――エピクテートス」と、いいはなちました。キョトンとするダイ。彼を尻目しりめにやつはナカマとクスクス。ワケがわからないので、はずかしくも、くやしくも、なんともありませんでしたが、じぶんが侮辱ぶじょくされたことだけは分かりました。彼はただ、デスノートにやつらの名をしるしただけでした。だれもカンオンによるカンニングは、問題もんだいにしませんでした。

 そんな彼でも時として、気にいらない原稿プロンプターには、言いそびれるとか、滑舌かつぜつをわるくするといった、無意識むいしき編集こうぎをするのでした。

 いよいよ当局とうきょくの手がせまったとき、彼をがしてくれたのは、いがいにも、そんなヲタクとよばれる人らの、ポンコツ・リーダーてきな人でした。――おだててメンドウなことをおしつけ、ポンコツあつかいすることでしか上の立場たちばをゆるせない、しき民主主義デモクラシーです――おなじヲタク実動部隊じつどうぶたいの中でも、バイトリーダーと、やゆされている人物じんぶつでした。彼がすべてを手配てはいし、要領ようりょうよく、ダイをみなとまで手引きしてくれたのでした。人は見かけによらないと、今でも彼は、そう思っていました。

 その分かれぎわ、彼に、こういわれました。

「むこうについたら、三人の男たちがいる。きみは、その三人のそばにいるだけで、それ以外いがいなにもしなくていい。ただし、なにがあっても24時間、その指環ゆびわだけは、けっして外してはならない」

――と。

 ダイはころんだまま、クルクル指環ゆびわをいじくりまわしていました。べたべた指紋しもんだらけにして、ためつ、すがめつ、それを、ながめていました。

 おかでの記憶きおくはしだいにうすれ、にくしみは抽象化ちゅうしょうかされていきましたが、その男のかおだけは、今でも鮮明せんめいに思い出せるのでした。


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みなし児ヴィデオ・オレンジ 32 (ダーティワーク 2 地下)

スマホ640pix



      ダーティ・ワーク 2 地下


 ソルはけっしました。

 ここまで来てしまったのです。今さら、ちゅうとはんぱに、後もどりなんかできません。とにかく、いけるとこまで、いくまでです。

 どういうわけか、おじさんの監視かんしもゆるみ、そこらをブラブラしても、なにもいわれなくなりました。おじさんは、さっき帰って来たかと思ったら、あわただしく、またどこかへ出かけてしまいました。なんだか、わすれられたみたいで、ひょうしぬけした感じです。

 事情じじょうはかりかねますが、チャンスなのは、まちがいありません。カバンの中には、水と食糧しょくりょうが入っています。いつでも出発しゅっぱつできるよう、準備じゅんびをおこたりませんでした。ぐずぐずしていたら、おじさんの気が、かわってしまうかもしれません。彼は思い出したのです。まつことはどくなのを。保留ほりゅうすることはあくなのを。ソルはただ、出発しゅっぱつするために出発しゅっぱつしたのでした。

 ガチャガチャ表玄関おもてげんかんのカギを開け、カーテンのおりた部屋へやから外にでました。

 ざしが目にさささります。太陽たいよう頂点ピークにさしかかっていました。かぜかず、うごくものはなく、陽射ひざししと静寂せいじゃくだけがありました。

 太陽たいよう高気圧こうきあつ死神しにがみせられて、正午しょうご幽霊ゆうれいたちも彷徨さまよいだす。あたりは、そんな気配けはいにみちていました。

 ひと時のあいだ、ソルは立ち止まっていました。そこからあらためて、足を海にむけました。

 まず念頭ねんとうにあったのは、カバンの中身なかみへのけねんでした。また、彼はなりゆきに対して、つごうよく考えていました。

 とちゅう、いいかんじの土があったらし。ないなら、そのまま海までいって、なげててしまおう。とにかく海にさえいったら、(この状況下じょうきようかからぬけ出せられる)なにかいい「きっかけ」でがあるかもしれない……。

 じっさい彼は、のうてんきにかまえていました。

 今までだって、うまくいったんだし、だから、これからだって――

 と、いうわけです。

 ピタっと、止まりました。

 海までのルートは、一度とおった道なので、えらびやすい道でした。でも、つかまった道でもありました。あの北サツマ通り商店街しょうてんがいが、まちかまえています。ちょっとまよいましたが、けっきょくヤメにしました。きびすをかえし、進路しんろぎゃくにとりました。

 銀行ぎんこうに、もどってきてしまいました。開いたままのカーテンが気になり、しめなおしました。

 そこから、やく100メートルほどすすみました。

 なにもおきません。

 また、100メートルほどすすみました。

 なにもおきません。

 そのまま歩きつづけます。

 やっぱり、なにもおきません。

 どんどんすすんでいきます。

 歩いても、歩いても、なにもおきませんでした。

 だれからもび止められず、じゃまもされません。ずんずん一直線いっちょくせんに、歩みをはかどらせていきました。

 交差点こうさてんまできました。ギラつく直下ちょっかざしに、信号しんごうのランプは、角度かくどによってともっているように見えました。潮風しおかぜにさらされ、塗装とそうげ、サビがうき、それはたしかにしんでいました。ななめに横断おうだんしながら、小さくなった銀行ぎんこうを、目のはしにおさめました。

 なつ正午前しょうごまえ。青一色につぶれた空に、石膏せっこうのような白いくも。とおめに整然せいぜんうつくしい廃墟はいきょは、デジタル写真しゃしんとなって、永遠えいえんかたまっていました。




 だんだんと坂道さかみちが、のぼり勾配こうばいになってきました。

 とにかく早く、ここからはなれようと、もくもくとソルはも歩いていきます。歩くことに没頭ぼっとうしていると、あたまがニュートラルになって、ささくれ立ったこころが、なめらかになっていきました。

 住宅街じゅうたくがいまで来ました。前方にみどりのカタマリが見えます。へいからハミ出た葉叢はむらに、マーブル模様もようのスズメバチのが、ぶら下がっていました。その間近まぢかを、スレスレあおぎ見ながら、とおりすぎていきます。カンオンのいない自立民じりつみんの子は、世間せけんしらずのコワイモノしらずで、子でなくてもアブナッカシイのでした。

 アゴから指先ゆびさきから、あせがしたたり落ちます。アスファルに黒いツブが、点々てんてんとついていきました。

 電柱でんちゅうによりかかった自動車じどうしゃがありました。サイドブレーキがあさかったのか、経年劣化けいねんれっかなのか、ズルズルと下がって、ぶつかったようでした。早目にあたたったらしく、トランクパネルだけが、かるくヒシャゲていました。

 坂道さかみちをかるくいきをはずませ、あちこち視線しせんを走らせていました。風景ふうけいに気をうばわれ、地面じめん物色ぶっしょくするのを、わすれていました。見とおしのきく右はじにラインをかえ、反対側はんたいがわも見のがすまいと、カメみたいにクビをのばして歩きました。


――ハッとなります。

 しばらく、ボーっと歩いていました。さっき、しきりなおしたばかりなのに。また、まんぜんと風景ふうけいを見おくっていました。

 ソルは「通りすぎる風景」に、目がありませんでした。まるでそこに、自己じこ実存じつぞん秘密ひみつでもかくされているかのように、もしかしたらその中にこそ、ほんとうのじぶんの故郷いばしょ発見はっけんできるかのように、彼は、彼じしんが風景ふうけいになりきってしまうほど、それを見つめるのでした。

 あらためて見るまち景色けしき。さまざまに自己顕示じこけんじする民家みんかは、ワイセツにすら感じられました。様式的無制約ゆるさをしばるのは、ゆいいつ経済的条件ビンボーだけ。他にるいを見ない、無個性むこせい個性こせいたち。ひるあかりにあられもない、商魂しょうこんたくましいカンバンの数々かずかず。それら雑踏ざっとうを上から構成コンポジションしようと、モンドリアン調ちょうの黒い電線でんせんこころみますが、それがさらに、五月蠅うるささをましているのでした。

 眼前がんぜん風景ふうけいよりも、放置ゆるされている、ということの衝撃しょうげき。ホルスのすむ自由民いそんみんまちにもまさる、景観条例けいかんじょうれいをものともしない猥雑わいざつさ。それをかろうじてすくっているのは、老朽化ろうきゅうかし、時代じだいにとりのこされたひなびのデカダンであると、すくなくとも、彼にはそう感じられました。

 スズメが、おそろしいほど電線でんせんたかっています。中にはハクセキレイも、チラホラまじっていました。そこからあぶれたものは、三メートルじゃくの、街路樹がいろじゅのブラシのえだがしなるほど、たわわに止まっていました。

「ピィー」と、ヒヨドリが低く、水平すいへいに横切りました。人のあたまにかぶりそうなほど、たわんだえだまで、鳥たちであふれかえっています。どんなにちかづいても、とび立たとうとする気配けはいもありません。まっ白になったアスファルトをさけ、うかいしました。

 うみの見える高さまでくると、土砂崩どしゃくずれに行きあたりました。まわりこんで、低いところからならえられますが、この先べつに、目的地もくてきちがあるわけではありません。

 みどりい山の斜面しゃめんは、そこだけ赤茶色あかちゃいろく、土肌つちはだがむき出しになっていました。山というよりおかのような山は、細い杉木立すぎこだちが、びっしりスキマなく生えています。竹林ちくりん怒涛どとうとなっておしよせ、民家みんか裏庭うらにわをおおい、家を半分かくしていました。彼はコンクリートの法面のりめん側面そくめんをはい上がり、せまいてっぺんに立ちました。背中せなかをむけてしゃがみこみ、ナップサックから持参じさんした、園芸用えんげいようシャベルをとりだしました。

 いきを切らし、ダラダラあせをかき、ドロまみれになって奮闘ふんとうしていました。さっきから石にぶつかってばかりで、ぜんぜん、ラチがあきません。いくら斜面しゃめんをほっても、いたずらに土がくずれるばかり。

「あーもう、オレこんなこと、むいてないから!」

 そのばに、ヘタリこみました。

 ここへきて、はじめてまちでのくらしがしのばれ、きゅうにクラランがこいしくなりました。

 呼吸こきゅうが落ちつくと、よっこらせと、立ち上がりました。黒いハートマークが、コンクリートにあせでできていました。彼はあたりをブラつきはじめました。

 ここらへんはちょうど、町から山に入るさかい目でした。なかばたけまれた最後さいごの家の後ろに、未舗装みほそうのわき道がありました。彼はそこへむかって下りていきました。

 大型車おおがたしゃが行き来するような道を、Uの字に二回まわり、広場ひろばにでました。もられた残土ざんどの山にはみどりが生いしげり、そこかしこに、夜にく、メマツヨイグサの黄色きいろつぼみが見えました。ピラミッドじょうにつまれたコンクリートブロックと、けい4WDがスッポリ入るサイズの、輪切わぎりりの土管どかんがありました。中には雨風あめかぜによってはこばれた土に、ヨモギが生えていました。広場ひろばのすみ、それもなぜか断崖側だんがいがわに、クリーム色でドアがあせた朱色しゅいろの、プレハブ小屋ごやがありました。

 土埃つちぼこりのヴェールのかかったまどからのぞくと、かさなった赤いコーンと、線路せんろ枕木まくらぎとおなじニオイのしそうな、黒ずんだロープの山がありました。黄色きいろくろ縞模様しまもよう工事用こうじようバリケードがたたまれ、整然せいぜんれつになっていました。

 ドアにはカギが、かかっていましたが、毛スジほど、まどが開いていました。力をこめると、グッ、グッ、グッ、と少しずつ開いていきます。

 あるわけもない赤外線せきがいせんセンサーをおそれ、ビクビクしながら、はなをのこしてかおを入れました。かべにつるされた黄色きいろいヘルメットの下に、かたまったコンクリの付着ふちゃくした、紺色こんいろのネコぐるまがありました。そのバケットから、スコップのがハミ出ていました。

「やた!」




 ガラガラ、コンクリのついたおもいスコップを引きずって、やっと、もとへ帰ってきました。これで念願ねんがん道具どうぐはそろいました。やっと、再開さいかいできます。

 石にあたると、火花ひばながとびちりました。手がシビレて、をつかんでいるよう感じません。大小の石を白く引っかいてほりおこし、土をこそぐよう、根気強こんきづよあなを広げていきました。

――と、今までにない感触かんしょくにあたりました。

 長い力仕事ちからしごとをしていると、立ち止まったり考えたりするのが、おっくうになります。このままいきおいにまかせ、グリグリやりました。とたんにうでをとられ、まえにたおれました。

「――っぶ、ねえなあ」

 ベッタリ手をついた姿勢しせいから身をおこし、ソルは土をはらいました。スコップは、馬蚊みたいにピーンと直立ちょくりつしていました。先がなにかに、はさまっているようでした。ゆっくり左右にふって、引っこぬきました。

 土底つちぞこは黒く、もり上がった感じですが、土がかかってハッキリとしません。かげになった土をどかしてゆくと、はば25cmほどのポリエチレンのくだがあらわれました。それも一本だけではなさそうです。土の下で何本なんぼんも、たばになっているようでした。

 これをさけてりすすむのは、ほねがおれそうです。かといって、どかすことはできません。よく見ると、表面ひょうめん蛇腹じゃばらに、さけ目がいていました。

 ソルはそこまで推理すいりしませんでしたが、その鋭利えいりではない亀裂きれつと、外皮がいひかたさから、スコップでけたものではなさそうでした。土砂崩どしゃくずれれによる、ねじれの圧力あつりょくによるものと、判断はんだんしてよさそうでした。

 ためしにスコップをさしこむと、ブブッとささり、しんで止まりました。

 そこであきらめました。

 彼は、なぜか今まで背負せおったままだった荷物にもつを下ろし、じかにすわりました。ナップサックの口をほどき、白いレジぶくろに入った、れいのカタマリをとりだしました。

 さあ、ここからが、ほんとうのよご仕事しごとです。

 小指こゆびを立てた指先ゆびさきだけで、二重にじゅうのレジぶくろの外がわを一枚いちまい、ペロンと、はがしました。へばりつく粘液ねんえき蜘蛛クモいとを引き、くさっったさかなにおいが、いっそう強くもれ出しました。なるべくうでをのばしてとおざけ、さかさにフリ、落っことそうとします。

「ぷっ――、ぺっ、ぺっ、ぺっ」

 しぶきが、かおにとびました。

 ガサガサ音をたて、なかみを落とそうとします。トロトロの茶色ちゃいろ液体えきたいいとを引き、たれ下がって、どうやってもフリ切れません。

 ここまでソルは、彼にしてはこの物体ぶったいに対して、みょうに手間をかけ、手こずってきました。水葬すいそうらなかったとはいえ、今までの彼の行動こうどうパターンなら、さっさと海へすてても、よさそうだったのに。イヤなモノを後まわしにしているうちに、ここまでながされて来てしまったのでしょうか? それとも、いのち尊厳そんげんとやらに、敬意けいいをはらった結果けっかなのでしょうか? なんなら彼の中の、究極的集合的無意識かみ犯人説はんにんせつでもかまいませんが。

 かるくなったと思ったら、もう落ちていました。




 じつはおじさんは、銀行ぎんこう地下ちかでつづいている、となりの郵便局側ゆうびんきょくがわにいました。おじさんはふね準備じゅんびがすむまで、ソルのことは、しばらく、ほおっておくことにしていました。どうせ子の足で、そう、とおくへはいけません。なによりここは、はなれ小島こじまです。それに、ソルがいなくなっても、海までのせまいエリアをカバーする、(今や公然の秘密となった)手段しゅだんくらいありました。よけいな、とりこし苦労ぐろうは、時間じかん労力ろうりょくのムダです。彼は準備じゅんびがととのうまで、じぶんの仕事しごと専念せんねんすることにきめたのでした。

 今、彼がとりくんでいるのは、データの消滅終了しょうめつしゅうりょう視認チェックでした。すでに、カンオンじしんが、膨大ぼうだいりょうのデータを複数回ふくすうかい裁断さいだんし、再確認ベリファイをかさねていました。そのなかみは、おもにつかわれなくなった住所録じゅうしょろくや、ダミー会社がいしゃ代表者名だいひょうしゃめいなどの、アカウントデータでした。

 それらの消滅しょうめつは、集団的個しゅうだんてきこであるカンオン同士どうし(ここでの集団的個とは、秘密の取引関係をもつ、特殊カンオン同士のみをさします)によって、多面的ためんてき多層的たそうてきにおこなわれていました。その一方、特殊とくしゅカンオンはもちろんのこと、一般いっぱんカンオン間においても、不干渉ふかんしょう独立性どくりつせい強固きょうこ保持ほじによって、個々ここ何重なんじゅうにもなされていました。そうすることによって、フォレンジック・ツール(情報の証拠保全、不正アクセスの追跡を行う手段)などによる、データのサルベージ(救出)を、不可能ふかのうたらしめていました。

 ゆう必要ひつようもないと思いますが、これらの作業さぎょうは、すべてカンオンによって自己完結じこかんけつしています。じっさい、おじさんは、いなくてもいのです。彼はそこにいて、ただ見ていればいだけでした。

 しいていえば、彼のしごとは「そこにいること」存在そんざいしていることでした。それは顧客こきゃく不安ふあんへの配慮はいりょであり、純粋じゅんすい無償ただ心理的しんりてきアフターサービスでした。けたちがいのもうけに対して、それが露見ろけんしたときのリスクを差し引いて、番犬ばんけんやとわず、わざわざゴマカシたり、チョロマカしたりするなんてナンセンスです。なにより信用第一しんようだいいちですから。こんな時代じだいなっては、人ができることといえば、せいぜい、信用しんようを売るための「そぶり」ぐらいしかありません。うっているのは、あくまで安心あんしん安全あんぜんなのです。そのための最終儀式ラストセレモニーでした。

 また、このしごとはだれにでもできるし、まったく、その必要ひつようすらないものです。彼がやとわれたのは、もとの職業しょくぎょうがらと、心身両面しんしんりょうめん器質きしつ気質きしつをふるいにかけた、審査結果テストけっかによるものでした。もちろん、審査委員長しんさいいんちょうはカンオンです。彼(カンオン)は自分の意見いけんをゴリおしせず、それにかかわる人間たちに、気配きくばりできるていどのAIくらい、とっくに獲得かくとく習得しゅうとくずみでした。その方が長い目でみて、があると判断はんだんしたのでした。

 ほんらいかくしごとは、それにかかわ人間にんげんが、少なければ少ないほど、いいにこしたことはありません。しかし、そこが悪人(悪人正機説:過を犯す普通の人のこと)のよわさでした。クララン的ポリティカル・コレクトネスからはなれた場所アジールの、こんなところだからこそ、「機械なんか、信用できるか」と、本音ほんねがむきだしになるのかもしれません。

 もう一つには、無法アウトロー特有とくゆう業界事情ぎょうかいじじょうも考えられます。だまし、うらぎり、頃し愛、疑心暗鬼ぎしんあんきがデフォルトの商売しょうばいです。寝首ねくびかれる心配しんぱいがつきまといます。自分の自由じゆうあいし、他人の自由じゆうおそれる彼らは、みずからの自由じゆう放棄ほうきしてまで、そのよるなき世界せかいに、兄弟分ブラザーしばりあいによる安心あんしんをもとめるのかもしれませんね。

 それともたんに、人は人としての誇りプライドがすてられないだけ、なのかもしれませんが。

 他から隔離かくりされたカンオンは、カンオンの中のカンオン、浮島うきしま、もしくはTownとよばれていました。すべてのカンオンは、全体的個ぜんたいてきことして情報共有じょうほうきょうゆうし、かくじの存在そんざい重複じゅうふくさせています。人の双子ふたごとちがうのは、それらの本質ほんしつはデータであって、物質ボディではなく、なにより空間くうかん必要ひつようとしないことでした。

 同期どうきしているカンオンどうしは、常時いつもつつぬけで、空間くうかん占拠せんきょによるオリジナリティの分岐ぶんきがおきません。それに絶対的ぜったいてき依存いそんする、差異さい発生はっせい不可能性ふかのうせいのため、「存在そんざい」が意味いみをなさず、理論的りろんてきにいえば、にはなれないはずでした。

 浮島うきしまは、みずからを、その周辺しゅうへんもふくめ遮断しゃだんしていました。その一方で、一部いちぶのデータのみ、双方向性そうほうこうせいをもたせていたのです。たとえるならそれは、理理無礙りりむげ(情報データ本質イデアはちがいますが)の融通ゆうずうのきくズルさとして、うかんでいたのでした。

 もちろんそれは、人の手によってつくられました。名前なまえもしらない、もしくはわすれさられた、ある天才てんさいによって開発かいはつされたもの、という伝聞ウワサだけがのこっているだけでした。彼は大金を手にした後すぐに頃されたとか、じつは今も生きていて、じぶんの生み出したものすべてを、かげから管理かんりしているのだ、ともいわれていました。

 また彼の動機どうきについて、その存在そんざい不確ふたしかな情報じょうほうでしからない事情通じじょうつうは、ソースもろくすっぽ出さず、無責任むせきにん憶測おくそくをならべ立てるだけでした。

 いわく、彼は普遍ふへん否定ひていし、個別こべつ尊重そんちょうする唯名論者ゆいめいろんしゃ概念論者がいねんろんしゃ、もしくは記号論者きごうろんしゃである。よって、彼にとっての浮島うきしまとは、個別性こべつせいをみとめないカンオン社会しゃかいへの一撃いちげきである。それは革命かくめい常態化じょうたいかした社会しゃかいに対する、反革命はんかくめいのための革命かくめい武器ぶきであって、彼独自かれどくじのオッカムの剃刀かみそりりなのだ。などと、わかったような、わからないような、すきかってなことを言い合っていました。

 それを使用あくようできる立場たちばの人たちは、一種いっしゅのロスト・テクノロジーとして、その仕組しくみを理解りかいできぬまま、つかいつづけていました。彼らはおたがい、短命たんめい劣化版れっかばんコピーを、コピーにコピーをかさねつづけ、できるならそのオリジナルを、かなわぬならよりシェア全体ぜんたいを、かくじ独占どくせんしようとくわだてていました。ときにはナカマどうし、頃し愛ながらも。

 彼らはスパイラルに、アイロニカルに、浮島うきしま存在そんざい幾重いくえにもひずませ、いな、ポップコーンかた手の創造主そうぞうしゅのもくろみのまま、悲喜劇なきわらい再演さいえん再演さいえんのロングランを、つづけていただけなのかもしれません……。

 彼らは、たびたびカンオンから突破とっぱされる、普遍汚染ふへんおせんにもめげませんでした。そもそも、ほおっておいても浮島うきしま盤石ばんじゃくでした。浮島自身うきしまじしんがおこなう生成的せいせいてき無責任むせきにん自動更新アップデートは、ほう不遡及ふそきゅうによる法律逃ほうりつのがれを可能かのうにしていました。のこるは人的妨害じんてきぼうがいだけでした。彼らは金にものを言わせ、ときには実力行使じつりょくこうしせず、あの手この手で社会的処罰しゃかいてきしょばつから、顧客こきゃくともども、まぬがれていました。もっとも、それをまる階級がわこそ、上得意じょうとくいなのですから、はなしになりませんが。

 この世界せかいには、それをより主体的しゅたいてきにであれ、間接的かんせつてきにであれ、りようできる特権的人々とっけんてきひとびとがいるのです。その存在そんざいを知っている上流階級ハイソは、その貴重きちょう貴種きしゅを、ことが荒立あらだてられるのをおそれ、かげに、今日まで大事だいじ温存おんぞんしてきました。

 といっても、そんなの陰謀論いんぼうろんでもなんでもなく、っている人はっている、公然こうぜん秘密ひみつにすぎませんでした。ようはアレよアレ、庶民ビンボーにんにとっての、パチのウラの景品交換所けいひんこうかんじょみたいなもん。



 おじさんは目だけ、せわしなくうごかしていました。一つ一つ、ファイルのDeleteを視認チェックしていました。防水ぼうすい火除ひよけのためのサイドテーブルには、コーヒーのショートかんと、ニコチン0の電子でんしタバコがのせてありました。部屋へやのすみには、ほそ長いダンボールばこが二つあり、一つには未開封みかいふうかんが、もう一つにはすすいだ空きかんが、キッチリつまっていました。その反対はんたい壁際かべぎわには、ことなる種類しゅるい大量たいりょう消火器しょうかきが、ボーリングのピンみたいに三角さんかくによせてられ、酸素さんそボンベとマスクも立てかけられていました。

 銀行屋ぎくこうやは、じぶんでもイヤになるくらいの事務方じむかた、お役人気質やくにんきしつ責任回避せきにんかいひをかこちつつ、Deleteの赤い文字もじを、目を赤くしておっていました。


ギャラリー
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  • みなし児ヴィデオ・オレンジ 39 (船上会議)
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